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名前が長くてすみません

 はじめまして。エンドロールに入れるのに一苦労するほど名前が長い、録音部のアントニウス・レイナルド・ヌグロホ(トニ)です。(見る度に申し訳ない気持ちになります。改名したいぐらいに。)

 英語字幕も手伝いましたが、主に録音を担当しました。と言っても、実は途中まで「ななめの食卓」班どころか、映像制作実習とは無関係な人間でした。

「ななめの食卓」班に加わった経緯

 2019年の9月頃、交換留学先から帰国し、授業で偶然再会した友人に「映画を撮りたい」と言ったのがきっかけでした。その友人は映像制作実習を受講しており「来れば?」と声をかけてくれました。

交換留学で2019年の受講を断念した僕は、そんな軽い誘いで、そんな軽く入れるものかと、半信半疑で送られてきた建物と教室番号を頼りに、映像制作実習の教室に向かいました。

緊張しすぎたあまり、教室に着くのが早過ぎてほとんど誰もおらず、余計緊張したことを今でも覚えています。時間になると徐々に人は入ってきましたが、当然知っている顔は友人と是枝先生を除いて誰一人もいません。担当教授に事情を説明し、TAさんに脚本をもらってしばらくすると部屋は真っ暗になり、スクリーンは照らされる。映っているのは『ななめの食卓』の映像でした。

 そういう訳で、映像を観て脚本を読んだ1週間後、僕は「ななめの食卓」班に加わることになりました。

班に加わった理由、感じたこと

 入ったばかりの当初、撮影がほぼ終わっていることを知らされ、むしろ他の班に行った方が有益なのではという配慮もありました。それでも僕はなぜか「ななめの食卓」班の一員としてやっていきたかったのです。なぜか。脚本や作品に魅力を感じたのはもちろんですが、当時は説明できなかった直感の方が強かったでしょう。

その後、残ったシーンに加えて幾つか撮り直しが予定され、録音を担当することになりました。打ち合わせや現場を経て、途中から入ってきたにもかかわらず、暖かく、優しく、違和感なく馴染める居心地のいいチームだというふうに感じました。

 映画の撮影現場は予測不能なことが頻繁に起こり、ストレスフルで緊張感が漂う場所でもあります。誰かしら失敗をしてしまいす。何かしらうまくいかない時があります。そんな時でも次のテイクに気持ちよく進めるかどうか、どこが悪くてどこを直せばいいのか、一緒に解決策や改善点を探り、コミュニケーションを取りやすい環境をつくることが肝心のように思います。

 僕の個人的な感覚ですが、そんな要素が「ななめの食卓」班にはあった気がします。僕が一員として関わりたいと感じた理由も、やってこられた理由も、そこにある気がします。

特に岸監督は「監督に向いていない」と言っている割には、向いている方だと思いました。周りの意見をしっかりと聞き、考え、相談し、コミュニケーションの取れやすい環境に力を入れていた方だと思いますし、何よりも好かれる、協力したくなるような魅力的な人格の持ち主だと思いました。

 もちろん、改善の余地もたくさんありますし、僕も含めスタッフのほとんどが初心者で、映画の何がわかるんだ、と言われても仕方ありません。しかし初心者ながらもそれなりに考え、悩み、試行錯誤を繰り返して映画に向き合いました。それが伝わるかどうかはわかりませんが、映画をご覧になっていただき、少しでも何かを感じられたら嬉しい限りです。

録音を担当して思ったこと

 もともと映画が好きでカメラや写真を独学で覚えましたが、録音を担当したのは実は今回が初めてです。

 録音を担当して、ありふれた表現にはなってしまいますが、映画にとってどれだけ音が大事なのかを実感しました。画がなければ映画は成立しませんが、どんなに画が良くても音が悪ければ観る人の気持ちは映画に入ってくれません。

 画と音の関係は、ちょうど具材と調味料の関係に似たようなものです。調味料の入れすぎのような意図的でない目立ち方は避けたいものですし、うまくいっても誰にも気づかれないまま、ただの「美味しい」で終わることだって少なくありません。

 具材がなければそもそもの料理はつくれませんが、調味料こそが料理を豊かにし、味を整えてくれます。それと同じように、音が映画を豊かにし、想像の幅を整えてくれます。言ってしまえば録音部は調味料を調達する役割であり、重大な責任を担っています。

全体的に思ったこと

 撮影現場はストレスフルで緊張感が漂うと言いましたが、その分だけの達成感があります。

 助監督の山下くんの言うように、映画(実写)は1人でつくるわけじゃありません。例え技術が発達し、簡単に1人でつくる時代が来ても、皆でつくる映画の醍醐味は消えないと僕は信じています。

 映画は虚構。ですが、同時に真実の一部を記録するものでもあります。

 スタッフにしてもキャストにしても、同じ時間を生きる人たちしか一緒に映画はつくれません。

 そのスタッフやキャストは、肉体、感情、知識、経験、それぞれの人生をもっている、生きた人間です。それが、映画という虚構に隠された真実です。

 そして、同時代を生きる人たちと一つの虚構を創り上げる行為そのものが、映画づくりの醍醐味の一つではないでしょうか。

 最後になりますが、「ななめの食卓」と過ごした時間はとても実りと学びとハプニングの多い時間でした。この作品に関わることができて、本当によかったです。

 今後も『ななめの食卓』をよろしくお願いします。

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(録音でタッグを組んでいた藤田くんと。追加撮影の前からの参加でしたが、それでも自然と現場に馴染んでいたのはなによりもトニくんの人柄ゆえだったのかなと思います。また、翻訳含め英語字幕でも力を発揮してくれました。)