【つらつら草子㉕】ふりだしにもどる

「住まなければ都」とよく思う。鎌倉、京都、北海道、箱根、伊香保、出雲、日本の観光地を転々とするたび、「こんなところに住めたら素敵だなあ」という気持ちと、「これが日常になると辛いだろう」という気持ちを抱いた。定住したいほど好きな温泉街を旅行していたとき、喫茶店で、気になる会話を耳にした。私の勝手な憶測だが、どうもその人は、ホテルなどの従業員などの斡旋会社の社員らしく、本社と電話で会話をしていたようで、派遣された従業員が、頻繁に入れ替わってしまうことを嘆いていた。「まわりに何にもないのが辛いみたいです」と説明するのが聞こえた。
「住めば都」の語源を調べてみたら、語源の代わりに「住まば都」という言葉を知った。現在ではほとんど使われない言葉で「住むなら都の方がいい」という意味らしい。都心の通勤ラッシュが嫌すぎて逃げてきた自分としては、少なくとも日本においてはそんなことはないと思う。住めば不便さが際立つ。通勤ラッシュもたまに見ればこそ驚き、面白さすら感じられるし、たまに見るなら渋谷のスクランブル交差点も写真に収めようとも思うが、それが日常になればただただ不快なだけである。田舎のよさにしてもそうだ。厳しい気候や交通の不便さを楽しめるのは旅人であればこそで、そこに根を張り、それが日常になり、都会の煩雑さ、気の休まらなさ、田舎の不便さ、人間関係の面倒臭さまで知ってしまえば、都会だろうが田舎だろうが、もうそこは楽園ではない。愛着と不快感とを秤にかけて、愛着が勝るほど好きになれる土地、ある人にはあるのかもしれないが、自分にとってはどこも「都」にはなりえないと思う。

 広いお部屋に一人で住んで丁寧な暮らしをしたいと思っていた。これは最初から思っていたわけではなくて、ドイツでの紆余曲折を経てそう思うに至ったわけで、日本にいたころは「一人だと自堕落になってしまうので誰かと暮らしたい」と思っていた。それが、学生寮、ルームシェア、ホームステイを経て、はやり自分は人と暮らすのには向いていない、人といるときちんとできるがその分非常に疲れてしまう、台所や風呂なども自分好みにしてしまいたいという気持ちが強まり、やはり一人がよい、一人でも自立的な生活ができるようになるべきだと思うに至った。それが、である。
 運良く、ドイツ滞在の残りの50日あまり、ひとりで生活できることになった。部屋はかなりよい。日本で住んだことのあるどの家よりもよい。日本での新たな一人暮らしの予行練習として、丁寧な生活を送ろうと思っていた。予定は一日3時間の学校だけで、あとは好きに使えるのだから、掃除も自炊もできるだろうと思っていた。のだが。
 この一連の文章を書き始めたとき、「誰かが一日を始めてくれる生活に憧れる」と書いた。そしてそれは「嫁さんがいればなあ」とぼやく自立心のない独身者の発想と変わらないとも書いた。そこからの、シェアハウス、ホームステイを経ての「一人で生活したい」であった。
 だがしかし。
 再び一人になった今、生活は乱れに乱れている。
 日照時間の短さ、寒さ、風呂がないことなどを理由にしてはいるが、日本にいたころと変わらない。「こんな生活ができればな」と夢想するだけ夢想して、いざそれが手に入っても、それをきちんと享受できない。自分で自分の居場所を整えるということができない。
 部屋の乱れは心の乱れというが、来た当初は部屋の素敵さに浮かれ、部屋でなにかしら作業をするのも楽しかったのだが、今はもうその気持ちもしぼんでいる。部屋は相変わらず素敵である。ただ、私が長くそこに留まることで、そこはもう「私の場所」になる。「私の場所」になった部屋はもう、私にとって魅力的な場所ではない。新しい場所はとても心地よいが、そこが自分色になり自分にとっての日常になってしまえばもうそこは「都」ではない。
 ボードレールは「この世の外ならどこへでも」と書き、夏目漱石は草枕の冒頭で「どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。」と書いた。詩人や文豪になぞらえるなどおこがましいにも程があるが、「自分の居場所になってしまったとたんにそこがもうたまらなく嫌になる」という自分の状態を詩の一片、小説の一片に重ねて自分を保つ。日常を小説に重ね合わせて安心している、と歌ったのはゴーイングアンダーグラウンドだが、悪の手先J∀SR∀Cが怖いので正確な引用は避ける。
 家にいるのがあまり好きではない、とほとんど家にいない知人がいる。ベルリンならカフェが多く、街を歩いていれば気が沈むこともあまりない。カフェなどで時間を潰す分、家は寝泊まりできれば十分なところにすればよいのでは、とも何度か考えたが、これまでの経験上、たとえ家にほとんどいなくても、帰る場所があまりにも貧相だとそれはそれでよろしくない。旅先で、観光地を回るだけでホテルにはほとんどいないのに、泊まる場所がホステルか高級ホテルかでその旅はだいぶ違ったものになる。若い時分はホステルでの弾丸ツアーでも楽しめたが、だんだんとそうもいかなくなってくるという感覚は、おそらく家でもそうだろうと思う。
 
 水村節子の「高台にある家」を読みながら、著者の「高台にある家」へのあこがれを自分の「明屋」への憧れに重ね合わせた。大きく違うのは、著者は「高台にある家」への憧れのまま、自分がその憧れの中を生きるべく行動していたのに対して、私は「明屋」への憧れは憧れに過ぎず、それが実現不可能であることが明確である点だ。明屋の家への憧れはそのまま祖母の生き方へのあこがれであるが、祖母の自立的な生き方は、戦後の富裕層の花嫁修業の賜物で、孫の目線で見れば格好いい人格好いい家であったが、そのために祖母が切り捨てたものの大きさ、祖父母の味わった苦労の大きさというのは計り知れない。何より、水村節子は「高台にある家」に暮らすことに満足を見出していたが、私はおそらく明屋での生活が「日常」になった瞬間に憧れは潰えて、自分色に染まった足元を見て「ここではないどこか」と叫んでいるような気がする。

 引っ越し癖のある人がいる、というのを読んだことがある。自分もそれに近いのだろうかと思う。一年間の逃げ回りで、やりたいことは一通りやって気が済んで、それでまた日本に戻って落ち着くのかと思いきや、そうならないのではないかという予感に怯えている。
  丁寧な生活をしたい、と繰り返し唱えていたのは、そうやってほうぼうを飛び回る生活が自分には魅力的に見えなかったからである。世界をまたにかけて活躍する人々、英語とドイツ語を操り、ドイツで起業をする人々。かつてキラキラして見えたそれらは、今でも変わらず尊敬の対象ではあるが、自分もそうなりたいと思えるものではなくて、自分もそうなりたいと思えるのは取り立ててアーティスティックな活動をしているわけではなく「日常」を丁寧に生きる人達のほうであった。いや、はっきり言ってしまうと、多趣味でアーティスティックな活動をしている人の、家事やその他の生活に手が回っていない様を何度か目の当たりにして、こうはなりたくない、と思った。それよりも、毎日掃除をして、きれいな空間を保ち、健康的な食事をして、家族や友人との団欒の時間を持つ、そういった生活のほうが眩しく見えたのだった。
 だが、それももはや無い物ねだりなのではないか?自分自身があれやこれやに手を出して飛び回りすぎて家事や家のことに向き合うことができない人間だからこそ、一つのところにとどまれない人間だからこそ、そういうことができる人が。それにやって保たれる家が、明屋の生活を維持してきた祖母が眩しく見えているだけではないのか?
 書きたいものと金になるものが違うというのはよくあることだが、自分の場合、書きたいものと書けるものすら違っており、それどころか「こうなりたい」という憧れと自分自身がきちんとできることというのもまた食い違っている。
 楽しいことをしよう楽しい生き方をしようという声はいろいろなところからあがっていて、とくにベルリンに移住したフリーランサーの人たちは、そういった言葉を頻繁に発信しているように思う。それはとても魅力的で、私もそうありたいと思ったし、今も思っている、のだが。
 日本に戻ったらやってみようと思っていることはある。憧れは、穏やかな生活だが、自分の性格とこれまでの人生を振り返ると、とても穏やかとはいかないような気がしている。住まいを転々とし、いろいろな仕事に手を出し、貯金残高に一喜一憂し、書きたいものが書けないと嘆き、自分色になった家から、日常になってしまった土地から逃げ出そうと物件を探し始める。
 もし億万長者になったらどうするか?の答えは未だに出ない。ドイツ滞在中期では「広くて心地よい家を手に入れたい」と書いた。それは本心だった。だが、手に入れても逃げ出したくなってしまう自分の姿まで見えてしまっている今、お金が潤沢にあったらどうするか、という問に対する答えがまったく見つからない。
 情報商材で億万長者になった知人が眩しく見えるのは、その収入の多さではなく、そのお金をどう使えば自分が楽しいかということを知っているからだ。それがもう、私には眩しい。
 一周して振り出しに戻ったと感じるのは、これが初めてではなく、すでに何度も経験している。でもそれは同心円状ではなくて、螺旋階段だったり、螺旋階段がさらにねじれて下に行ったり上に行ったりしているようなものなのだと思う。
 一年間、ドイツで動き回って気は済んだ。次はまた日本で、気が済むまで動き回るのだろうと思う。そしてまた「ふりだしに戻った」と頭を抱えるのだと思う。年を取ると体力がなくなるから、だんだんとそういう無茶もできなくなる、といろいろな人が言う。本当にそうだろうか。体力で活動範囲が狭まって、やりたいこととできることとの公約数が見つかるのなら、それが一番望ましいと思う。

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