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「ななめの食卓」のはじまり

  はじめまして。「ななめの食卓」の監督・脚本を担当しました岸です。

「ななめの食卓」という短編映画は2019年に大学の授業内で制作されたものです。このnoteの記録は「ななめの食卓」というある作品をめぐって、はじめての映画制作に取り組むことになった私とスタッフ、そして出演者や映画を取り巻く人たちの悪戦苦闘をまとめたものです。映画を鑑賞していただいた方の楽しみとして、また今後の後輩たちの参考になればと思っています。

 最初の回は監督と脚本を担当した私から、この映画の成り立ちとざっくりとした制作過程の話をしようと思います。

映像制作実習という授業について 

 授業では、一年を通して企画立案から撮影まで基本的に学生たちの手によって制作することになっています。企画のプレゼンを経て、40人の学生から4本の企画を選び、大体10人前後の班になり、そこから映画づくりを行う授業です。
 何と言っても、この授業の教授陣は是枝裕和監督、篠崎誠監督、土田環先生に加えて録音の高木創先生、撮影の四宮秀俊先生という豪華な顔ぶれです。映画ファンにとってはまたとない贅沢な授業であるかと思います。そのために履修をするときには選考会なるものがあり、その当時のシラバスには確か「大変です。覚悟をして履修するように」という短い言葉ながら(それは一年間の授業を経て、私の頭の中で勝手に変換された言葉であるかもしれませんが)よく的を得た表現が載っていました。


 授業内でその企画や脚本、編集素材やシミュレーション動画を見せて、先生たちからフィードバックをもらいながら手直しをし、それを現場で活かしてつくっていきます。映画サークルに入っている訳でもなく、ただ趣味で映画観賞を楽しんでいた経験しかない私は初回から緊張していました。この頃は、まさか自分がそこで監督まで担当することになるとは思いもせず、脚本が書けたらそれで十分だと思っていました。書くことが好きで、人生の酸いも甘いも経験した30代40代くらいで脚本を書こうと思っていたからでした。最初は、そのために荷物運びでもいいので映画撮影に参加して制作過程がわかったらなあという軽い気持ちからだったように思います。

 元々、この授業を履修しようと思ったのは大学1年生のときでした。授業の一年間で映画がつくれるなんて夢みたいで、しかもその教授には是枝監督までいるなんて!小学6年生のときにたまたま観た「歩いても歩いても」に惹かれて、以来のファンだったからです。

撮影スケジュール

 実際に一年間どのようなスケジュールだったかというと、私たちの撮影過程が以下の通りです。

1. 企画づくりとプレゼンテーション       (4月〜6、7月)
2. 班分け                  (7月2日)
3. 脚本づくり                (7月〜)
4. 最初の作戦会議 役割決め        (8月3日)
5. 先生からの撮影方法指導の会       (8月上旬)
6. ロケ地探し、ロケハン          (8月7日)
7. 役者さんとの顔合わせ          (8月22日)
8. はじめての衣装合わせ兼本読み                (9月8日)
9.いきなりの撮影[撮影①〜③]                     (9月17〜19日)
 撮影残りのシーン[撮影④]                         (9月26日)
10.編集作業                                                   (9月27日〜)
11.現場で撮影のシミュレーション                (10月13日)
12.信子由美子シーン [追加撮影⑤]               (10月20日)
13.撮影会議                 (11月4日日)
14.信子由美子シーン9・14[追加撮影⑥]      (11月10日)
15.信子達紀シーン[追加撮影⑦]            (11月17日)
16.食卓ショット会議                                    (11月19日)
17.食卓ショット決め                                     (11月24日、26日)
18.信子・由美子+アイスショット決め     (11月30日)
19.信子由美子残りのシーン[追加撮影⑧]      (12月1日)

20.ショット決め(アイス、拝む)最終確認 (12月7日)
20.信子達紀シーン(最初の食卓〜22時半まで撮影)[追加撮影⑨] (12月8日)
21.最終稿あがり                        (12月13日)
22.ショット決め(アイス)        (12月15日)
23.撮影最終日!(アイス、お茶)[追加撮影⑩](12月18日)
24.編集作業 音調整(12月下旬、1月上旬 12日間ほど?)
25.大学内のホールで試写会         (1月19日)


 撮影自体は1日であっても、その撮影のためにロケ地の準備、役者さんのスケジュール確認、機材運びから小道具の用意、ショット決め、そしてその後の編集などを含めると撮影がある週だと、少なくとも撮影以外で計4日は費やすことになっていたような気がします。また、その下準備のための準備(字コンテの打ち合わせやそのまた次の撮影への脚本の改訂版づくり、今までの繋いだシーンをみんなで確認すること)はそれ以外の時間でやるので、結果ほぼ映画づくりが毎週続いた、てんてこ舞いの一年間でした。プロだと何が必要で何が必要じゃないかの判断がある程度経験から導き出されるものがあるのかと思いますが、なにしろ素人なので回り道が多く、そうやって撮影したシーンもボツになることも多々ありました。
 当初は撮影が9月に終わる予定でしたが、先生方のアドバイスを受けて追加撮影を重ね、このようになりました。

 最初の企画の発表段階から「ななめの食卓(前 ななめの座席)」の企画趣旨は大きくは変わっていません。高校2年のときに祖母が話していた友人の話を基にした企画で、30代くらいで主婦になってから連続ドラマとしてつくりたいと漠然と考えていた物語でした。この授業でのショートフィルムで30分の企画として一つの作品にするにはまだ未熟で描ききれない部分も大いにあるとは思いつつも、企画としては自信がありました。
 もしかすると映画にできるかもなあとは思っていましたが、発表が得意でない性格も相まって、実際にプレゼンで選ばれていくと半ば恐ろしいような気も同時にしていました。

 7月中旬には脚本としての許可が下り、先生方から「もう撮影入っていいよ」という言葉を受け取るものの、はてさて何をどうすればいいのだろうとしか思えませんでした。役者とロケ地が必要なこと以外はスタッフの役柄含めてあまりわかっていなかったような気がします。

わからなさすぎた監督という仕事

 この授業に参加するまでは、監督という仕事は学校の校長先生と同様、偉いことはわかりますが、具体的に何をしているのかはよく知りませんでした。

 映画の責任者であり、作家で、カットをかけるのは確か監督だったような気もするという程度の認識だったのです。あわよくば脚本ができたら…という気持ちで参加していたので、監督はずっと誰かに譲ろうと思っていました。私が撮影まで監督をしていたのは、班分けをした序盤の方からみんなにことあるごとに話を振ってはみても、それがことごとく失敗に終わっていただけのことでした。


 また、撮影を始めてから気づいたことでありますが、自分は映画づくりでの画面の中におけるセンスのようなものをどうやら持ち合わせていないようなのです。映画づくりに関する著作を読んでみても、読み込み方がわるいのか通り抜けて行ってしまい、なぜか理解ができません。これはまずいと思って他の本を手に取ってはみても、それでもよくわからないのです。
そんな人が果たして監督をやっていていいのか?その疑問は終始私につきまとっていたように思います。


 10月の追加撮影に向けた準備をするくらいの段階で、自分のなかである結論が出ていました。それは、自分は監督をやるべきではないということでした。監督という役割のすべてが自分には向いていないと判断したからです。追加撮影に入る前に、早い段階で譲った方がこの映画のためになる。そう思った私はせめて共同監督のかたちにすべきではないかと実際にその話を持ちかけにいっていました。


 そして、次のnote担当でもある撮影伊藤くんに字コンテ(絵コンテの字ver.)の相談とともに、共同監督の話を話すと、「今の何が問題なの? 字コンテは俺が書いているし、演出にはみんなで口を出して、岸さん脚本やりたかったらやればいいじゃん」と単純明快な回答をもらいました。役割に惑わされていたのは自分だった。複雑なことはさて置いて、何よりも自分ができることをすればいいのだとなんだか物事の真理を悟った気分になりました。そのことで心が晴れたのは事実で、とりあえず監督という名前はついているけれど、大切なのは肩書きではないのだと思いました。
 そういうわけで、今もエンドロールの私の名前には監督という二文字が並んでいます。

 さて次回は、撮影現場で赤い器やお盆を撮るたびに小津の赤を出そうと毎回こだわって撮影していた撮影担当伊藤くんです。

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スチール写真 photo by 川口