【つらつら草子⑧】寮の話1

 ハイデルベルクで最初に住んだシェアアパートは、中心地からバスで三十分の山の中腹にある巨大な団地の一部屋で、移民らしい人達が多く住んでいた。移民らしい、というのは実際の国籍などはわからないからで、ムスリム系の家族も住んでいたし、出身はわからないけれどスペイン語を話す人も多かった。黒人家族もいたけれど、それほど多くない。ドイツ語を話す白人になると、移民なのか移民二世なのかドイツ人なのかわからない。ムスリム系でもドイツ国籍の人もいるかもしれない。だから正確な比率などは分からないけれど、「移民らしい人」の方が多く住んでいるという印象の場所だった。その団地の何部屋かを、学校が借りて学生に貸している。
 二十階近くまである建物のエレベーターは、登っていくときにガタガタとゆれ、いつもゴンドラに何かがかすっているような音がした。エレベーターが壊れて閉じ込められたら、ワイヤーが切れていきなり落ちたら、とつい想像しながらエレベーターに乗る。乗ってきた白人の老人に「中国人か」と聞かれる。日本から来たと答えると「中国も日本も同じだよね」というようなことを言われる。いや、違うよと否定しようとしたが、なぜかこちらが否定される。同じ東アジアという地域だ、と言ったのかもかもしれないが、正確には聞き取れなかった。
 着いたときはちょうどラマダンの始まったころで、ドイツ式の数え方で十階、日本の十一階にあたる場所にある私の部屋まで毎晩宴会騒ぎが聞こえてきた。六月、ドイツの夜は明るい。サマータイムになっているがそれでも夜十時過ぎまで明るい。日本では「明るいうちから酒」というと、早い時間から飲む酒のことだが、こちらでは「明るいうち」がすなわち昼間や夕方を指すわけではないのだと知った。
 ラマダンは静かな印象があるけれど実は夜は宴会なんだ、というのは読んだことがあったけれど本当に宴会で、パーティーで、夜間に騒がしくしてはいけないという法律はどうなったんだろう、と思うほどだった。もっとも、ベルリンでも週末の夜は公園で夜通し音楽が聞こえていたし、そもそも電車も一晩中通っているしで、この法律の適用具合がよくわからない。静かな住宅地で大きな音を出せば怒られるだろうとは思う。
 住み始めてしばらくは、それがラマダンなのかただのバーベキューなのか判断がつかなかったが、ラマダン月の終わりとともに宴会はパタッと止んで、ラマダンだったのだとあとからわかった。
 当たり前といえば当たり前だが、ドイツでは仏教徒よりイスラム教徒の方が多い。モスクはあっても寺はない。もちろん神道は日本独自のものだから神社もない。(だがハイデルベルクにはなぜか鳥居がある。誰が建てたのか、こちらの人に聞いても分からず、存在すら知らない人もいる鳥居が、山奥の遊歩道の門的なポジションで建っている。柱の内側には「和」の文字が彫られている。)
 ドイツのキリスト教徒からすれば、イスラム教やユダヤ教よりも仏教のほうがマイノリティで、脅威ですらなく、だからこそこれといって攻撃対象にもならないのかもしれないとぼんやりと思った。

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