『なんなら』という言葉に違和感を覚えます


『確信犯』と似た現象が起きている「なんなら」という言葉。


本来は、「なんなら、〇〇してもいいと思ってる」のように、『必要とあれば』『お望みなら』といった意味合いで使われているはずの言葉だ。


それ以外で言うなら、「なんだ」「なんだよ」という意味で使われている広島の方言が次に浮かぶ。


ドラマにありそうな感じで強調して使うと、

「なんならぁ!!おどれぇ!!(なんだこらぁ!!てめえ!!)」

『ひいい!!堪忍してつかぁさい!』

こんな感じだろうか。


ところが、今年に入ってから、主にnoteとTwitterで(時折YouTubeなどでも)、馴染みのない「なんなら」が散見されることにずっと違和感を覚えてきた。

先ほどに挙げたふたつでもない、"第三の勢力"。


noteでも、読み進めていくなかで本来の意味ではない「なんなら」が突然出てくると、せっかくのリズムが止まってしまう。どれだけ良い文章でも「?」状態になってそこで止まる。噛み砕いて意味を理解するのに、余計にエネルギーを消耗する負の言葉になってしまっているのだ。

「なんならぁ!」はこっちのセリフである。(この場合は先述の方言。)


決して特定の誰かに矛先が向いているわけではないものの、そんな違和感が違和感を通り越してむかむかになってきたのもあって、簡単に調べてみることにした。この違和感は、私だけのものなのかと。


その心配は、杞憂に終わることになった。



私以外にも違和感を覚えている人はいたようだ。

二番目の記事を読み進めていくと、私がずっと抱えていた違和感の正体が書かれていた。


で、これはわたしの推測ですが

どうも間違ってる人たちは「かえって」とか「むしろ」とか
または「さらに」「加えて」という感じで使ってるようす

共通するのは「前の状況より増してる」イメージ


. . . やっぱりそうか。

突然「なんなら」を見たり聞いたりすると、いつも急停止するリズムに不快感を覚えながら、自分の頭のなかで意味を組み替えて解釈するしかなかったんだけど . . . 最後に一番自然に感じる意味合いはだいたい「さらに言うなら」だった。


なるほど、「お望みなら」という接続のはずが、「さらに」「さらには」「さらに言うなら」のような"増加"の意味で使っている人が出てきてしまっているようだ。


やっと謎が解けた。同時に、安心した。この違和感は私だけのものではなかった。私がずっと抱えていた違和感と、私なりに導き出した答えが正しかったこともわかった。2016年に書かれている記事だったけど、書いてくださった方に感謝したい。ありがとうございました。



言葉を発信している以上、間違った言葉遣いでも、目にした(耳にした)人がそれを正しいものであると鵜呑みにしてそのまま使ってしまう可能性がつきまとう。

特に、見られる機会が多い人ほど、意識せずとも影響を与えてしまう人の数も多くなっていく。「この人が言うんだから」と無条件に信じ込んでしまう人の数が増えるからだ。権威性(または影響力)が悪い方向に作用してしまう状況のひとつと言える。


人間である以上、間違いは誰にでもある。それでも、本来の意味を100%理解できていないのであれば、「みんな使ってるから」と、なんとなく使ってしまうのは危ない。「自分で使っているこの言葉は、本当にこの意味で合っているのか?」と、立ち止まって考え直す余裕を持ちたいものだ。自戒の念を込めて。



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