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地域という言葉にこめられたイメージ(表象)


イメージはプラスかマイナスとどちらかの意味をもつ (例)高学歴は融通が利かない。

イメージの底をつかむ授業→個々の問題を追及するテストではない
人々の心に埋め込まれた都市とは?田舎とは?

ある時代以降、場所が消えて居場所がまなざされるようになった。そのきっかけは何か。

(1)否定と不在に共通するワードはない。
否定:~ない。~ではない。
不在:~がない。

孤独という概念はつながっている者がない。
もともと人間がひとりだと考えているなら、上記の考えにはならない。
→他社を否定しているわけでもない。

→では、不在がもたらす感情は…?
自由

ある空間が意味を帯びて場所になる。またある場所が希薄化して1つの営利になる。(心のあり方)
空間(物理的)+意味=場所

例)東京に住んでいる人にとって近鉄の名古屋は単なる知識としての場所。意味をほぼもたない。
しかし、そこに彼氏が住んでいたら何等かの意味を持つかもしれない。

意味の持ち方が自己中心的になると知識の範囲が狭まる。知識の受け皿があるかないか。
例)お花見の時期に、何で日本人は桜が好きなのか、いつごろ花見は始まったのか、と考えるかベクトルが向くかが知識の受け皿の有無。

知的好奇心は好き/嫌い。それを、自己中心的な意味を超えて知ろうと思うか。


・ふるさと(生まれ育った場所)という概念は、1度ふるさとを離れてから手に入れる

・わかる、には2つ意味がある。自己中心的な意味づけ=共感できる世界にのみ甘んじてしまう。
共感できない世界だからこそ理解できないわけではない。歴史の授業だと思うことによって共感じゃなく理解となる。

・意味をおびるとはどういうことか。意味がなくなっていくとはどういうことか。


3 僕はずっとこの町に住み続ける。だからこの町とかかわっていたい。
  僕はいつかこの町から離れるだろう。でもこの町とかかわっていたい。
→どちらが正しいという問題ではない。何が違うのか。

人と場所との関係とそれにまつわる感情という観点からみる。
「だから」「でも」どっちがこの町に対する愛着が強い?否、強いか弱いかのい問題ではなく、愛着する資質が違う。


好き・嫌い/こだわり  この2つは似ているけど別物。
好き嫌いで語るのは楽だが×。中身がスカスカ。
親は好き嫌いで子育てをするのではない、あくまでもこだわりで。


変化は固定的でなく、時代によって変動
例)ふるさとの文脈はいかにして語られるか。
源風景画
本質、初め

・日本人の心のふるさと(メタレベル)  +α
観光の1つのコンテクスト
かつての=今はない
ノスタルジア  例)三丁目の夕日
→ふるさとという場所は生まれ育った場所と全く関係ない


ふるさとは遠きにありて思ふもの → 距離が存在しないとふるさとにはなりえない→ずっと同じ場所に住んでいてもふるさとにはならない
そして悲しくうたふもの     → 歌うという行為、一定の行為がなければふるさとは心に根付かない
  (略)
遠きみやこにかえらばや     → 強い規範性「帰らねば」
                  強い欲求 「帰りたい」
                  規範と欲求が結びついていることでより強いベクトルになる
                  いわゆる聖地。聖地としての故郷
                  →プレッシャーになりふるさとの概念が変質する要因となった。(帰らねばならない)


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