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友人Ⅰ、K、Yに捧ぐ

私は中学生時代、いじめられていた。

といっても壮絶ないじめとは程遠くて、期間も多分3ヶ月くらい。

学校みたいな閉じられた世界でよく起こる、流行り病みたいなやつだ。


私はその学校でトップレベルに厳しい運動部に入部した。

別にそのスポーツをやりたかったわけじゃない。

単に仲いい子たちが入部するから、じゃあ私もっていう軽い気持ちだった。

よくあるやつである。

運動が得意なわけでもないし、体格にも恵まれなかった私は、みんなについていくだけで精一杯だった。

毎日疲れ切っていたし、案の定レギュラーにもなれなかったけど、腐らず日々練習に励み、それなりに部活動を楽しんでいた。


そんな中、突然いじめが始まった。

首謀者は、私が入部するきっかけでもある仲が良かった子たち。

理由もわからず、無視される毎日。

みじめで、死にたかった。

何が一番嫌かって、その子たちとまた仲良くしてもらいたくて、こびへつらう自分が情けなくて嫌だった。

差し入れにもらったお菓子を、自分の分までその子たちにあげてご機嫌取りをしたりもした。

今でも忘れられないのは、いじめっ子たちを含む帰路が同じ4人が、横並びで楽しそうにおしゃべりしている姿。

私はその後ろを1人で歩いて帰っていた。

こないだまで、私もあの中にいたのになーとか思いながら、涙をこらえた記憶がある。

大人になった今なら、帰るタイミングずらせばいいじゃんとか思ってしまうけど、

きっと当時の私は、一応は一緒にいないと完全にグループから外されて、もう一生仲良くしてもらえなくなっちゃう

とか思っていたんだろう。


母は私の様子がおかしいことに気が付いてくれた。

ためらったけど正直にわけを話すと、部活やめてもいいんだよと言ってくれた。

でも私は行き続けた。

朝練も、休日の練習も、遠征だって全部参加した。


そのうちいじめは終わった。

それと同時に、私をいじめていた人たちの脳内からもその間の記憶はなくなったようだった。

前みたいにみんなで並んで帰るようになった。

めでたしめでたし。


だと、ほんの数年前まで思っていた。

でも大人になって、本当に友達だと思える人たちと接していく中で、

私は私をいじめていた人たちのことを、心の奥底ではずっと憎しみ続けていることにやっと気づいた。

酔っぱらって泣きながら、「もう何年も経ってるけど、まだ嫌いでいいかな?」って友人たちに聞いたときに、めちゃくちゃ首を縦に振ってくれたことを忘れない。

「無理して許さなくていいんだよ」って言葉が、まるで神様の言葉みたいに優しくてあったかかったことをよく覚えている。

私は本当の友達といろんな話をすることで、「そいつらのこと嫌いだ」ってようやく思えるようになった。

大人になったそいつらの頭の中からは、私をいじめていたころの記憶は完全に削除されてしまったらしい。

いまだに「会おうよ」とかいう連絡が来る。

友達のおかげで少しは強くなった私だけど、グループから退会するのはまだハードルが高い。

とりあえずLINEの通知をオフにしてみた。

すがすがしい気分だ。


私は今日も本当に仲の良い友達とだけ連絡をとる。

くだらないことで笑ったり、つらい時には一緒に泣いたり、病んだ時には支えあっている。

本当の友達っていうのは、、、

っていう文章をまとめとして書くのが一番しっくりくるのはわかっている。

だけど、小一時間考えてもナイスな言葉が浮かばなかったんだ。

多分本当の友達っていう存在は底も奥もかなり深くて、まだまだ結論なんてだせる段階じゃないってことなんだろうと思う。

だからいつか、もっと年を取った時に

「本当の友達っていうのはね、、、」ってちょっとあやしい魔女みたいな笑顔で語れるように、

友人たちと過ごす日々を、これからも大切にしていきたいと思う。


ではこの辺で

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