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絵を描く理由。

生まれて初めて絵を描いたのはいつだったか、覚えていますか?

私はもちろん、覚えていません。
そもそもどこから「絵」と呼べるのか。
愛する姪っ子の成長を眺めながら、考えていました。

紙にクレヨンで、ぐるぐるぐるーっと大きな円(にもなっていない)を描く。彼女にとってはそれがお絵描き。2歳頃のことです。
3歳になった今では、人の顔(とかろうじて認識できるもの)が描けるようになりました。ぐるぐるお目目と、鼻、口、髪の毛もあります。

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何がきっかけで、どういうメカニズムで、描くものが具象的になっていくんだろう?と不思議に思い色々調べたところ、実は、形になっていても、なんだかわからない殴り書きでも、どちらも「お絵描き」と呼べるのだそうです。
紙とペンを手にし、「自らの意志をもって何かを描くこと」がお絵描き。

そしてヒト以外にも、大型霊長類は自らの意思でお絵描きをするのだそう。

以前お店に置く為のフリーマガジンで、『絵を描く、ヒト』というタイトルの記事を書きました。
その中で「ヒト以外の動物は自発的に絵を描くことはない」と書いたのですが、とんだ間違いでした。この場で謹んでお詫び申し上げます。


私にこの情報を授けてくれたのは京都大学霊長類研究所の、『チンパンジー・アイ』というサイト。
めちゃくちゃ興味深い記事だらけで、一晩中読み耽ってしまいました。

このサイトによると、「なぐりがき」にも複雑な知性が必要とされるそうです。

まず、ペンを紙の上で動かすものであると気づくこと、気づいても正しい向きで紙につけるのが難しい。

「描く」という行為に到る為には
・ペン先を紙につけると跡が残ること
・ペンをつけたまま動かすと「線」になること
が、理解できないといけない。

この研究所のチンパンジー達は「お絵かき」が出来るのですが、描くことでご褒美を貰えるわけではないそうです。それでも、描く。
描くという行為自体に面白さを感じているということです。

描く内容もそれぞれ個性があるそうで、サイトで彼らの作品を見られるので是非見てみてください。色を混ぜたりはしないようなので、用意された絵具の中から自分で選び取った色で描いた作品です。
画面を埋めるように塗りたくったり、短い線を沢山描いたり、確かに個性が感じられて、面白いのです。


チンパンジーのお絵描きは、この「なぐりがき」から具象的なものへと変化することは(今のところ)ありません。
対してヒトのお絵描きは、より精細になり「何かを模した形のもの」へと変化していきます。

この差は生きていく上での優先順位に依るもののようで、
例えばお絵描きに必要な、物(ペン)を持って他の物(紙)に触れる「定位操作」という動作が発達する時期、ヒトは生後10ヶ月頃なのに対してチンパンジーは1歳半を過ぎた頃。かなり遅れています。
ただ、ヒトなら「ようやく立てるかな?」という時期に、チンパンジーの赤ちゃん達はひとりで木登りや腕渡り(木から木へ雲梯の要領で移ること)をしているわけですから、運動能力の面では彼らの方が何歩もリードしているわけです。

生き残る為に、何を先に出来るようにならなければいけないか。

この優先順位の上の方に、「お絵かき」が来ているのは、とーっても面白いと思いませんか。
人間よ、お絵かきがそんなにも重要なのか、と。


絵を描くことの重要性は、どこにあるのでしょうか。

昔、大学の授業で聞いた話です。
顔のパーツの中で、他の動物と人間とで大きく違うところがある。それはどこか?

答えは、「白目」です。
他の動物に比べて人間は目の中の白目の範囲が大きく、瞳がどこを向いているのかがわかりやすい。なぜかというと、「視線」がコミュニケーションをとる上で重要な役割を果たしているから。
つまり、人間にとっては「コミュニケーション」が生きることにおいて、かなり重要だということです。

私は、絵を描くこともコミュニケーションの一環として発達したのだと考えています。

先ほどのチンパンジー・アイのサイトによると、現存する世界で最も古い絵は、3万7000年前の洞窟壁画だそうです。どんな絵なのか見たことはありませんが、何故その絵を描いたのか、想像してみました。

ただ楽しいという気持ちもあったかもしれませんが、きっと、自分が見たものを誰かに伝える為だったのではないでしょうか。
–––今日ね、すごく大きな生き物を見たよ。
頭から大きなツノが2本生えていて、全身が長い毛で覆われているんだ–––
そんな風に話しながら、その姿を描いたのではないでしょうか。

もっともっと伝えたい。その気持ちが、ヒトの画力を発達させてきたのではないでしょうか。

遥かむかし、太古の地球、灯りの殆どない静かな洞窟の奥で
壁に尖った石を懸命に押し当てて絵を描く人。
彼らのことを想うと、なんだか愛しいような、途方もない気持ちになるのです。

文字も言葉も写真も発達した現代で、絵を描く理由は人それぞれでしょう。
だけど私は、言葉で伝えきれないことを絵にするのだというアーティストを沢山知っています。

文字や言語と違い、「共通認識」というものがない世界ですから、コミュニケーションの精度としては低いかもしれない。だけど、時に文字や言葉よりも雄弁に、誰かに何かを伝えることが出来る。
音楽や舞踊もきっと同じ。そしてそれらは一様に、芸術と呼ばれるのです。

言葉で伝えきれなかった、溢れた気持ちたち。
そう考えると、「芸術」がとても愛おしく思えてきませんか。

なぜ私たちは絵を描くのか。

そんな風に考えてみた、休日のことでした。


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