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第12話 笑う家族に福来る


「な、何だって?!取り壊しは今日?!」



 バンク神の作品の発見を受けて、私達家族は浮き足立っていた。
 芸術的価値もさる事ながら、描かれた壁の持ち主に富と知名度をもたらすバンク神の絵画。それが、家族の運営する銭湯に描かれたというのだから。

 少し前のかみすねくんの大ヒットを受けて、神拗町では再開発計画が持ち上がっていた。観光客によってもたらされた収益を使って、古くなりガタが来ている神拗町の建物を新しく生まれ変わらせようというのだ。
 家族は銭湯の番台の前に集まりながら、ここが中心となって生まれる新たな神拗町を、そこに生きることになる自分達の生活を思い描いていた。


「あの絵とかみすねくんのコラボグッズを作って、
近くにお土産物屋さんを出したいわね」


 そう語るのは、妻の福江ふくえ。元デザイナーであった彼女は思いつくと仕事が早く、一週間前にバンク神の絵発見の報を受けてから、既にもうかみすねくんとのコラボデザインを考えている。


「ここ、工事した後も銭湯のままかな?
男湯だったら入れないし、今のうちに彼女連れてきていい?」


 さりげなく周りに目線を回しながらそう言うのは、義弟の福克ふくかつ。念願だった彼女ができたばかりで、かなりシフトを詰め込みながら居酒屋でバイトしている青年だ。曰く、彼女がバンク神の大ファンらしく、話したら相当羨ましがられたのだと言う。


「ねえ、絵の前から生中継で配信していい?いいよね?!
きっと大バズ間違いないよ!」


 興奮気味に跳ねているのは義妹の福芽ふくめだ。かねてより有名な配信者になりたいと呟き続けていた彼女だが、少し前に配信が大当たりし、それ以来ネット上ではそこそこ名が知れるようになったらしい。
 義妹は、近場にいた息子の福太ふくたに自身のスマホを押し付け、自分と番台を納めた写真を撮影するように要求している。


「福太、暇でしょ?撮って撮って!」

「僕は別に暇じゃないんだけど……仕方ないな」


 眺めていた単語帳を脇に挟み、受け取ったスマホを構える息子。彼は高校受験生なのだが、バンク神の絵が見つかってからは流石に勉強どころではないようだ。口では勉強に集中したい、暇ではないと言いつつも、今日もこうして単語帳片手に銭湯に集合しているし、数十分前から単語帳は1ページも進んでいない。そうなっても仕方のない状況ではあるが。


「しかし、最近の芸術は良く分からんな」

「あら、でも、素敵じゃありませんか。わたしは好きですよ」


 肩を寄せ合いながらバンク神の絵の写真を見ているのは、義父の福平ふくへいと義母のフクネ。この銭湯はもともと2人が運営していたものだったのだが、義父が倒れて以来、主に義母が切り盛りするようになった。
 もとより寡黙な義父よりも義母の方が接客業は性に合っていたようで、七福神のご利益により関節痛が良くなってからは、むしろ以前よりも生き生きとして見えるほどだ。義父もそんな義母の状態を良しとしており、最近はもっぱら裏方仕事に回っている。


「それで、福夫君。商店街の方には連絡したのか?」


 義母との会話に居た堪れなくなったのか、義父が振り返ってこちらに話題を振ってくる。私は慌てて居住まいを正し、スマホを確認した。


「ええ、今朝振興会の方にメールを送ったばかりです。
返事はまだ来ていないようですが……」


 ちょうどその時、私が手に取ったのを見計らったように、スマホに着信があった。予想通り、発信者は振興会だ。手振りで祖父に応答する旨を告げ、電話に出る。


「はい、もしもし。七野です」

「あ、もしもし?!あの今どちらにいらっしゃいますか?!」


 やけに焦った様子の声が大音量でスピーカーから飛び出したので、私は思わず耳を離した。声が聞こえたのだろう、家族が訝しげにこちらを見る。


「ええと、家族と共に銭湯におりますが……」


 私がそう答えれば、電話口の向こうが何やらにわかに騒がしくなる。どうやら向こうにはかなりの人数が、それも反響の様子からして屋外にいるらしい。ガヤつきに飲み込まれて聞き取ることのできないやり取りが向こうでいくらか続いた後、電話口の人物はさらに焦った様子で私に呼びかける。


「と、とりあえずすぐに外に出てください!急いで!」

「どうしたんですか、急に……?」

「実は、取り壊しの日程が早まって……
もう、外に工事の車が来ているんです!」




 団子になりながら外に飛び出した私達は、その光景に呆気に取られた。

 いつの間にか、建物という建物が失われ、文字通りさらの更地になった神拗町。目の前には建築物解体用の巨大な工事車両がいくつも並び、私達の上に大きな影を落としている。

 事態を飲み込み、真っ先に駆け出したのは義妹だった。


「ちょ、ちょっと、止めて、止めてください!
あの銭湯には、バンク神の絵があるんです!あのバンク神ですよ?!」

「あ、おい、福芽!危ないぞ!」


 義弟の静止も聞かず、義妹は手近な工事車両に駆け寄り、運転席に向かって両手を振りながら叫ぶ。しかし窓から身を乗り出した運転手は、彼女を胡乱な目で見ると、追い払うように片手を振る。


「ああもう、お嬢ちゃん、危ないよ。今から工事するんだから」


 彼は義妹の反論も聞かず、運転席へ戻ろうとする。それを引き留めるように、遅れて駆け寄った妻が運転席を見上げて語りかけた。


「あの、申し訳ありません!中に大切なものがありまして、
工事を止めていただくことはできませんでしょうか?!」

「それなら今すぐ取ってきてください。
人がいるって言われて止めてたけど、もうだいぶ時間押してるんですよ」

「それが、取り出せるようなものではなくて……」


 運転手は話にならないという風に首を振ると、運転席に引っ込んでしまった。その様子を見た息子が、焦りながら私の袖を掴む。


「と、父さん!何とかできないの……?!」


 私は彼に固く頷くと、妻を追って工事車両に駆け寄る。そして私は、工事車両と銭湯の間に立ちはだかるようにして両手を広げた。間に人がいれば、それを無視して工事はできないだろうという考えだ。


「すみません!工事を中止してください!
中止に伴って発生した損害は、後でこちらが補償いたします!」


 大きく手を振りながら、精一杯の大声でそう叫ぶ。目の前の工事車両の運転手達は皆こちらに注目し、スマホでどこかと連絡を取り始めた。ひとまず、窮地は脱したか。


 そう思った時だった。


 地面を揺るがすような低い音、足から伝わる振動と共に、端にあった工事車両達が動き出した。
 運転手はこちらを見ていない。いや、遠くて見えなかったのだ。

 妻や義妹が悲鳴を上げる中、息子が義父母を連れて工事車両から逃げるように走ってくる。何か気になる事があるのか、しきりに首をかしげる義母をよそに、義父は息を切らしながらも、近場の工事車両をよじ登り、運転席の窓を叩いて叫んだ。


「おい、止めろ!止めさせんか!」


 義父の剣幕に慄いた運転手はスマホに向かって叫んでいるが、動き出した車両が止まる気配はない。一瞬でもいい、なんとかか止める手段はないか。
 しかし私の思いも虚しく、工事車両達はアームを振り上げる。そして一瞬の沈黙の後、車両は銭湯に向かって無慈悲に巨大なアームを振り下ろした。

 轟音と共に、銭湯の建物が大きく揺れる。
 建材が軋む音と、壁材が剥がれ落ちる音が轟音の隙間から地を伝って響いてくる。義弟が私と同じように工事を止めさせようと、工事車両に近付こうとするが、土煙に巻かれてすぐに離れざるを得なくなってしまった。


「止めて!止めてください!」

「ああ……バンク神が……」


 巨大な質量の前で、銭湯の建物はみるみるうちに崩壊していく。もはや人の手でそれを止めることなどできず、数十億が瓦礫の中に埋もれていく様を、私達は呆然と眺めるしかない。


 だが、その時。


 白い影が、私達の足元を駆け抜けた。


「ら、ラッキー?!」


 人混みの中から飛び出してきたのは、七野家の飼い猫、ラッキーだった。
 外飼いの三毛猫であるラッキーは、気まぐれに家に出入りし、最近はほとんど帰ってきていなかった。てっきりどこか、居心地の良い隠れ家でも見つけたのだろうと、そう思っていたのだが。

 ラッキーは人間の制止など聞こえてすらいないのか、一目散に銭湯に向かって走っていく。当然、高い運転席に座る工事車両の運転手達には、地面を走る小さな三毛猫など見えていない。
 このままではラッキーは、倒壊する銭湯に巻き込まれてしまうだろう。


(ええい、ままよ!)


 思うが早いか、私は銭湯に向かって駆け出していた。背後から家族の悲鳴と、運転手達の怒号が聞こえてくる。しかし私はそれを振り切るように、ただラッキーへ向かって走る。
 すばしっこい小動物と愚鈍な私の距離が縮まることはなく、ラッキーの三毛模様の尾は銭湯の入口を抜け、奥へと消えてしまう。それでも私は立ち止まることなく、銭湯の中へと飛び込んだ。


「ラッキー!どこだ?!」


 私が叫びながら一歩進むごとに、どこかで何かが崩落し、地面に当たって鈍い音を立てる。もはや銭湯の中に無事な箇所はどこにもなく、今にも天井が降ってきて、私の頭に降り注ぐのではないかと思わせるほどだ。


「おーい、福夫さん!大丈夫か?!」


 入口の方から、義弟がこちらを覗き込んでいるのが見える。しかし番台の周りをいくら見回しても、ラッキーの姿はない。まさか、もっと奥に行ってしまったのか。


「ラッキー!返事をしてくれ、ラッキー!」


 背中を焼かれるような焦燥を感じながら、私はひたすらにラッキーの名前を呼ぶ。もしかしたら、とっくに銭湯の中を通り抜けて、外に飛び出して行っているのではないだろうか。そんなことを考えた、その瞬間だった。


「ニャー」


 奥から微かに、だが確かにラッキーの鳴き声が聞こえた。思わず振り向いた先にあるのは、青い男湯の暖簾。慌てて傾いた暖簾をめくり上げ、その背後を見れば、浴槽から溢れ出した湯と、ヒビの入った壁の絵が見える。ヒビは大きく壁を貫いているが、”赤い鯛に手を伸ばす少女”は無事だ。


「ラッキー、まさかお前、絵を守ろうと……?」


 だが、私は最後まで言葉を言い切ることができなかった。
 激しい轟音が、私の言葉を遮ったのだ。

 頭上から降り注ぐ音が、浴室の天井が崩壊したのだと告げる。揺れる地面に足を取られ、思わず尻餅をついた私の目の前で、大きな瓦礫が浴室のタイルに降り注ぎ、薄青い破片を撒き散らした。私が飛び込んだ後、工事車両は止まっていたはずだ。まさか、建物全体がバランスを崩しているのか。


「父さん、バカ、何してんだよ!」

「福夫さん、立って、早く!」


 勢いよく両脇から引っ張られ、私は無理やり立ち上がらされた。
 黄色い工事用ヘルメットを被った息子と義弟が、私の頭にもヘルメットを被せ、背中を押しながら外に引っ張り出していく。3人で外に飛び出した瞬間、背後で一際大きな轟音が響くと共に、私達は土煙に包まれた。

 土煙に巻かれながら、私達は崩壊してゆく銭湯を見る。瓦礫と化していく建物の中から、素っ裸の七福神達が、我先にと飛び出してくるのが見えた。


「ああ、そういえば、何か忘れていると思ったら……」


 そんな事を呟く義母を横目に、7人揃った裸の七福神もまた、崩れた銭湯を眺めている。けれどもはや、私は彼らの事など気にしていられなかった。


「福夫さん!ラッキー、ラッキーは?!」


 目に涙を浮かべながら、義妹が私に縋り付く。答えを返すことができない私に彼女は「そんな……」と絶望した表情を浮かべるが、そんな私の背中を誰かが激しく叩いた。


「何ボーッとしてるの!探すわよ!猫はすばしっこいんだから、
どこかで隠れてるかもしれないじゃない!」


 そう私を焚き付けて、妻はヘルメットと軍手を着けながら土煙の引き始めた銭湯の方へ走っていく。私や息子、義弟妹、祖父母がそれに続く。


「ラッキー!ラッキー、返事をして!」


 私たちは必死にラッキーの名前を呼びながら、瓦礫をかきわけ、柱をひっくり返した。しかし、姿が見つかるどころか、鳴き声の一つもしない。
 やはり、あの瓦礫の下敷きになってしまったのだろうか。私があの時、駆け出してラッキーを助け出していれば、こんな事には。

 そんな事を考え始めた私を、義父の声が現実に引き戻す。


「いたぞ!ここだ!」


 家族はすぐさま義父の元へ駆け寄った。義父は瓦礫を持ち上げようと奮闘しており、そこに義弟が、息子が加わる。ゆっくりと持ち上がっていく瓦礫の下に、微かに赤い色が映っているのを見た妻は、思わず顔を覆った。


「ラッキー……!」


 私は義父達が作った瓦礫の隙間に手を伸ばし、ラッキーを抱き上げた。汚れてごわごわとした毛と、ざらついた土埃の感触と共に、生ぬるくべたついた物が手につくのが分かる。

 ああ、猫とはこんなにも柔らかく、弱々しい生き物だっただろうか。

 鮮やかだった三色の毛並みは大量の血で汚れ、ラッキーは今にも目を閉じそうだった。ぐったりと力の入らない手足は、私が持ち上げてもだらりと垂れ下がるばかりで、もはや生気は感じられない。ただその小さな命の残り火だけが、薄く開いた瞼の下から私を見つめている。


「ラッキー……どうして、お前がバンク神の絵なんかに……」


 私は、目の前に残った壁を見上げた。鮮やかだった富士山の絵は土埃に煤け、見るも無惨な姿になっている。バンク神の描いた少女には大きなヒビが入り、少女が追っていた赤い鯛は崩れ落ちてどこかへと行ってしまっていた。もはや、作品としての価値はない。


「ああラッキー、どうしてこんなことをしてしまったの……?
あなたはあんなに賢い猫だったのに……」


 ラッキーの頭を撫でながら、義母が消え入るような声で語りかける。最もラッキーと仲の良かった義母の悲しみの前に、私達は拳を握りしめるだけで、何も言えなかった。いや、私達に何かを言う資格などないのだと、誰もが理解していた。バンク神の絵に浮かれ、取り壊しの日程すら把握せず、ラッキーを探す事もしなかった私達には。

 私の腕の中で、ラッキーの体温は少しずつ失われていく。手から水がこぼれ落ちていくように、ラッキーの命の温もりが消えていく。私はその儚いものをどうしても逃したくなくて、そっとラッキーの体を抱きしめた。


「すまない。ラッキー、すまない……」


 うわ言のように、懺悔の言葉が口から漏れる。しかし人間の謝罪など、猫には届いていない事だろう。
 それでもなお謝るのを止められない私の腕を、そっと義母が叩く。


「福夫さん、これを……」


 そう言って彼女が差し出したのは、見覚えのある黄色い布だった。良く見ればハート柄が散りばめられたそれは、かつての隣神、七福神恵比寿の服だ。素っ裸で飛び出していった彼が、脱衣所に置いていったのだろう。

 私は義母から恵比寿の服を受け取り、ラッキーを包み込んだ。眠るならせめて、寒くないようにと。閉じかけていたラッキーの目が僅かに開き、私の方を見上げる。

 そして彼は、最後の力を振り絞って、微かな声を上げた。



「ニャー」



 ピシリ、と音がした。


 静まり返った空間に鳴ったその音に、私達は思わず音のした方を見上げる。音は一度では終わらず、ピシリ、ピシリと固い音が鳴るたびに、目の前の壁のヒビが広がっていく。ヒビからこぼれ落ちる小さな破片は、やがて欠片になり、瓦礫となって、壁から崩れ落ちていく。
 バンク神の絵の残骸が、富士山が、私達の前で崩壊していく。

 その崩壊を見届けた家族の中、誰もがそれに目を釘付けにされている中で、誰にともなく、息子が口を開いた。




「僕、これ、見たことある……すごく小さい頃だったけど……
でも、覚えてる、覚えてるよ……!」



 崩壊した壁の裏には、もう一枚の壁があった。




 昔、まだ息子が小さい頃、銭湯にとあるクレームが来たことがあった。銭湯の絵が経年劣化で掠れてしまい、見えなくなっているというものだ。
 当時息子の幼稚園入園と義妹の小学校入学、そして義弟のクラブ活動が重なっており、私達には金がなかった。しかし、壁の絵は銭湯の華だ。掠れたままにしておけば、客足が遠のき、余計に金がなくなる一方だろう。

 そこで、私達は自ら銭湯の絵を描くことにしたのだ。

 5月の連休いっぱい、銭湯を休みにし、一家総出で刷毛を握って壁に向き合った。
 息子を抱いた妻の指示の元に、私と義父が脚立に乗って富士山に色をつける。ひとまわり小さな絵筆を握った義弟と義妹が、祖母と共に端で何やら一生懸命に書き込んでいた。

 完成した富士山は酷く不恰好であったが、7人で横に並び、完成した壁画を見上げた時の感動はひとしおだった。あの、胸が満たされるような暖かい気持ちを、私はどうして今まで忘れていたのだろうか。


 やがて懐事情が改善し、業者を呼んできちんとした壁画を描いてもらうことになったとき、「この絵を消したくない」と最初に言ったのは誰だったか。誰もが同じ思いでいた私達は、絵を塗りつぶすのではなく、前に新しい壁を作って、家族の作品を大切に銭湯の奥へとしまい込んだのだ。



 ラッキーが守りたかったのは、バンク神の絵なんかではない。

 私達が壁画と共にしまい込み、忘れてしまった、家族の絆だったのだ。




 久しく忘れていた熱い感情が、透明な雫となって目頭からこぼれ落ちる。

 顔を見ずとも、今この瞬間、家族が同じ感情を共有していることが、痛いほどの沈黙と共に伝わってきた。けれど、もう遅い。ラッキーもまた、私達の大切な家族の一員だったのだ。しかし彼は、私達に大切なものを思い出させてくれたのと引き換えに……。

 胸が締め付けられるように熱くなり、私は思わず目を伏せる。視線をやれば、家族の誰もが同じように俯いている。

 だから、気付いたのは私だけだった。

 私の胸を熱くしているのが、悲哀の熱ではないことに。


「……ラッキー?」



「ニャー!」




 私の腕の中で、ラッキーが力強く鳴き声を上げる。
 恵比寿の服に包まれたラッキーは私の腕の中で強い光を発し、目が痛くなる程の眩しさに、私は思わず腕で目を覆ってしまう。しかし私の腕が離れても、ラッキーが落ちることはなかった。それどころかラッキーは私の元を離れ、光と共に浮かび上がっていく。

 家族が呆気に取られて見上げる中、光が収束し、彼の姿が顕になる。

 空中に座り込み、片手を上げて顔を洗うその仕草。恵比寿の服を首にまとったその姿は紛れもなく、幸運を呼び寄せる招き猫だった。

 3万分の1の確率でしか現れない、オスの三毛猫だったラッキー。
 彼は、本当に私達家族に福をもたらしてくれたのだ。


「ラッキー!」


 嬉し涙を流しながら、義妹がラッキーに飛びつく。その後から息子が、義弟が、義妹の抱いたラッキーを囲み、撫で回した。ラッキーの態度は今までと変わることもなく、やや鬱陶しそうな様子を見せつつも、人間達に甘んじて撫でられている。


「恵比寿の……いや、恵比寿様のご利益かもしれんな」

「きっとラッキーの良い行いを見ていてくださったのね。
ありがたや、ありがたや……」


 離れた所に裸で並んでいる七福神達を見やりながら、義父母がそっと子供達に寄り添い、ラッキーを見つめる。私は隣に身を寄せる気配を感じ、そっと妻の肩を抱いた。


「バンク神の絵、なくなっちゃったわね」


 ラッキーを囲む家族に聞こえないような声で、妻がぽつりと囁く。私は昨日までの家族の様子を思い出し、彼らが期待していたものが失われてしまったことを思ったが、不思議と気持ちが落ち込むことはなかった。


「まあ、いいさ。こうしてラッキーが……家族が帰ってきたんだから。
皆が一緒にいれば、きっと何だって乗り越えられるよ」


 私の言葉に妻はそっと頷き、私の肩に頭を預ける。


 再び一つとなった私達家族。

 富士山の麓に描かれた不恰好な宝船の上で、七福神が一緒に笑っていた。








※この物語はフィクションです。
 実在の人物や団体や神仏や妖怪などとは一切関係ありません。

★七野家思い出の銭湯が見られる『なならき』本編第12話はこちら


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