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短編小説『デッドラインの記憶 ~ブラック企業で「もう死んでもいい」って思いながら働いていたら、本当に死にそうになった話~』

 都内の居酒屋で、大学時代の友達と生のメガジョッキで乾杯をする。
 仙台に1年間、転勤をしていた私の「おかえり会」で友達とは卒業式ぶりの再会だった。
 会社を辞めたきっかけについて、まだ詳しくは話してなかったけど、一応触れておくのが礼儀だろう。「どうして新卒1年で会社を辞めたんですか」と、いつか聞かれる面接のために、思い切って話しておこう。本当はすぐにでも新作の童話を読んでもらいたかったけれど、それは終わったらすぐ取り出せばいい。
「あんまり暗くならないでよね。」
 ビールの苦みがざらつく舌で、あの日のことを話し始めた。


 車で3件の営業先へ回った後、会社に戻った私は既に眠気がピークに近かった。業務時間はとっくに過ぎていたけれど、これから訪問記録を書いて、見積書作って……。
「あっ、サンプルの補充、本社に注文しないと、来週の訪問で足りなくなるかも。」
 エンジンを切った暗い車内で、携帯のTO DOリストに文字を打ち込む。やることが多すぎて、1日の終わりに確認をしないと漏れてしまうから。
 運転中の張り詰めた緊張が緩み、ぐったりとする。大学卒業まで、身分証明だけに使っていた免許証を真っ二つに折ることができれば、どれだけラクになるだろう。
 正直、もう帰りたい。家にというより、東京に。

 新卒で入った会社だったが、夏には同期がひとり辞め、秋にはふたり辞め、季節は冬。
 仙台は暖かいというが、東京よりは、ずっと寒い。春になったら……1年頑張ったら、私も辞めよう。
 期限を決めれば、それまでは頑張れる。

 まだ辺りが真っ暗な時間に、会社へ向かう日曜日。休日出勤で仙台から岩手へ向かう。
 準備は全て車に入っているから、事務所へは寄らず、営業車に乗り込んだ。ヒールが邪魔になるから、パンプスは脱いで助手席に投げ、ゴムのアクセルを踏み込んだ。

 辞めたあとはどうするのだろう。
 次も決まってないし、薄給すぎて貯金もない。志望していた業界の企業たちからは、ことごとくお祈りを受けて、今の会社に入ったのに「次」は来るのか?
 数字の伸びない私を見つめる上司の呆れ顔。「見積、また間違えてた」と先輩の冷たい目が頭をよぎる。

 高速を飛ばして岩手に入ると、雪が降り積もっていた。
 分厚い雪を踏みギシギシと進む車。白線が見えず、一方通行なのか二車線なのかもわからない道路。
 そろそろ分かれ道が見えてもおかしくないのに、なかなか道は現れない。路肩に車を停めて、もう1度、スマホのカーナビで位置を確かめると、道を間違えていた。

「しまった。時間通りに着くかな。遅刻したら怒られるかな。今のうちに電話を入れよう。」
 先方の担当者は穏やかな声で「いいですよ。気をつけて来てください」と言っていた。あの人も、電話を切ったあと、迷惑そうにため息をつくのだろうか。怖くなって、慌てて運転を再開した。

 ぐるぐると山道を抜け、ようやくゴールが近づいてきたのを感じる。
 いつの間にか除雪された道に入り、黒い道路がはっきりと見えていた。朝の光を浴びてキラキラしている。

 この坂を下れば着く。時間はギリギリだけど間に合うだろう。

 ほっとした矢先、アクセルを踏み込んでないのに、車のスピードがぐんっと上がる。峠の厳しい下り坂で、重い荷物に耐えかねたようにどんどんメーターが上がっていく。

「うそ、スリップしてる?」
 除雪されていたから気づかなかったけど、道路が凍っていたようだ。

 こんなときはブレーキを踏んではいけないと聞いていた。
 とはいえ、スピードは上がり続けるし、祈っても止まってはくれない。心臓はばくばくと震えていた。

「ガードレール、曲がりきれるの?」

 たまらず勢いよくブレーキを踏む。「しまった」と、思ったときにはもう遅かった。
 ふわりと車が浮かび、車体が回る。タイヤと道路の間にコントロールできないすき間が生まれたみたいに、狂った車が暴走をした。

 車は前面からガードレールにぶつかり、私は直前、手で顔を覆った。目の前で白い爆発が起こり、もう一度、どこかにぶつかる感覚があった。

 二度目の衝撃で回転しなくなった車は、後ろ向きにずるずると滑り、やがてゆっくりと止まった。白いエアバッグから煙が出ていて焦げたような、火薬のような臭いがした。

「もしかしたら車が炎上するかもしれない。」
 と、慌てて車の外に出た。ひしゃげたガードレールが、崖に突き出してへこんでいる。「死んでいたかも」とか「怖かった」とかの感情や、思考は停止していた。除雪は路肩までされておらず、薄汚れた雪の上をパンプスも履かずに歩いて、座り込んだ。雪でストッキングが濡れ、スーツのスカートが濡れても、動くことができなかった。
 手首が熱い。エアバッグを擦ったときに火傷をしたようだ。じくじくとケロイドがにじんでいる。
 呆然としながら、私には、もう春は来ないと感じた。


「ほら、せっかく生きて東京に戻ってきたのに、お通夜みたいな顔しないで。」
 そう言って、仙台にいる間に、コツコツ書いていた童話を取り出した。
 ジョッキはもうからっぽだった。
「すみませーん! 生のメガジョッキ2杯で!」

【完】

 事故の後、幸いにも通りがかりの車からご夫妻が出てきて、事故処理の何もかもをやり、最寄り駅まで送ってくれた。
 とても親切にしてくれた、その人達を巻き込まなくて本当によかった。
 私の身体は、エアバッグで手首を火傷したくらいで、大きな怪我はなく、あの火薬の臭いはエアバッグによるものだと、後で知った。
 たくさんの奇跡に、私は救われたのだと思う。

 これが私の人生で起きたすごく不幸な出来事。
「おとなの寺子屋」メンバーと「書くこと」について哲学対話をしようとしたときに「不幸な人の方が面白いものが書けるのか」という問いが出た。
 たぶん、そんなことはないと信じたいけれど、この作品を読んだ人はどう思うのだろう。
 笑える話でもないし、ちょっと良い話でもない。ずっと蓋をしていた自分のいやな過去について、実験的に書いてみようと思った。

 当時のギリギリの状態で、毎日仕事に追われながらも、作家志望の私は作品を書いていた。「書かなきゃ次の職場はない」そんな熱量だった気がする。「別に書かなくても生きていける」と思う今の私よりもずっと「書く」ことに執着していた。
 その時書いた作品はそんな不幸な話でもなく「宇宙飛行士になりたい、うさぎのミズイロの話」とか、ちょっとファンタジーな童話だった。
 ただ、私のそれを読んだ友達の感想は「なんかしんどさが伝わる物語だった。やっぱり病んでたんじゃない?」と、本気で心配された。

 楽しいときに書いた文章には楽しさが宿るし、つらいときの文章には、どれだけごまかしても、飾っても、つらさがにじんでしまうのだろう。

私の全ての経験は、
作品に登場する幸福たちへ、
そして不幸たちへ、
リアリティという絵の具の彩りになれば、なにも無駄にはならない。

 果たして、それは面白いのか? 問いの答えは、読んでくれた人の感想に委ねます。

今日は私の誕生日。あのとき、死ななくてよかったと思っています。ありがとう。

PS・「もう死んでもいい」と思いながら働いているあなたへ
 短編小説は少し先の「未来」について書けなかったので、お手紙を書きます。
 私は会社を辞めたあと、入りたい業界の会社に入社することができました。最初は望んでいた部署ではなかったのですが、「異動したい。挑戦したい」と主張し続け、2年後に異動をすることができました。そして、「もっと難しいことに挑戦してみたい」と更に一歩、ステップアップした会社に転職をすることができました。回り道もしましたが、少しずつ、なりたい自分に近づいている実感があります。
 どうして変われたのか。それは、私が信頼している大人達から「辞めていい」と言われたことと、「何が耐え難くて」「何なら耐えられる」のか、考えた上で「これをやりたい」って言い続けられたことが大きかったと思います。
 小説の中の私は「もう死んでもいい」と事故の直前まで、かなり本気でそう思っていて、その想いが事故を引き起こしたのではないかと、しばらくは悩んでいました。でも一方で「死にたい」と思う程、切羽詰まってはいなかったし、まだ「大丈夫」って思っていました。自分の限界に気づいていなかったと、今ならばわかります。
 
 自分が思っている以上に、周りの大人達は優しくで、冷静です。そこに頼ることができれば、未来は開けていきます。相談して悩んだ末に「辞めない」という選択肢を取ることもありです。あなたの心が、まっすぐ、未来に向かいますように。

優しい大人達に「ごめんね、ありがとう」って甘えながら、生きている私より

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 読みごたえがあったと思います。ひと休みしてくださいませ。 もし余力がありましたら「スキ」やフォローをお願いします。