【つらつら草子⑬】 貧乏性と高等遊民-1

 どう生きるかというのはどう金を使うかということだ、と上がり続けれるユーロを見ながら考えた。私がメインで使っているカードはプリペイドで、日本円で入金したものをインターネット上で換金するというものだったから、130円を超えたユーロを見ながら、四月の時点で換金しておかなかった自分を呪い続けている。
 この一年は多少無駄遣いしてもかまわないだけの貯金を携えて開き直って使ってしまえとの覚悟で渡独したわけだけれど、根がとにかく貧乏性なので、レストランは入らない、なるべく安く済ませたい、学校も部屋も安ければ安いほうがよく値段と質とのバランスとにらめっこしながら節約と浪費を繰り返している。そうしながら、もし金が無尽蔵にあったら自分はどうするのだろうと考える。
 スーパーの買い物もカフェの飲み物も学校も、金に限りがあると思うから選ぶわけでそれは住まいにしても同じなわけで、けれど金に限りがないという状態が想像できない私としては、その制限がなくなったとしても安く済むなら安くしようと、不要な努力を続けている気がして、適所適所に金を投じる親戚の姿など思い浮かべては、自分の貧しい庶民感覚が情けなくなったりする。
 日本の大学に行けるだけの金があるとして、その金で日本の大学に行く人もいれば海外留学をする人もいて、大学ではなく専門学校に進む人もいて、逆に金がなくてもそういったものを志す人もいて、じゃあお前はなんなんだ、と自問自答を繰り返す。
 日本にいて、まだ金のないころ、世界旅行を紹介する番組などを見て「金と時間があればなあ」と思った。NHK地球ラジオで、バイクで大陸横断をする人のインタビューを聞いて、「金と時間と体力があればなあ」と思った。けれど当然だが世の中の富豪のみんながみんなクルーズ船に乗るわけでもなく世界一周旅行をするわけでもなく、必要なものを見極めながら、金をつかって身体と時間を費やしている。
 宝くじが当たったら、と夢想することが増えたのは、現実逃避ばかりではなくて、金があったら何をするかと半ば真剣に考え始めたからでもある。一億円、という額は一般的な正社員男性サラリーマンの生涯賃金よりも少ないのだから大した額ではないとは思うがそれでももし一億円好きに使えるとしたら、まず土地を買い家を買いたいと思う。けれど、土地を買い家を買うにも知識が必要で、それを誰かしらに委託するにしてもそれだけで済むはずもなく、買ってしまえばその後の維持費も面倒、死後の処理も面倒、地震など起きたらどうなるのかと考えるのも面倒、面倒というよりそれに費やされる時間を思うと、何をするにも時間は消費されていく、と当たり前のことに思い至るのである。
 知り合いというほどの知り合いでもないが、同世代ではかなり金を持っている人を知っている。いわゆる情報商材で大当たりした人で、インターネット上でその人のハンドルネームを検索すると、実在を疑う声さえあるような人物なのだが実際に会っているのだから実在してはいるのである。そして今はわずかな時間を仕事に費やし、旅行、グルメ、さまざまな趣味に時間を費やしている。その人はインターネットで訴える。我々の持つ時間は少ないと。金のために働いている時間などないと。会いたい人と会い、食べたいものを食べ、行きたいところに行く。その人のその言葉が私にとって嫌味に聞こえないのは、その人自身が貧困経験者だからで、学生時代に3Kの職場で日銭を稼ぎ、一生こんな仕事をしていくのは嫌だ労働者にはなりたくないと逃げ回りインターネットで金を得る側の人間になったその人の生き様は、一種の清々しささえ覚える。詐欺すれすれと言われかねない、実際法的にどうなっているのかわからないその商売は、それでも例えば海外からの出稼ぎ労働者を実習生と称して奴隷のようにこき使って得た金ではなく、若い新入社員に過労死や自殺を強いてまで得た金でもなく、金のある連中が道楽で、興味本位で払う金で成立している。3Kの職場から逃げ出したその人が3Kの職場の社長になり左うちわで生活、となればそれはさすがにちょっとと思うが、そうではないという点において、私はその人の生きざまを肯定的にさえ受け止めている。
 
 ハイデルベルクまで来て夏目漱石の「それから」を読む。漱石作品に出てくる高等遊民という連中がどうも苦手で、そうは言ってもだれがお前の食う飯を作っているのだと水呑み百姓の末裔は自分で百姓をしたこともないのに思ってしまうのが常だったのだが、自分が一年働かずに語学学校に通いつつ遊び呆けるという暮らしをするに至って初めてすんなり読むことができた。それどころか非常に面白く読めた。夏目漱石を読もうと思ったのはいくつか理由があった。少し前、一週間だけロンドンに行った。親戚や友人がこぞって絶賛するロンドンだったが、残念なことに自分には合わず、なぜ合わないのかといえば単純に都会が好きではないということ――ベルリンは首都のくせにぜんぜん都会でないところがいい――太平洋側の関東平野育ちのためにとにかくお天道さまが大好きだということ(ロンドンはとかく曇りがちである)、食事もまずくはないのだがどうにも自分に合わなかったこと、なにより、英語よりもドイツ語の方が喋れる状態になっていたのに、英語圏では「母語」も「国際共通語」も英語だから、英語の圧があまりにも強すぎて英語嫌いにさらに拍車がかかってしまったこと(英語圏の旅行は、このイギリス旅行が初めてであった)・・・・・・書き出すと、どう見ても私自身の問題の方が大きいのだが、なんにせよその一週間、ロンドン合わないと呻いている折に、ロンドンで神経衰弱になった漱石のことが頭に浮かんだ。ついでに、海外で読んだ漱石で文学に目覚めたという知人を思い出した。二年間英語圏の国に留学していたという知人は、それまでは近代小説などまったく読んでいなかったが、英語漬けの生活の中で日本語に飢え、実家から送ってもらった何冊かの本をむさぼるように読んだ。初めて文学が面白いと感じた。そのとき読んだのが漱石だった、という話であった。ベルリンに大いに感動していた森鴎外とは対象的に、日本で「漱石が壊れた」と言われるほどに神経衰弱に陥った漱石。そんな話があったから、青空文庫で漱石を引っ張り出した。「草枕」で描写される日本の風物に心乱され、温泉宿の風呂を指す「湯壷」という表現に恍惚とし、ツイッターで延々と「くさついきたいおんせんがたりない」とうめき続けた。そのあとで「それから」を読んだ。あらすじはもう知っていたから、高等遊民にもなれない自分を持て余している今の自分にちょうどよいだろうと思ったのだ。いや、ちょうどよいだろうというやんわりとした判断ではなく、「どこかに答えがないですか」という切実な思いの方が強かったかもしれない。そんなわけで漱石である。青空文庫のボランティア作業員の方々には足を向けて眠れないと思う。文体がなんだか古風になっているのは漱石を読み漁っているせいである。伊藤比呂美を読めば伊藤比呂美に染まる。森見登美彦を読めば森見登美彦に染まる。翻訳文学を読めばなにやら読みにくい文が生まれる。これで物書きになりたいと言うのだから笑ってしまう。ほんとうに真似たい文体は中上健次と黒田夏子である。

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