【つらつら草子⑭】貧乏性と高等遊民-2

代助「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。」(夏目漱石「それから」)
私「それな」
 仕事はさほど嫌いではなかった。ライターとも編集者とも校正校閲者とも名乗れない、自分の書いたものに自分の名のはいることなど一度もないような仕事だったが、一応は文を書いて生きてきた。文を書くのは嫌ではなかった。けれどもいろいろと嫌になった。
 元気であるなら働いたほうがいいんだろうと思う。自分の世話はなるべくなら自分でできたほうがよいだろうし、自分の食い扶持は自分で稼いだ方がいい。自分の飯を自分で作り、食べ、洗い物をして洗濯をして部屋の掃除をしてまた働く。かといってじゃあその仕事が明らかに劣悪で神経をすり減らすばかりのものならそんなんやらない方がいい。3Kの職場から逃げ出して情報商材で稼ぎ始めたあの人は賢い。志がどんなにあってもそれを逆手に人間がすり減らされてはしようがない。
 祖父母から貧しかった時代の話を聞いていた子供の頃は、そうやって歯を食いしばって百姓をして食っていた時代があるのだから自分もそうあるべきだと思っていたけれども、氷水に浸かった牡蠣の殻剥きを手の感覚がなくなるまで毎日やらなければいけないというのは自分の食う牡蠣のためではないしそれをしなければ牡蠣が食えなくて死んでしまう人が出るという話でもない。それで高い給料が出れば辛さの対価として十分だろうが、それで低賃金なのでは、社会が悪いとも言いたくなる。(牡蠣の話は件の知人の話であって私の話ではないが、海外からの実習生制度でも似たような話を聞く)
 そんなことを考えてドイツに逃走してみた三十代に「それから」が染みる。めっちゃ染みる。今これをハイデルベルク大学の図書館で書いているわけだが、今読み進めている「三四郎」も、東京に出てきて右往左往する三四郎の姿に「欧州に出てきて右往左往する自分」を重ねてしまってとてもヤバイ。(語彙力)
 ハイデルベルク大学は名門大学である。ドイツの大学には入試がない。ギムナジウムの卒業試験さえパスすれば、どの大学にも入れることになってはいるが、人気の学部は成績がよくなければ入れず、ハイデルベルク大学はその「成績のよい学生」の寄り集まっている大学だ。そして学費は無料である。ドイツだけでなく世界中から留学生も集まっている。もっともドイツは移民が多いから、その人がドイツ人なのか、幼いころに移住してきたドイツ国籍を持つ移民なのか、学部留学生なのか、はたまた短期留学生なのかは外から見ても判断はつかない。私の二人のタンデムパートナーはどちらも幼少期にトルコから家族できたというトルコ系移民である。ドイツも就職は大変だというけれども世界的に知名度のあるハイデルベルク大学を卒業するエリートなら、大学卒業後に日雇いの工場バイトで日銭をかせぐようなことはしなくていいのだろうなと思う。日雇いの工場バイトでマスおにぎりの丸いピンクのマスを甘酢に漬け込む作業をしていたのは私である。
 タンデムパートナーの一人は、自分はドイツとトルコ、二つの国籍を持っていると話した。日本人ではそれができない。だからカズオ・イシグロはイギリス人である。弟から「ノーベル文学賞はそっちでも祭りになっているのか」と聞かれて本屋を巡った。特集のようにコーナーを設けていたのは一軒だけで、ハイデルベルクでおそらくいちばん大きいであろう本屋では、「BOOK」のコーナーに平積みされているだけだった。その平積みされている本をめくっていたら、通りがかりの男性に「カズオ・イシグロというのはアジアの名前だ。中国か」と英語で聞かれた。「カズオ・イシグロは日本の名前だが彼はイギリス人だ。小説は英語だ。彼の両親は日本人だ」とドイツ語で返した。ドイツでのカズオ・イシグロの知名度がわからない。あとで、ハイデルベルクに旅行中の外国人だったのではと思いつき、ドイツ語ではなく英語で返すべきだったかと思ったが、英語がしゃべれないのだから仕方がない。
 多和田葉子という芥川賞作家のことをこちらに来てから知った。日本では小説家としてデビューし芥川賞を受賞しているが、日本語の小説よりもドイツ語の詩集の方を先に出版しており、ドイツで多数の文学賞を受賞している女性だ。ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」の電子書籍版を購入した勢いで、多和田葉子の小説も買った。ドイツを舞台にした「ペルソナ」は、ひどくヒリヒリとして感じられた。部屋に引きこもってはなはだ不健康な状態での読書だったが、いまここで読めてよかったと自分に言い聞かせたりした。渡独するまえ、外国の言葉でものが書けたらと思っていた。成人してから学んだ言葉で文学作品を書き残した作家はいる。「悪童日記」のアゴタ・クリストフもそうで、ハンガリーからフランスに亡命をして、フランス語がまったくわからない状態から、世界的ベストセラー作家になった。一段落したら多和田葉子の詩集を買おうと思う。そして読もうと思う。
 仕事の話から話が方方に行ってしまったが、帰りのバスで三四郎を読み進めようと思う。ドイツ語の勉強は滞っている。小説は進まない。明後日からはクリスマスマーケットが始める。クリスマスが終わって年が明ければ本厄が終わる。来年は後厄である。生き延びただけで及第点としておきたい。

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