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尻文字をクラスの皆の前で書いた日。

 私は、忘れ物の多い空想がちな子だった。常にポケーッとしていて、親と先生が手を焼く子どもだった。忘れ物をなくそうと、自分で持ち物を確認してもどれか一つ必ず抜ける。

 「何回も名前呼んでるでしょ!!まったく!!」当時住んでいた場所の学校で、先生に皆の前で怒鳴られた。何回言っても忘れるし空想がちな私に苛立ちがピークに達したんだろう。猛烈に怒られた。

 その学校では忘れ物をしたら教室に掲示されている「チェック表」にマス目を黒く塗らなければならなかった。

記憶ではこんな感じ。こういうのが黒板の横にあった。

 ボーダーラインを超えると、罰としてクラスの前で尻文字を書く。先生に教壇の前に呼び出され、椅子の上に後ろ向きに立つ。生徒と先生の手拍子に合わせて尻文字を書くのだ。

 とにかく尻文字は避けたい。恥ずかしい。そうは思っても忘れ物を完全に防ぐことが出来なかった。

 とうとう尻文字を書くことになってしまった。ガタガタいう椅子の上に立つのが怖いのと同時に皆の表情がわからないことが怖かった。

 尻文字を書く。出来る限り動きを小さくして書いた。恥ずかしさで消えてしまいたいと思った。

 尻文字を書いた後、「出来ない人は淘汰されるんだ」と悟った。どれだけ努力しても、少しでも追いつけなかったら徹底的に淘汰される。そんな穿った考え方が自分の中に芽生えたのだ。

 その出来事から間もなく父の仕事の関係で転校することになり、今も定住することになった。

 転校したその後からはいろんな出会いや出来事が私の穿った考え方を変えてくれた。noteにも出会い、書くことの喜びを感じる日々だ。

 noteを書いていくうちに、「普通」は誰もが「こうであってほしい」という理想なんだということに気づいた。

 努力して「普通」に当てはまる人もいれば、どれだけ頑張っても「普通」に届かない人もいる。届かなかった人を「普通じゃない」「何で出来ない」と頭ごなしに批判し、馬鹿にして淘汰する。

 だからこそ「多様性」が大事なんだ。例えば、何でこの子は忘れ物をするのかな?と考える。
 
 もしかしたら何か特性があるのかもしれない。もしかしたらメモを書く習慣がないのかもしれない。

 「忘れ物をする」という結果だけを見るんじゃなくて、背景にあることを想像していかないと駄目なのだ。

 これからは普通=理想じゃない。普通=多様性になるように、私も社会の一員として頑張っていきたい。

 

 

 

 

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