【つらつら草子⑰】新しいクラスで

ベルリンに戻って新しい学校の夜の授業に通い始めたらクラスメイトにパレスチナ人とイスラエル人がいた。グァマテラから保育ボランティアで来ているという少女がイスラエル人の女性に「兵役は行ったのか」とドイツ語で尋ねた。行ったけれど、途中で精神を病んでしまって、というようなことを明るく答えていたように思う。
 オンラインテストでは「B2の後半」と言われた私のドイツ語は、案の定A2-B1クラスでもいちばん下手で、私はその会話を「たぶんこんなこといってるんやろな」と適当に判断しながら聞いていた。そのイスラエル人は3月に日本に行くという。別のクラスメイトは日本で英語教師をしていたというオーストラリア人の女性だった。日本は物価が高いでしょう、という話に、オーストリア人の彼女は、10年前は高かったけれど今は多分そうでもない、と話した。交通費と果物が高い、という話が出たので、りんご1個が1ユーロするし交通費は高い、でもレストランは高くないし美味しい、とドイツ語で説明した。りんご1個が1ユーロ、という話にどよめきが起こった。
 ハイデルベルクの小さな映画館でドイツ語吹き替えのワンダーウーマンを見た。パレスチナ侵攻をFB支持したとしてワンダーウーマンの主演女優が批判されているというのを知ったのはそのあとのことだった。カッセルのドクメンタに関する感想をメールにしたためている途中で、「例えば、パレスチナ問題を扱った『パラダイス・ナウ』のような危うさがない」という文を書いて消した。消したのは、メールがあまりにも長文になってしまったからで、その文で言いたかったことは未だに変わっていないしカッセルのドクメンタに対する批判的な気持ちも未だに消えていない、というのをベルリンの夜のクラスで思い出した。
 ドクメンタが面白いと思えなかったのは単純に私が英語もドイツ語も読めないからだという面がもちろん大きかったのだがその一方で、ドクメンタのことを教えてくれた知り合いや、ハイデルベルクで同じクラスだった美術学専攻という韓国人留学生も似たようなことを言っていたので、やはり批判は少なくないのではないかと思う。アジア人以外の感想はわからない。読んでも聞いてもいない。「模範解答がすでに出ている問題ばかりが提出されているような印象を受けた」と私は書いた。日本にいた知人は、知り合いのFBの感想を引用して教えてくれた。アテネから学ぶ、というテーマの意味を私が理解していないのは、ギリシャ危機がなんなのかということを理解していないことが大きいのかもしれないが、ドイツではまだギリシャ人と同じクラスになったことがない。ドクメンタで扱われるテーマが欧州に集中してしまうことは止む終えないのかもしれないがアジア人の目から見ればアジアはマイノリティなのだと思い知らされたしにも関わらず足を運ぶ日中韓の若者の多さが目についた。そういったあべこべさ、ギャラリーの一つはトルコ人街にあるにも関わらず観客にトルコ系移民らしい人たちが非常に少なかったことなどが、ドクメンタへのあり方の疑問となって残っている。ミュンスターの彫刻プロジェクトとあわせてこのあたりはまた書きたいと思っているけれども、その前にドイツ語や英語の感想も見なければと思う。ギリシャ危機。ドクメンタでもミュンスターでも、日本を扱った作品はあることにはあって、けれどその取り扱い方は若干嫌悪感を催すものであったということも、改めて整理して書き直したい。
 パレスチナ人とイスラエル人が同じクラスにいた、とハイデルベルクで知り合った日本人に送ったら、「イギリス人がいれば完璧だったのにね」と返ってきた。カナダ、オーストラリア、アメリカと、英語圏のクラスメイトには何度か会っているが、イギリス人には会ったことがない、とそのとき気づいた。
 兵役は義務か否かという話になり、兵役は拒否できるがその代わりの役務がある、という話になり、兵役が義務の国はどこがあるだろうかという話になり、みながいろいろな国の名前を上げるなかで私は「南朝鮮」と言った。南朝鮮。日本語だと「韓国」「北朝鮮」だがこちらでは「ズードコリア/ノルドコリア」である。ミサイル騒動の頃、ドイツのニュースはノルドコリア一色になっていた。ハイデルベルクの本屋では、ノルドコリア関連の本が平積みされていて、これは欧州人の関心の高さなのか、それともドイツ人がとりわけ関心が高いのかと首を傾げた。
 東ドイツにいたという年配の女性が東ドイツを指して「北朝鮮のよう」というのを聞いた。もしかしたら東西分断の記憶が南北朝鮮に投影されていることが、ドイツにおける北朝鮮への関心に現れているのだろうかと考えた。
 昨年4月に円高が進んだのは北朝鮮危機による部分が大きかったと記憶しているが、今年の円価予想は円安の一途のようで、あの4月の狂乱はなんだったのかと頭を捻る。為替のことはわからない。株価のこともわからない。わかるのは、もはや「日本が高いっていうのは昔の話」「日本はそんなに高くない」というのが欧州では常識になりつつあるということ、多分、東京五輪の頃にはもう「日本は安い」とはっきり言われ始めるのではないかというぼんやりとした予想。
 日本便利だし別に日本の雇用がまともなら日本で働くけど日本だとまともな企業少なすぎるからドイツにいたいドイツで働きたいという話をこちらでよく聞く。男はいらない子供はほしい子供育てるなら日本は無理だ、という話も。うなぎはもう滅び、籠池夫妻は勾留され続け、詩織さんの事件ですら黙殺される。日本がマトモなら日本でいい、気候が人に優しくなくて地震の多発する国であっても。なぜドイツに?と聞かれるたびに「海外に逃げたかっただけです」以上の答えが出てこないし、10ヶ月を経過した今、改めてそれがそれだけがいちばんの理由だったと痛感している。

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