私が選んだ道

人生は決断の連続だ。”決断”は、自分の意志によって変えられる決断と何かの運命によって変えられてしまう決断の2種類があると思う。様々な決断の瞬間が積み重なって、”人生”という物語が作り上げられていくのだと思う。

私は、”決断”というものに対して、とても時間がかかるタイプだ。将来の目的地が定まっておらず、自分の中での太くてかたい軸を持っていないからだ。自分の軸を持っている人は、決断をするスピードが速い。その軸により近い方を選択して、生きてゆけばいいからだ。(そんな軸が決まっている人を幾度となく羨ましく思ったことがある)

私の人生で一番初めの大きな選択は、高校進学時だ。幼稚園・小学校・中学校までは、何一つ決断することもなく、義務教育を歩んできた。高校進学時は、自分に進路を決める権利が与えられていた。正直、嫌だな、誰かに決めてほしい、、と思っていた。自分の軸がなかったために、どのように決めればいいのかがわからなかった。実際に高校に行って、感じるものがあるかもしれない、と様々な高校に訪問した。心のワクワクセンサーを敏感にし、”市立浦和高校”には、何かはわからないが惹かれるものがあった。心がそちらの方向を向いているような気がした。高校進学時の選択はそのようなものだ。結果、見事、2倍の倍率の壁を乗り越えて、合格することができた。自分の手でつかみ取った”合格”という結果は、今でも大きな自信に繋がったことを覚えている。”努力は実るものだ”。

部活動の選択、文理の選択、、塾をどこにするかの選択、、、様々な場面で私は悩みに悩んで、最終的には自分の心に聞いて、心が傾く方向に決めて、決断してきた。自分軸がなかった割に、どの選択も間違っていない、政界の選択だと今では思える。中学の部活動では、母がバレーボールやっていたことに影響され、なんとなくバレーボールという想いが心の中で強くあり、結果、一生懸命最後まで頑張りぬいた。その経験が、高校受験を頑張る自信にも繋がった。高校の部活動では、もうバレーボールは充分だという想いが強くあり、部活動の雰囲気と人で選びたいと思っていた。1年5組には、ソフトボールに興味を持つ人が数人いた。そういう環境も大きかった。(あの時、あのクラスじゃなかったら、人生は変わっていたのかもしれない)今までの私の人生に何のゆかりも縁もなかったソフトボールというスポーツに挑戦することを決めた。(スポーツに関することは何も考えずに入部したため、後に日焼けには悩まされた(笑))ソフトボール部での経験も、高校生活の中心となる濃い思い出ばかりで、自信に繋がるような経験と素晴らしい仲間との出会いに恵まれた。あの時、ソフトボール部を選んで正解だったなと思えている。

こうして、大学受験。大学選びは、本当に難しかった。自分の興味があることはなんだろう、将来自分は何をやりたいのだろう、自問自答を繰り返していく中で、なんとなく”経営・マーケティング”という言葉に惹かれる自分がいた。その学部に絞って、受験することを決めることができた。何かのご縁で、早稲田大学に進学する世取山先生という方が、塾で私の担任になってくださった。これをまさに運命的な出会いという。世取山先生の早稲田大学の話を聞いていると自分も興味を持つようになり始めた。立教大学経営学部志望だった私は、「このまま立教を目指していても、上位層に押しつぶされて、立教すら合格できないんじゃないか」「早稲田大学に挑戦してみたい」という二つの気持ちで、早稲田大学を受験することを高3の9月に決断した。そこから必死で努力し続けた結果が実り、今の自分がいる。運命的な出会いからの決断と、自分の意志からの決断、様々な決断が重なって、今の自分があることを思うと奇跡でしかない。

そして、東進で担任助手をやると決めた決断。一番の想いは、お世話になった浦和校に恩返しがしたい、自分の受験期の支えとなったのは、間違いなく東進の担任助手の方々であり、次は自分が生徒の支えになりたい、と思ったことだ。強い自分の意志があって、決断することができた。今までは、なんとなく心のセンサーにしたがって、心の向く方へ、、、という決断の仕方が多かったが、今回は違った。私の中で、初めてに近いのかもしれない。この1年間は、本当に東進色に染まった1年間だった。生徒のことをたくさん考え、どう伝えればいいのか試行錯誤し、なんでこんなに大変なことをやっているのだろう、と正直嫌になることもあったが、担任助手という仕事は、それを経験した人にしか得ることのできないものや学ぶことが多くあったと感じる。来年は新しい世界に出て、様々なアルバイトを経験するという道。東進を継続して、上級生として、生徒指導にあたり、後輩育成にもあたり、浦和校を支えていくという道。二つの道でとてもとても悩んだ。桜井さんと面談し、「左貫さんは、同期を引っ張ていくリーダー的存在になってほしい、岩切とご飯に行った時には、「左貫がいたら俺は頑張れる。左貫にいつも刺激されてた」そんな言葉たちをもらえて、こうやって、自分を評価してもらえている場所があることが、素直に嬉しかった。そして、”募集リーダー”という道が、みなさんからの信頼により開かれ、私はその道で1年間頑張ることを決断した。

一方で、今年で東進を卒業する道を選んだ人もいる。当たり前のように一緒に働いてきた人たちだったからこそ、お別れはとてもさみしい。当たり前が当たり前じゃなくなってしまった感覚。今まさに、世界的な新型コロナウイルス感染拡大で、当たり前の生活がどれほど幸せだったのかも、世界中の皆が感じていることだろう。より一層、当たり前の時間を心から大切にして生きていける人になりたい、と改めて実感した。”当たり前のことに感謝する気持ち”。

みんな思い思い、それぞれの道を選んで人は生きていく。時々、あっちの決断の方がよかったかな、あの人のような決断をすればよかった、、、と隣の人の芝生が青く見えてしまうことがあるかもしれない。私は特に、他人と自分を比較してしまいがちだ。そのような思いを現実化させないために、後悔しないために、自分で決断した道が正解だったと思えるように、自らの手でよくしていきたい。自らの手で、未来へ続く道は変えられる。

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