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石原七生×三村養蜂場の、コラボレーションについて②

石原がなぜファッションとコラボレーションするのか書いていこうと思う。
の2回目。

私は画家で、絵しか描かないので、別のかたちのものは作り出すことができない。
それでもいいと思っていたのだけど、私の作る速度がとても遅く、「完成」が実ることが少し遠いように思っていた。

絵を描く速度が遅いことに加えて、当時あまり頼まれ仕事もなく、作品を作る上でなにか他者からの介入が少ないことを感じていた。
自分の中の意外性の貯金が尽きた、インプットの種類を変化させたかった…とも思っていた。
巡り合わせとも言える出会いもあり、コラボレーションを打診してみた。
モデル、ファッション、撮影、全てが繋がっていて巡ってきた関係性という、ちょっとした奇跡もコラボレーションを後押しした。

↑画像
「三村養蜂場の」が手がけたテキスタイル

https://www.mimurayohojono.com

もちろん私が装飾的なテキスタイルを好んでいて、ファッションに少しこだわりがあったので「やってみたかった」というのはある。
それはそれとして、コラボレーションがもたらしたものとは何か?ということを書いておきたいと思う。

○描いた絵の画像を人に任せて(ほぼ)好きなように触られて、自分のこだわりとは違う部分を切り取られ再構築され提示されること。
(自分の癖や画面構成にいい意味で刺激というか打撃がきた)

○支持体も柔らかい布に変化し、服として立体になる。人に着られることでイメージが変形する。つまり私の作ってきたものが異なった価値観で破壊されるということ。
(纏う絵画体験、実用と鑑賞、装飾と絵画、なにか価値観が往来する感じ)

○どんなにコントロールしようとしても絶対100%思い通りにはいかない。
大人数ではないが違う個性が重なれば重なるほど予想を超えていく未知数の体験。もちろん大きく失敗するリスクもあったけど。
(一人では作れないものに関わる代え難い面白さ、ジャンルを越境していくことで意固地なところや抵抗感がなくなっていく)

○チームでものを作る楽しさを知る。1人ではできないことができる。
違う個性を理解して、信頼して任せられるという頼もしさ。きっちりと仕上がった洋服、小物に手仕事の魔法を感じることができた。
(可能性を捻出したんじゃないかという気持ち)

○私は画家として「注文される側」、「依頼される側」しか想定していなかったけど、自分自身が「依頼する側」に回ったこと。
コミュニケーションの矢印がいつもと逆になる体験だったのではと思う。
(まだまだの部分も多いけど、自作の注文に対して、頼まれ仕事に対してのやりとりがだいぶ成長したと思う。)

撮影: si-cotography
モデル:私の絵のモデルにもなってもらっているc嬢

③に続く

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