【つらつら草子㉔】トランス イン ベルリナーレ

 世界中が平昌五輪で湧く中で、ここベルリンは国際映画祭、ベルリナーレ真っ最中である。「ベルリン国際映画祭でタガが外れて」と書いてから、「タガが外れる」の類義語を検索したら「トランス状態」と出てきたのでタイトルがこうなった。ベルリンなう。映画祭なう。トランス状態なう。
 もともとそういう傾向があるのだが、性格的に活発に動きすぎるときとそうでないときとの落差が激しい。躁鬱病なんじゃないかと思い、医者に聞いてみたこともあったが、日常生活が送れる範囲で、なおかつ周囲の環境によってそういった反応が起こっているのであれば、とりあえずは正常、いや正常と言えるかは分からないが、精神科で治療を要するような病気ではない、ということらしい。性格の問題。困ってないかと言えば困っているのだが、性格を変えるかうまく付き合うか。変えたいと思いつつ変えられないし、うまく付き合おうと思いつつ付き合えない。年を取ると体力が落ちてそういったエネルギーもなくなるとよく聞くが、私の場合は十代後半から二十代前半にかけてが最も体調の悪い時期だったせいもあり、年々暴走傾向が増していく。自分の限界が分からない。若いときにできなかった無理ができてしまう。当時はなかった金もある。時間もある。三十過ぎはまだ大丈夫だったけど三十五すぎるとさすがに体に出てくるよ、と年上の方々によく言われるが、それならなおのこと今のうちに暴走しないでどうする、という歪んだもったいない精神が出てしまってよろしくない。周囲には四十過ぎで私以上にぶっとんでる人もいるし、身内は長年の体調不良の原因が最近になって分かり、六十余年の人生のうちで今がいちばん元気、という生活を送っている。一般論として、年をとると無理が効かなくなるというが、それはあくまで一般論である。自分はどうなるのか。このまま全力失速で四十になるのか。五十まで行ってしまうのか。「六十過ぎてもピンピンしてたけど八十過ぎたら流石に辛くなってきたねえ」と昭和十年生まれの祖母が言う。母や叔母に、病気や風邪で寝込んだのを見たことがないと言われる祖母である。自分はこの先どうなるか。二十代に入ると同級生や親の世代の訃報が増えた。明日突然逝かないとも限らない。そう思えばなおのこと、暴走は悪化する。疲弊する。収拾がつかず自己嫌悪に陥る。病気ではない、と医者は言う。厄年である。本厄である。具体的に何が起きてるのかというと、ここにきて舞台や映画に行きまくっているのである。残り一ヶ月という焦りからの暴走っぷりに、そんなことないのになあと思いながら聞いていた「Aさん旅人ですよね」「フットワーク軽いですよね」という言葉が当たっていたことに気づく。とうか日本でもそうである。思い立って唐突に夜行バスで向かった出雲。東京出雲間は12時間なので、東京フランクフルト間と同じである。私にとって東京とドイツの時間距離は東京と出雲と同じである。石牟礼道子さんの訃報を聞き、まだ行ったことのなかった九州にも行かねばと思っている。水俣の海、熊本文学隊、橙書店、「ペコロス」の長崎も見てみたい。多分また唐突に思い立って九州に行くことになるような気がしている。

 話は戻ってベルリナーレである。ベルリン国際映画祭のことをベルリナーレと言う、ということを、映画祭が始まってから知る。何がやってるかわからないけど、1本ぐらい見られたらいいかなあ、岡崎京子のリバースエッジ大好きだから、それ見られたら十分かなあという程度の気持ちだったのだが、オンラインチケット12ユーロでリバースエッジを鑑賞したあと、当日券が学割6ユーロで購入できることを知り、現時点で3本鑑賞済みである。最終日の明日は小津安二郎を見に行きたい。
 ドイツ人が、なのか欧米が全体的にそうなのかわからないが、ドイツ人は笑いの沸点が低い。始めてそれを感じたのは、日本で見たドイツ映画祭で、ドイツ人比率の高い会場では、私が驚くような場所で笑いが起こった。こちらに来てから、ドイツ映画は一本も見ていないという体たらくなのだが、ハリウッド、フランス古典映画、日本映画、どれを見ても、ドイツ人めっちゃ笑う。
 今回のベルリナーレには日本のピンク映画も来ているそうで、実はめちゃくちゃ見に行きたいのだが、他の映画を見に行っていたらタイムオーバーになってしまった。明日もやっているのだが、ベルリナーレをピンク映画で占めるのはちょっと…!!という気持ちが強く、小津の当日券に並ぶ予定である。しかし、日本の映画館でピンク映画を見るのはどう考えてもハードルが高く、また笑いの沸点の低いドイツでのピンク映画に対する反応にはとても興味がある。その観客の反応を知りたいがための、その空気を知りたいがための、映画館である。帰国したらベルリナーレに来ていた3本のピンク映画をレンタルしようとは思っているが、やはり家で一人で見るのと、ベルリナーレで見るのとでは全く意味が違ってしまう。ベルリナーレでピンク映画を見ることについての魅力を書き綴っているうちに、見に行きたい気持ちが高まっているが、明日は小津。東京暮色。変態家族もほぼ同時刻だからハシゴはできない。変態家族の英題はアブノーマル・ファミリー。タイムテーブルを見ていて、「は、アブノーマルファミリー?なにこれ?」と目を留めて原題を見たら日本映画だった衝撃。欧州で再評価されつつあるという話を読んだが、ベルリナーレの観客はどういう反応を見せるのか。とても気になる。けれど明日は小津に行く。変態家族ではない。絶対。

 その合間にバレエを見に行く。初バレエ、初ドンキホーテである。端的に言って最高であった。一回見られれば十分だよなと思っていたのに気づいたらリピートチケットを買っている。もう一度見られるチャンスが一度しかなく、その日は最後の旅行に行く予定だったので、現在予定がガッタガタになり、大パニックを起こしている。大パニックの勢いで「これはもう文章にするしかない」となっている。前回の筆の乗らなさはどこへやら、今日はノリッノリで書き進めている。ノリノリというかパニックと軽度の躁状態からの現実逃避と暴走である。旅行の計画を立て直さねばならない。ハンブルクに行く、と話したら先生からミュージカルに行くことをオススメされて、さらにパニックになっている。ミュージカルはまだ見ていない。ハンブルクでは少し前にダンスオブヴァンパイアがやっていたが、現在はライオンキング、アラジン、メリーポピンズである。どれもわりと興味ない。興味ないが、せっかくだし、という気持ちにもなっている。チケットは安くない。ベルリンでフィルハーモニーやバレエやオペラが20ユーロ程度で見られてしまうのを思うと、ハンブルクのミュージカルの額は高すぎるように思う。最安値が50、今チェックしたらそれらは売り切れ、最安が70になっていた。70あればドンキホーテがS席で見られる。ハンブルク、マジ高い。
 
 誕生日前日に負傷した足はまだ完治しておらず、腫れ上がっていた部分は収まったものの、痛い部位が若干ずれて、鈍い痛みが残っている。靴下を脱ぐと、打ち付けたところはもうなんともないのに、どういう状態なのかわからないが、そこから円状にアザが広がったようになっていて、親指を除く四本の指と足の側面に、青黒い線が入っていた。これはハンブルクは自重しとけということだろうかと考えつつ、それでも行っちゃうんだろうな自分、などと考えている。
 ベルリンの別のオペラハウスでドン・ジョバンニがやる。全く知らなかったのだが、調べてみるとモーツァルトの傑作とあり、素人でも楽しめる作品らしい。そしてこれも、見に行くタイミングが難しい。
 ストリートプレイはハイデルベルクの小劇場で見たきりで、ベルリンでは一度も見ていない。いっそハンブルクで見てくるか。「一本見られればいいかなあ」だったのが、ここに来て舞台の面白さとチケットが簡単に取れることに気づいてしまった結果、タガが外れまくっている。トランス・イン・ベルリン。
 風呂がない温泉がない日本帰りたいと思っていたのに、その気になれば毎日でも舞台に行けてしまうベルリンの環境に、ここに来てドハマリしている。現代劇をやっている小劇場もたくさんあって、ポエトリースラムも行きたいのに結局一度行ったきりになっている。
 情報過多でパニックを起こす性格なのは自覚していた。ベルリンに来たとき、日本のように膨大な広告がないことに安堵して、情報の並に飲まれずに済むと感じた。けれど、情報の見方を覚えてしまえばこのザマである。便利さと活発さは、情報の取捨選択のできない人間には毒である。そう思って東京から逃げようと考えていたのに、ここにきて「地方住みだと美術館とか舞台とかいけないじゃん……」と考え始めてしまっているのである。
 落ち着け。落ち着け自分。やりたいことは小説で、文章の仕事ができればよくて、ネット中毒とネットサーフィンはなんとかせねばと思っている、のに、ほしい情報はインターネットが必要で、インターネットがあれば舞台や映画の情報なんかも得られて、ベルリンならそういったものへのアクセスも容易で、日本ならやはり東京になる、けれどそもそもその情報に振り回されている状態がよいのか悪いのか。
 今日見ていた映画は「あみこ」という60分程度の映画で、監督はベルリナーレ最年少記録を打ち立てた人である。映画を撮るために大学に入ったが、学校で学ぶことにあまり魅力を感じられず、二年目で休学して撮影したのがこれということである。「小説を書き上げるためにどっか所属した方がいいかもしれない」とか考えている自分にはこの若手監督が本当に眩しい。めっちゃ眩しい。突き刺さりすぎてマジやばい。「あみこ」の中で、やらなきゃいけないことを誰かに決めてもらったほうが楽、というようなセリフがあったような、気が、する。違うかもしれない、けれど、自分であれこれ考えて選び取らなきゃいけないよりもやるべきことが目の前に提示されてそれをこなしていくほうが楽だよね、という趣旨のセリフだったと思う。
 自由を行使するには自由を行使するための訓練が必要で、日本の教育がそもそもそういった方向に向いていない、そして私も例に漏れずその自由を行使するのが下手くそな人間である、ちくしょう、と書いて、そうは言うても仕事やめて一年ドイツに飛び出してここに来て舞台三昧してるやつが「自由を行使するのが下手なんです…」って何言うてん、とも思う。ほんまに。
 交通機関にしろホテルにしろミュージカルにしろハンブルクの予定立てないとまずいんですが、明日の小津の当日券は9時からだそうなので、もうそろそろ寝ないとヤバイ。最近は学校が12時からで、10時過ぎに起きる生活を続けていたので、小津作品のためにとても健康的な生活に引き戻されるという状況に陥っている。変態家族には行かない。東京暮色で締める。ピンク映画は諦める。あとで独英の感想をググります、ツイッターとかで。


追記
 当社比というか自分の身内でここまでのタイプがいないのでちょっと自分暴走しすぎでしょうって思ってしまうのだけれど、こちらに来てから知り合った人たちは「3泊4日の旅行中に、同じ舞台を4回見て、その後もう一度別の友人と旅行に行き、さらに2回見た」とか「カナダ留学中に同じ舞台を3回見た」とかツイッターアカウント名の末尾が「エヴァンゲリオンN回鑑賞」になっていて、最終的にそのNが5とか6とかになっていた人とかを見ているので、ハンブルクでミュージカル二つ見ちゃおっかなとか思ってる私なんてぬるいぬるいと思い直しました。しかし、まあ、金銭感覚とか価値観とかってほんと人によって違って、価値観の違う人とぶつかったときに「私…おかしい…?」とかパニックになってしまうのよろしくない本当に。
 トランスなうな私の状態にしてもそれ全然トランスじゃないじゃーん、という人もいるだろうし、けれど当社比では十二分にトランス状態です。勢い余って記念受験で試験申し込んでしまったけれど、ドイツ語の勉強はどこに行ってしまったのか。ドイツ語はどこまでできるのか。帰国後にドイツ語は続けるのか。全ては闇の中である。(ノリがミクシイ時代と同じになってきたなと思いながら、無理やり締める)

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