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若年性認知症の母の存在

昨日は母の日。早朝、元気な頃の母と普通に過ごす夢を見て目覚めて、涙が止まらなくなった。

私の実母は64歳。5年前に入院したまま、現在も入院中。

病名は「若年性認知症」。発症は55〜56歳だったと思うと、やはり早い。本人が真面目な人で、それを隠そうとしたからこそ、周りに理解してもらえず、症状が進むに連れて本当に色々な事があった。そんなお話は、また少しずつ。。。

入院した頃から、娘である私の名前も存在も分からなくなっていき、看護師さんに「誰がきてくれたの?」と聞かれても答えられない。笑顔は見せてくれるものの、誰が目の前にいるかは分かっていない。それが悲しくて、辛くて、少しでも思い出してほしくて、色々足掻いてみたりもしたけど。

「お母さんに無理に思い出させようとするのは可哀想だよ。」

旦那さんと一緒に面会に行った帰り道、言われた一言にハッとした。答えられずにもどかしそうな母が、本当は一番辛いんじゃないかと。誰かは分からなくても、会いに来てくれた事を喜んでくれる、それで良いんじゃないかと。そう受け止められるようになるまで随分かかったし、もしかしたら今も100%受け入れられてはいない寂しさはどこかにあって。今、母が私の名前を呼んでくれるなんて事が起きたら、それは奇跡なんだ。

母が入院し、命の危険は無くなった。病院で沢山の看護師さんやお医者様が、家族の代わりに母を安全に見守ってくれる。気付いたら、知らない場所で母が亡くなっていた、そんな事故は起きなくなったことに、本当に感謝している。出来ない事が段々増えていく母の介護をしようと思ったら、私の生活全部だけでなく、家族の生活の大半を犠牲にしないといけないだろう。子育てしながら、仕事をしながら、何度か試みて、やはり難しいと諦めてきたからこそ。病院で母の毎日を支えて下さる病院関係者の方々には、心から感謝している。

でも母がお世話になっているのは、所謂、精神病院。私物は基本的に持ち込めないため、母の日だとは言っても、カーネーション1本、ハンカチ1枚送ることは出来ない。母が入院してから、毎年母の日前になると感じる寂しさ。コロナの影響で2月から面会も禁止な為、逢うことも出来ない。離れていても、母の毎日が少しでも安全で、1日1回でも笑顔になってくれていると良いなぁと思いを馳せる。

会えないけど、母の日おめでとう。いつもありがとう。母さんが私を産んでくれたから、私は今幸せです。

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