五感のどれいにならない
感情ってなんでこんなにも惑わせてくるんでしょうね。。
理不尽な目にあったとき。時間に追われているとき。プレッシャーを感じるとき。大切なひとに何か起こったとき。
人に優しくされたとき。胸が高まるものに出会ったとき。美しいものをみたとき。
感情に苦しむこともあれば、救われることもある。
ときには自分を見失って思ってもいない行動をする種にもなる。
人間らしくて魅力的だけれど、厄介ものでもある。
感情はそもそもどこからやってくるのだろう?
私たちには”五感”が備わっていますよね。
目・鼻・耳・口・皮膚。
この五つが、周りにあるものをキャッチしている。
もし五感がなければ・・・なにも知ることができない。
五感を通して入ってきた情報に対して、
脳みそが「自分にどんな影響を及ぼすのか?」を一瞬で判断して、体の内側に指令をだす。
そこで湧き起こるのが感情。
自分に良いことなのか、悪いことなのかを
判断するため、自分を守るために備わっている本能的なはたらき。
そして感情が起こるのは、五感が入り口となる。
ということは、
五感が感情を引っ張っている・・?
感情は暴れ馬・・?
馬車の絵で例えられるのですこしご紹介↓
馬が五感をあらわす。(5頭います)
つながれている手綱が感情。馬に引っ張られますね。
綱をにぎる人が理性をあらわす。(頭で考えて、筋道に沿って善い悪いを判断をするチカラ。"合理的"とか"理にかなっている"とかいいますね。)
車体が肉体。
そして車体に乗っている「女の人」が本当のじぶん。魂とか、生まれたときにできた根っこみたいなもの。(急に怪しげだけどココに出会うのがヨガの目的)
あぁ。。頭がくらっとしてきました・・(笑)
馬を連れて人生を進んでいると、
道端にきれいな花が咲いていたり、美味しそうな草が生えていたり、
恐ろしい動物に出会ったり、急に逃げ出そうとしたり・・
さまざまな誘惑や障害が馬の前に現れます。
手綱をしっかり握っていないと、暴れだした馬に引っ張られて進みたい方向から大きく逸れてしまう。
それどころか、車体が壊れたりすることも。
本当のじぶんが望む目的地にスムーズに向かっていくには、
理性が感情をしっかりと握ってコントロールしていることが大切なんですね。
五感(馬)に感情が引っ張られそうになったら、
頭で考えて冷静に判断する力をつける。
それはしつけのように引き戻すべきときもあれば、
馬が疲れていれば休ませてやるべきときもある。
そうやってうまぁいこと柔軟に感情とつき合う。
感情がピーンと引っ張ったら
本当の自分(女の人)が目指す目的地に行くためには
どうするのが一番良いのかを判断する。
また、肉体(車体)をメンテナンスし続けることはもちろん、
危険な道に行ってはボロボロになるし、悪天候には晒されない方がよい。
そうやって、
五感を喜ばせすぎたり傷つけることはなるべく避け、
目的地を軸にして冷静に判断する眼を養って、感情をコントロールする
ことが、
人生を健全にうまいこと進んでいく力なのかもしれない。
あぁ。難しい。。笑
不安や迷いや恐怖にくるいそうになったら、
馬車の絵を思い出して、すこし立ち止まる。
「馬が暴れてる。でもこれは自分の一部分であって全てではない。根っこの自分は何を大切にしたいのか、どんな人生を進みたいのか?」
をじっくり考えてみる。
そうすると馬の奴隷になることなく、きっとよい選択ができるでしょう。
ソイラテを飲み干し美味しそうなりんごケーキを横目に、
冷蔵庫のおかずを消費しなきゃなので帰宅します。泣笑
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