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おばあちゃん



通称、猫のおばあちゃん。
亀有に住んでいる母方の祖母。

2月に亡くなった。

年末に尾骶骨を骨折し、只でさえ軽い認知で外に出たがらなかったのに、もっと動けなくなってしまった。

心配で、たまに仕事がてら会いに行った。
その時ばかりは融通の効く営業の仕事をしていて良かったと思った。
おばあちゃんが食べれそうなお弁当を駅ビルで買って大好きなモンブランケーキを買って行ってあげようか迷って、そんなに食欲もないだろうとやめた。
タクシーでマンションの階下まで行き、インタホンを押すと、前よりこじんまりと小さくなったおばあちゃんが相変わらず優しい声で微笑んで迎えてくれた。思ってたより動けているけど前より小さく弱々しくなった印象が強かった。

ベットに腰掛け、お弁当を一緒に食べる。
白猫のシロちゃんが足元にきて、日向ぼっこをしていた。
「美味しい、ありがとう」と全部綺麗に残さず食べてくれた。
それからしばらくテレビを眺めたり、シロちゃんの動画を撮ったりしていると、昔のことをぽつりぽつりと話してくれた。
おじいちゃんとの出会いが、実家に下宿していたことから始まったこと、猫が大嫌いで次郎おじさんとふざけて猫を放り込んで、パニックになっていたこと。娘たちが猫を連れてきたときは隠れて最初飼っていたこと。駅の切符を一枚一枚間違いがないか点検する仕事をしていたこと。親戚の揉め事で仲介役をよくしていたこと。

こっそり「ママには悪いけど、なっちゃんが来てくれたほうが嬉しいわ」と言っていた。

そういえば昔、おじいちゃんの妹さんも暮らしてたよな。どうなったんだっけ確かまーちゃんって名前だったよな、とか考えているうちに夕方になって
「また、会いにくるね」と伝えた。
「元気でね、気をつけるんだよ」と手をふってくれた。

それが、12月20日の出来事。

1月7日、急に倒れたって連絡があって、会いに行ったらまるで別人のようで、生きてるというより人工的な機械で生かされているようだった。
動揺した母を初めてみた。皆涙を流しながら話しかけていた。
その後すこし回復して、母から「話しかけると反応してくれるくらいになった。あの時よりよくなっているから近々会いに来なさいね」と連絡があった。
よくなると思ったら安心してしまって、仕事を優先してしまった。その1週間後の早朝3時頃亡くなった。

それからしばらくは、実感がなかった。
まだ亀有に行ったらおばあちゃんに会える気がしてた。
ふとした瞬間、御朱印帳のコラムを見た時に「ああ、おばあちゃんにプレゼントしたな」とか思い出してもう会えないんやな、ってことに悲しくなった。

半年経って、生活面でも色々あって過去を振り返った時に、小学5年生くらいの実家で上手くいかなくて辛かった時期に、おばあちゃんが三越伊勢丹に連れて行ってくれたことを思い出した。

あの時の私は、過食で物凄く太っていて父や兄から卑下されて物凄く自分が嫌いだった。
窃盗症も併発して隠してあったお年玉や父の財布から盗ったお金で食べ物を買い、また過食する。
どれだけ殴られても蹴られても過食をやめられなかった。
母には「お前は罪人だ。一生かけて償え」と。

そんな私を否定するでもなく、諭すでもなくただただ買い物に連れて行って、普段両親の言うことを聞かなければ生きれなかった、自分が選べることが何一つなかった私に好きな服を選んでいいと言った。
ものすごく長い時間かかって、迷っても根気よく付き合ってくれて、紫のチェックのかっこいいシャツを買ってくれた。

あの時、少しだけ自分を好きになれた気がした。

帰りに本屋さんに寄って、好きな本を買ってくれた。どこまで知っていたのかはわからないし、きっと家での私のことは聞いたうえで何も言わなかったのだろうけれど、ご飯を食べながら
「なっちゃんはなっちゃんでいいのよ」と一言だけ優しい声で独り言のように呟いていた。

一緒に食べた、麩饅頭の美味しさを知った。
アメ横に行った時には大好きなおしゃぶり昆布を買ってくれて、あんみつ屋さんで私がソフトクリームだけがいいと言ったのに、クリームあんみつが美味しいんだと譲らなくて、豆かんと寒天が食べれず結局残したこと。

今では白玉クリームあんみつが大好きになった。

たくさん、たくさんありがとう。あの時凄く救われて今があるんだよって、お礼を言いたいのに気付いた時にありがとうってもう伝えられないんだなって思ったら涙が止まらなくなった。

おばあちゃん、私いま頑張って生きてる。

愛犬と1Kの部屋で休みの日にはゴロゴロして好きなライブDVDみて踊れるくらい前向きになったよ。

たくさんの人が、助けてくれて見守ってくれて愛してくれた。
おばあちゃんが愛してくれたから、私あの時腐らずに生きれたよ。

母娘間では色々あって、難しいと思うし私のお母さんが、おばあちゃんの子供だった時きっとお母さんに対して違う言葉をかけていたかもしれないけれど、私はおばあちゃんに助けられたよ。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

いっぱい愛をくれてありがとう。

顔を見せたらそれだけで嬉しいって笑ってくれて、私のしょうもない話を聞いてくれて、帰った後にすごく喜んでたって、みんな言ってて大したことしてないのにっていつも思ってた。
それだけで、心が温まったよ。

きっとおばあちゃんはわかってたんだね。

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