【短編小説】社交ダンスは手を繋ぐことから始まって、恋が始まるってことでもあった

 なんで手をつなぐと心がつながっているような感覚になるのだろう。
「凄く楽しくて、早く前に進みたい」と思っているときは、手も浮かれて跳ねる。
「思った以上に緊張してるのかも」冷たくなった指先で自分の気持ちに気づくことがある。
 ぐいっと引っ張られれば、「あっちに進もう」かな。手に力がなければ「心ここにあらず」かなと、動かし方で相手の気持ちを察することもある。
 だからなのか。
 町中で手をつなぎたい、つなぎたくない問題で、本気で恋人と喧嘩をするくらい、こだわりを持ってしまう。もちろん、私はつなぎたい派。でも、彼は恥ずかしいのか、嫌がる。私は譲れないので、あの手この手で彼を丸め込み、手をつないでもらっていた。

 社交ダンスは手をつなぐことから始まる。
 たった1度だけしか出逢わなかった人も、3年間付き合っている恋人とも、全てはここからだった。
 競技フロアに入るときは、私の左手と相手の右手が合わさる。
 踊り始めるときは、相手の左手が差し出され、私の右手がそれに応える。
 かかる曲も、一緒に踊る別のカップルがどんな人なのかもわからない。テンションが上がる曲がかからないかもしれないし、別のカップルとぶつかるかもしれない。でも、もしかしたら、今までにないくらい、ベストな踊りができるかもしれない。どんな踊りになるだろう。ドキドキして、わくわくして、自然と笑みがこぼれる。

 お互いの意思を手を通して伝え合う、社交ダンスに出逢ってから、私の人生は変わった。

 ひとりっ子で甘やかされて育った分、わがままで意見を譲らず、理想が高くて完璧主義。昔の私は、我ながらイヤな奴だったと思う。付き合った人とは長続きしないし、気まぐれな片思いの方が楽しかった。ただ、社交ダンスでその性格だと、余程顔がよくて、ダンスが上手くないと通用しない。
 恋人を探すとき、理想は色々あるけど、だいたい顔と性格で決める人が多いと思う。競技ダンスの相手探しはそれに加えて、種目の好み、ダンスの上手さ、練習頻度、教室の選択、競技の目標値、ダンスの熱量……評価項目が多すぎる。
「恋人を探すよりも、良いダンスの相手を探す方が大変」というのは、ダンス界の常識だ。
「完璧な相手なんていない」仲の良い師匠から最初に教わったことだった。

 顔も性格も大して可愛くない私がダンス相手を見つけられたのは、本当に奇跡だと思う。イケメンでノリが良く、ダンスへの熱量が高い彼は、新しい教室を案内してくれて、競技の世界へ一緒に歩んでくれた。
 私は一瞬で恋に落ちて、彼と男女のお付き合いを兼ねるようになるまで、そんなに時間がかからなかった。
 足が痛くて涙が出るくらい練習して、ダイエットで食事制限をして、デート場所はほとんど練習場だったけど、びっくりするくらい毎日楽しかった。もし1度だけ人生の再体験をさせてもらえるなら、迷いもなくあの日々だと言い切れる程に。

 でも、ある日突然、手を振り解かれた。
 練習をするはずだった場所に彼は現れず、連絡が取れなくなり、私は途方に暮れた。
「失踪」どうしようもなく人間関係が深くなって、距離感がコントロールできなくなりがちな社交ダンスにおいて、相手と関係を断つ最終手段。私も、友人数名から話は聞いたことがあるので、そんなに珍しくない現象なのかと思っていたけど、まさか自分の相手がそうなるとは思ってなかった。最高に幸せだっただけに、気分は底なしに落ち込み、色んな人に心配をかけた。
 泣いたり怒ったりするのに疲れた頃、ようやく私は彼がずっと我慢をしていたことに気づいた。私は彼を上手く丸め込んだ気でいたけれど、彼は私と上手くやっていくために、我慢をしていたのだと。そして、私は恋の力のまま、あまりにも浮かれていて、彼の我慢に気がつかなかったと。

 会えなくなってから1ヶ月後。
 祈るような気持ちで「ごめんね」とメッセージを送ると、
「俺のほうこそごめん」と返事が返ってきた。
 私はまた、泣いたり怒ったりしたけど、結局、別れることはなかった。

 もう、私は彼と踊っていない。世界が、社交ダンスを踊ることを許さなくなってしまったから。
 あんなに私の人生を変えてくれたのに。きっと色んな人を生き方変えてくれるというのに、手をつなぐことが許されない世界になってしまった。


 ただひとつ、手に入れたものがある。彼と一緒に暮らす家の鍵を。
「もうこれ以上、距離が離れたまま、前に進むことはできない」と言った私に「一緒に住もうか」と彼は応えてくれた。

 この先どうなるかなんて、まるでわからない。
 でも、できるだけずっと、彼と手をつないでいきたい。
【完】

「おとなの寺子屋」作文教室で「好きなことについて書く」テーマだったときの作品。

本当は社交ダンスについて描きたかったのに、ワークでは彼のことばかり挙げていました。

当時、彼とは海外と日本の遠距離恋愛をしていたし、彼が日本に帰ってくると知っていたので、頭がいっぱいだったのだと思います。

社交ダンスができなくなって、業界が危機的状況に陥っている今の現実が苦しくて、自分の無力さを感じます。

少し距離ができた分、描きやすくはなったので、どんどん作品を書いていきたいです。

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