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自分が一番書きたいことがジェンダー関連だったけどずっと書けなかったはなし。

私は弱虫だ。

どうやったら皆がいち個人として幸せな生き方ができるのか。シンプルな話である。ここ20年ほど私の中でとても大きな関心事であり、もちろん当事者でもあった。今まで書けなかったのは、ただただ私が弱い人間だからである。

男ばかりの環境で、面倒くさい女だと思われることが何よりも怖かった。ただでさえ縦のつながりで仕事が回ってきたり来なかったりするその閉鎖性の中で、少しでも異を唱えたり疑問の声をあげることは自殺行為に思えた。仮に声をあげても、気のせいだろ?お前に実力がないのが悪いんだと言われるのが目に見えていた。実際に言われたし。

あれから20年ほど経ち、かつてとは異なる環境の中ひとりの人間として扱ってもらってのびのびと仕事はしているけど、今でもやっぱり匿名でないと書けない弱虫だ。

大学で始めて直面したこと。

中学高校まではほぼ完全に個人が尊重される男女平等の環境だった(と当時は思っていた)ので、大学へ入学してしばらくしてから気が付いた時には遅すぎた。

おかしいぞ、と思ったきっかけは同級生の「お前ら女は腰掛けなんだから楽でいいよな!俺らは生活がかかってるからそうはいかないんだぞ」の一言だった。今までそういう発言をする人が周りにいなかったので、彼が何を言っているのか本気で理解できなかった。女だから生活かかってないってどういうこと?何故彼が直接私たちに言ってくるのかも分からなかった。八つ当たり?牽制?ただの愚痴?今なら彼も「男としての生き方」に縛られた被害者であり、苦しんでいたのだろうなと思う。

次に、大学の人権の授業(教職科目)で他専攻の男子学生と女性の人権についての意見が行き違い、書面での議論になった。エキサイティングな展開?に教授が喜んでしまい、しばらくその後公開討論が続いたのだが、最後は彼が「男の方が走るのが速いんだから男がえらいんだよぉーーーー!!!」の一点張り(男の方が強い&身体能力が高いから女は黙れ)になり、収集がつかなくなって教授のまとめもないまま終わった。ちなみに議題と走る速さには関係がなく、単に彼がスポーツ専攻だったので自分の基準で「身体能力が高い=偉い」という発想になり、また彼もそれに縛られる生き方の中でプレッシャーを感じたりしていたんだろうけど、当時は私があくまでもお互いの意見内容について議論し合っていると思っていたのに対して相手は女が生意気にも口答えをしてくるというスタンスに終始していたこと自体に衝撃を受けた。彼はその後教職に就いたのだろうか。ちなみに前者の生活がかかっていた同級生は大学卒業してからずっと教師だ。

教授陣にも徹底的に嫌われた。

胸板が厚くやたらと上半身に威圧感がある私は普通に真顔で立ってるだけで「謙虚じゃない」「自信があるのは良いけど(何も言ってない)態度が傲慢で良くない」と責められ続けた。真面目に授業を受けていたし、失礼な口をきいた覚えは一度もない。謙虚じゃないと言われた時は授業中に自分の番が回ってきたので「お願いします」と前に立っただけで言われて心底びっくりした。

自分に何か問題があるのだろうかと本気で悩んだ。教授たちからものすごく可愛がられる友人に相談したところ、「いつもニコニコして相手を立てて、お父さんだと思って機嫌取っておいたほうがいいよー転がせるようになったら簡単だよ」と言われた。残念ながら我が家はスーパーかあちゃんが君臨する母子家庭だった。

それでも男がマジョリティーの分野に自分から足を突っ込んどいて文句言うのもなと思い、受け入れてもらおうと頑張った。学外でも嫌われたらたまらんと偉い人偉くない人皆の前でニコニコもしてみた。その結果、飲み会でのホステス扱いのみならずその地域分野で一番権力のある男性に愛人になったら仕事あげると公衆の面前でからかわれ、ひどいセクハラが年度を通して続いた。周りにいた普段交流のあるまともな大人たちに目で助けを求めてみたけど、皆見て見ぬふりでだんまりを決めこんでいた。完全に終わったと思った。

留学してみた。

ここ(日本)じゃ女は生きづらい。そう思って海外へ飛び出した。

欧米(←)は進んでいるから、きっと生きやすいはず!」と根拠もなく思った。日本よりは楽な部分も確かにあった。あったけど、今考えると「女でしかもアジア人」は圧倒的に不利な状況も多かった。しばらく必死すぎて気づかなかったけれど。

大学院で自分の専攻と絡めてジェンダーも学んでみた。そこにはやっぱり絶望があった。深く追求すればするほど気分が落ち込み暗くなった。何よりも辛かったのは、私がちょっと頑張ったところで社会は変えられないと痛感したこと。いったん脇に置いて、自分のことに専念した。結婚し、相手の仕事の都合で国内で引っ越した。そこは途端にアジア人としても女性としても以前と比べてずっと生きやすい社会で、とても驚いた。土地柄って大事だな、と思った。

数年経ち、今度は日本に帰ることになった。帰ってみたら、社会は少し変わっているように感じた。気になって色々調べてみた。やっぱりあまり変わっていない気もした。

最初にも書いたように、私が実現すれば良いなと思う社会はすべての人が自分らしく生きられる社会であり、そういった意味での平等な社会である。ここに書くことで、誰かに何かが伝わったら良いし、少しでも生きづらいと感じたことのある人と繋がれれば良いなと感じている。

(便宜上「男女」という言葉を使う場面も出てくるかと思いますが、男女の枠のみに限らずすべての性を含んでおりますのでご了承ください。他の表現方法のご提案をいただけましたら感謝いたします。)




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