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「わたし」を見つけたフィリピンとの出逢い

このお話しは、
ずっと他人の中の私を演じてきたわたしが
わたしのまま生きられるようになるまでのおはなし。

~you+ わたしの人生を変えたフィリピンとの出逢い~

都会の真ん中で4人家族の長女として生まれたわたしは、
頭がよくて、放任主義の両親のもと、元気に育った。

褒められるのが好きで、根がまじめに育ったから、
ご近所さんに元気に挨拶をするし、
校則なんかもスカート丈まできっちり守るそんなわたしの学生時代。

女子特有?の人間関係の中で鍛えられ、
学校で自分の居場所を確保するため、周りから好かれるか嫌われるか、
そんなことを気にしながら過ごした高校までの6年間。

そこで身に付けたわたしの特技は、
相手が思い描く『わたし』に合わせたわたしで接すること。

「いつも明るくて、悩みのなさそうだよね~」って思われてたら、
悩みのない元気な私。

「相談にしっかり乗ってくれて、面白い私が好き」って思われてたら、
相談に乗りながら、笑いも忘れないそんな私。

ぴったり相手の期待通りのわたしが演じられなかったとしても、
ここで大事なのは、期待の範囲を外れないこと。

違和感をもたれないこと、嫌われないこと。

わたしは、いろんな失敗を繰り返しながら、
居場所確保のために、出てはいけない線を引き、しっかり守って生きた。

そんな中学を卒業し、
都心ど真ん中の高校に進学、周りを見渡すと、
偏差値は同じくらいだけど、地元や趣味が全く違う同い年たちとたくさんであった。(1学年320人)

制服が自由で誰もが誰にも合わせない(というか合わせる方が難しい)、
そんな環境と人数の多さに身を置いた3年間。

3年間の中でわたしの動ける範囲は広がったけど、
相手の中のわたしを見る癖は抜けなかった。

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2014年、大学に入ると、世界が100倍くらいに広がった。

誰も制限をかけてこないけど、全部自分で選んでいかなきゃいけない世界。
それが入学当初のわたしにとっての大学という場所だった。

クラスがなかったから、いつも自動的に一緒にいる人がいなくなった。
人間関係より、大学生活に慣れるのが必死だった大学1年生前期、
わたしは、ある学生団体に入部した。

これがフィリピンとの出逢いのスタートだ。


その学生団体は年に一度、夏休みの3週間をかけてフィリピンに渡航し、
国際貧困ライン(1日1.25ドルで生活)を下回る生活をしている離島に赴き、
小学校で授業をするかたちで教育ボランティアを行う団体だった。

なにもわからない中、島で待つ子どもたちのために準備に明け暮れた4か月。
夏の暑さがピークにさしかかる頃、ようやく迎えた渡航本番。

2014年8月、フィリピンに到着した。
ボランティア先はセブから船で1時間のカオハガン島。

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カオハガン島での10日間。
それが「わたしを変えるフィリピンとの出逢い」だ。

カオハガン島には水道、電気、ガスが通っていない。
(都会育ちのわたしには耳で聞いても理解のできない情報だった)
そんなカオハガン島のライフラインは雨水、カセットコンロ(または火)、島に一つの発電機(17時~22時の間、壊れていなければ電気が点く)。

そこで島の人と同じ生活を同じ家でする。
寝るのは竹のベッドかベニヤ板のうえ、お風呂は海と雨水、
真っ暗な夜の中の満点の星、月明かりの明るさ。

今までの「普通」と真逆の生活が始まった。
もちろん英語はほとんど通じず、コミュニケーションは笑顔と仕草。

いつご飯が出てくるのか、お風呂はどうやってどこで入るのか。。。
自分が生きるために必要なものが全て自分で出来なくなった瞬間だった。

そんな環境で小学校での授業やアクティビティをもりもりやりながら過ごした怒涛の10日間。

10日後に残ったのは、
心から家族と思ってしまえる血の繋がっていない家族と、
大好きな人たちしかいない心のふるさとだった。

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そんなフィリピンの旅を終え、日本に帰国。

団体のミーティングに参加した火曜日、私史上、衝撃の事実を発見した。

30人を超えるメンバーと一緒にいたはずなのに、一度も、
他人の中のわたしが現れなかった。それを気にするわたしがいなかったのだ。

わたしはわたしで発言し、わたしはわたしで生きていた。

それに気付いた瞬間、一気によみがえった10日間の出来事。

生きるのに必死で、取り繕う余裕なんてなかった10日間。

言語も通じなくて、背景も違いすぎて、
相手がわたしに期待してることなんて想像すら出来なかった10日間。

わたしがわたしでぶつかっていくしかなかった10日間。

そんな10日間を過ごしたのに、残ったのは、
全部を受け止め、包んでくれるカオハガンの人たちと、
なぜか今までよりもっと深く繋がった気のするメンバーたちだった。


この出逢いがあったから、初めてわたしは、

「わたしがわたしのままで生きててもいいんだ。」
「わたしがわたしのまま、存在してもいいんだ。」

と、心からわかった。


大好きなカオハガンのみんなと当時そんなわたしに付き合ってくれた学生NGO団体ESTのメンバーにありがとう。


これが今のわたしとわたしの人生をつくった
わたしがわたしのままで歩んでいく、わたしの人生の始まりのストーリー。


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