【つらつら草子⑮】カミカゼの用例

 道路を逆走するドライバーのことを、俗に「Geisterfahrer(ガイスターファーラー)」と呼ぶ。「Geister(ガイスター)」は「ポルターガイスト」の「ガイスト」で、直訳すると「幽霊ドライバー」になる。このスラングについて先生が説明していたとき、スペイン語圏出身の二人が「カミカゼのこと?」「ああ!」と話していて驚いた。スペイン語圏、と書いたのは、スペインもチリもメキシコもアルゼンチンもベネズエラもスペイン語圏だからで、スペイン出身の生徒は一人しかいないにも関わらず、クラスの半数近くがスペイン語を話す。ポルトガル語が母語のブラジル人も話す。そんなわけでスペイン語圏と書いたのだが、このとき話していたのはスペインとメキシコ出身の人で、どちらも数年間ドイツに滞在していたから、それがスペイン語圏のスラングなのかドイツ語のスラングなのかわからなかった。
「カミカゼっていうの?」とクラスで一番拙いドイツ語で尋ねて見たら、「Geisterfahrer」の説明を始められてしまい、ちがうそれは理解してるんだとうまいこと説明できず、ダンケと言って終わってしまった。
 自爆テロを行うテロリストが「カミカゼ」と表現されることは知っていたが、カミカゼが日本語の特攻隊に由来しているということすら知らないままに、スラングとしての「カミカゼ」が広まっているのだろうかと思った。スシ、ツナミ、カローシと、世界共通に使われている日本語はいくつもあるが、すべての日本人がリュックサックの語源がドイツ語だと知らないように(だから、日本人にとっては当たり前に使われる「リュックサック」という言葉で、他の欧州勢が「Tasche(鞄)とRucksack(リュックサック)はどう違うんだ」と質問していたりすると、面白く感じてしまう)また、ネットスラングとして広まってしまった侮蔑語が、語源を知らないまま若者に使われていたりするように、「カミカゼ」もそのように使われているのだろうかと思った。たとえば、極端に危険な行動をする人を指して「カミカゼ」と言う、といった具合に。
 こちらで親しくなった、日本文化を研究しているドイツ語の先生にカミカゼについて尋ねてみると、先生はそのスラングは知らないと言い、「カミカゼは天気でしょう?」と言った。言われて、そうだそもそも特攻隊を指すカミカゼの語源は神風で、元寇のときに吹いたあの風を指して神風と言ったはずで、今のアラサー女子の子供時代の人気をかっさらっていった「神風怪盗ジャンヌ」の神風も、「神の風」であったはずだった。当時、漫画のタイトルを見て、特攻隊を連想することはなかったし、連想するとしても元寇の方だったように思う。
 先生と話していたのはカフェで、注文したケーキがフォークの刺さった状態で運ばれてきたのを見て、「久しぶりに見ました、ドイツってフォーク刺す文化ありますよね」と言ったら、それは「unhöflich」だと教えられた。「höflich」は丁寧、礼儀正しいという意味で、否定の「un」がつくと、無礼な、失礼な、という意味になる。そういう文化があるもんだと信じ込んでいた私は軽い衝撃を受けた。

 カミカゼの用法に戻る。先生は知らなかったが、若者の使うスラングなのかもしれないと思い、ハタチになったばかりのタンデムパートナーに尋ねたら知っていた。彼は「でもそれはあまりいい言葉ではない」といった上で、「(特攻隊の)カミカゼとGeisterfahrerは違う」と言った。それはまあ違うだろうと思って聞いていたら、彼は「Geisterfahrerは普通、酔っ払ったり、うっかりしてやってしまうものだけど、カミカゼはそうじゃない」と日本語で言った。そう言われてようやく、「Geisterfahrer」がカミカゼと呼ばれるのは、その無茶な行為故ではなくて、「相手に突っ込んでいく行為」というところを指しているのだということに気づいた。そして、おそらく「うっかり行うものよりも、自覚的にわざと行う行為の方が罪が深い」と思われているということも感じた。
 そういった用法も記事になっているだろうかとウィキペディアを開いてみたら、自爆テロで用いられる「kamikaze」の説明に次いで「日本でも戦後、乱暴な運転を行うタクシーを『神風タクシー』と呼んだ例がある」と出てきて驚いた。さらに検索をすると「アメリカ発祥のカクテル」というのも出てきた。各言語の記事の中でなぜか英語版のカクテルの写真だけ違うのでよく呼んでみたら、「IBA公式
カクテル」とある。「IBA」とはなんぞやと思ってリンクに飛ぶと、国際バーテンダー協会とある。ウォッカ、ライムジュース、ホワイトキュラソー。こちらのカミカゼの語源は特攻隊の方である。
 今の部屋にはテレビがないが、最初に住んでいた寮は個室にテレビがあって、部屋にいるときはずっと付けていたのだけれど、かなり頻繁に第二次世界大戦中の日本についての番組をやっている局があった。そのときは夏だからかなと思っていたのだが、その後ドクメンタを見に行ったカッセルの、バス待ちをしていたマクドナルドのテレビがずっと戦中の日本についての番組を流していた。カミカゼ、ヤーパン、ヒロシマと、分かる単語しかわからないが、頭上で流れる日本の話題に落ち着かず、何度もテレビを見上げていた。ドイツでは恒常的にこうした番組が流れているのかもしれなかった。

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