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死んだひいばあちゃんが教えてくれたこと。

 配慮。人間関係に必ずあるもの。誰かに配慮することは生きていく限り必要だ。
 
 ただ、一歩間違えると「配慮」が「余計なお世話」になったりする。

 今年、私はひいばあちゃんを失くした。脳梗塞だった。家に着いたときには、もう白い布がかけられていた。
 
 家族の前で涙を流すのは恥ずかしいと思って生きていた私でも、涙と嗚咽が止まらなかった。もっと会っておけばよかった。

 一瞬目が空いた気がして「ママ、目が空いた気がする」なんてことも言った。「来てくれたことわかったんだよ」なんてやり取りもした。

 そこからはてんやわんやの大忙し。名前もわからない親戚にお茶を出したり母と食器を片付けたり。
涙を流す余裕もなかった。

 葬儀の帰り、火葬場へ向かうバスに乗り込む時だった。
 
 歩くのに苦労している親戚がいた。私は転ばないようにとっさに手を握った。

「私そこまでじゃないから」

 そう言われ、手を振り払われた。一瞬、そこまで言わんでもと思った。だけどそれはマッチの火みたいで、ボッと浮かんですぐ消えた。

 葬儀も何もかも終わり、ちょうど四十九日の日にふと手を振りはらわれたことを思い出した。

 「私そこまでじゃないから」

 そこまでじゃない。お年寄り扱いをされたくなかったのだろう。その人はキビキビしていてしっかりした人だ。プライドがあったのだろう。

 私が手を握ったことによって、「弱い者」みたいに扱われるのが嫌だったんだな。そう解釈した。

 同時に、自分は「お年寄り=なんでもやってあげなきゃいけない人」という固定観念があることに気づいた。
 
 その人の性格や置かれている状況、気持ちを見ずにマニュアルだけで相手に接することは「配慮」ではなく「余計なお世話」なのだ。

 死んだひいばあちゃんは、倒れる前日まで魚の煮付けやハンバーグを食べ、ビールも好んで飲んでいた。脂っこいものや酒をバンバン出す祖母に「ちょっと体に優しいものにしたらいいのに」とずっと思っていた。「ほんとの意味で大事なら少しは我慢させることも考えなきゃ」とも。

 だけどそれは間違っていた。祖母はひいばあちゃんの尊厳を守っていたのだ。今思い返せば祖母は薬のことなど、本当に気をつけなければならないことはきちんとやっていた。

 思い込みの配慮は、相手の尊厳を傷つける。配慮をするためには、その人を知る努力を怠ってはいけないのだ。

 四十九日の日、実家から自分の家に帰ると、つけていないはずの寝室の電気がついていた。最後に会いに来てくれたんだろうか。教えと愛情を授けに来てくれたんだろう。

 

 

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