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名字が変わるまで知らないでいた、透明なかなしみについてのこと

数年前、家族の希望で名字が変わった。
いろんな都合があってのことだったけれど、もともとは、結婚で改姓した母の「自分の名前に戻りたい」という気持ちに端を発したことだったので、私は反対しなかった。それはそうよね、と思って。多少不便だけど、その気持ちはわかるなと思ったのだった。

「名前が変わってしまうこと」について自分があまりに無自覚だったなと気づいたのは、届けが受理されてもとの名前に戻ったと喜ぶ母に、ぼんやりと「よかったね」と言ってから、ずいぶん経ってからのことだった。

名前が変わると、いろんなことをしないといけない。
仕事の昼休みに郵便局に行って、通帳とカードの名義変更の手続きをして。ごはんを食べてから、人気のない頃を見計らって、総務人事に手続きについて聞きにいった。仕事で名前が通用するようになっていたし、またゼロに近いところから名前を覚えてもらう苦労をしたくなかったので、旧姓で通すつもりだった。「女性の名字が変わる大半の理由は結婚」という認識が強いことはわかっていたし、そうでない理由を逐一説明するのが億劫だったこともある。

私が働いていたのは、地方のせいか、ときどきびっくりするくらいに古い価値観が強い会社だった。はじめは「大学院出のお嬢さん」扱いを受けたり、「長く勉強して賢いつもりかもしれませんけど」と言われることがあったりした(どうでもいいことだけど、そんな嫌味はじめて! と思った私のあだ名は、しばらく「お嬢」だった。確かに、世間知らずだった)。そんな会社では、「結婚して子供を産むことが女性の人生の最適解」という価値観が、あまりにも根強かった。そして、噂好きな人が多かった。
だから、名刺を刷り直してもらうといろんな人が私の部署にやってきて、結婚したの? と聞くだろうなと思った。そうして、改姓の理由が結婚ではないと知ると、どうしてなのか知りたがるのだろうな。その次は、社員食堂や私の知らないところでその理由が共有されるんだろうな、と容易に想像がついた。

そういった反応は、ごく普通のことだ。私も、気になってしまうと思う。
だけど、ものすごく嫌だった。自分でも、びっくりするくらいに。

案の定、総務人事の人は念のため「このことは仕事内に留めてほしい」と告げたのに、大声で事情を聞きたがった。気持ちがおさまらなくて、部署に戻ったあと、メールで「個人情報について、もう少し配慮していただけないでしょうか」というお願いを重ねてした。そうしたら、総務人事部長から小部屋に呼び出されてしまった。

そのことがあって、私はいっそう頑なになったのだと思う。

郵便局の手続きを終えるのがせいぜいで、改姓後のあれこれをする気力が尽きてしまった。メインで使っていたクレジットカードの手続きも、しなくちゃいけないのに取りよせた書類を見つめる時間だけが重なっていく。いろんなことに、なかなか手がつけられなかった。

当時、会社の給与明細は紙で渡されていた。当たり前だけれど、きちんと手続きをしたので、給与明細はあたらしい名字で印字されるようになった。どうやっても窓開き封筒からあたらしい名前が見えてしまうので、月初めにそれを配る上長には、改姓したことを話した。仕事上は旧姓で通すことや、噂好きの人にはたとえ聞きたがったとしても何にも説明しないつもりでいることを、率直に告げた。会社で一番フェアで常識的で、社内に噂好きが多いことを倦厭していたところのある上長は、私の「嫌だ」を受け止めてくれて、給与明細を机上に置く場合は伏せるし、できるだけ直接手渡すと約束してくれた。私の、わがままだった。

それから一年ほどして、総務人事の人が気を遣って、給与明細を配ってくれたことがあった。上長が休みで、早く渡したほうがいいのではないかと思ったらしい。その日は、私も休みだった。次に出勤した時、封筒が伏せられていないのを見てなんとなく悟っていたけれど、上長から話があると切り出されて、ああやっぱりなと思った。上長は、「あなたの給与明細の宛名を見て、同僚が間違いじゃないかと思って問い合わせて、総務人事から改姓のことを聞いたそうです。総務人事は個人的なことを当人の了解もなしに伝えるべきじゃなかったと思うし、私も迂闊でした」と丁寧に謝ってくれた。

このひとは、一年も私のわがままにつきあってくれていたんだな。そう思いながら、私は笑った。自分が頑なだったこと、たしかに総務人事は軽率だと思ってしまうけれど、何より誠実に対応してくれた上長の気遣いに感謝していること、そんなことを言った。平気そうに振る舞えていたと思う。

でも、ほんとうは、少しだけ泣きそうだった。

その時はじめて、ほんとうに遅まきながら、自分が名前が変わってしまったことを受け入れられていないでいることを、はっきり自覚したのだった。

名前が変わって、それまで普通に使えていたショップカードを忘れがちになったこと。会員登録しませんか? と言われたときの、喉がふさがれてしまったようなためらい。Amazonや通販サイトの登録をいちいち修正するときの、よくわからない苛立ち。荷物が届く度に、あたらしい印鑑のよそよそしさや印字された名字に違和感を覚えたこと。通っていた美容院や整体で旧姓を呼ばれるとほっとして、わざわざ訂正したくないな、と思ったこと。友達に手紙や物を送るねと言われたときに、「結婚とかじゃないんだけど、名字が変わってね」とかるーい感じで言わなければならない気がするのに、でも内心ではぜんぜん軽く思っていない矛盾。結婚式の招待状が届かなかったようだから手渡したいと言われて、届かなかった理由をうまく口にできなかったこと。自分で新しい名前を書くときに、手が震えてしまったこと。会社で旧姓で呼ばれると、安心してしまうこと。

もう気にしていないので、ほんとうに大丈夫です。一年もありがとうございました。そんなことを言いながら、一年の間にもやもやし続けていたことが、ひと息に押し寄せてくるようで。胸が詰まった。

そっか、二十数年生きてきたあの名前の私は、もういないんだ。
たった数文字、変わっただけなのに。私、こんなに苦しいんだ。
あの名前の私、いなくなっちゃったんだな。
私は、変わらず私であるはずなのに。

そう思うと、何も欠けているところなどないはずの身体に、何か透明でやわらかくて、でも決して触れられない穴みたいなものが出来ているような気がした。べつに、死んじゃったわけでも行方不明になったわけでもないのに、ぽっかりとした喪失感がそこにあった。

それは、名前を変えたいのだと言われて、とくに何も思うことなく頷いたかつての私には到底想像できなかったものだった。
その透明なかなしみは、かつて母が知ったものなのだろう。そして、長い時間を経て母のそれが幾許か慰められたときに、今度は同じような痛みが私にもたらされたのを、皮肉なことだなと感じた。

それまでの私が鈍感すぎただけで、母のことも、母に頷いたあのときの自分のことも、恨んではいない。でも、いままでの自分がごっそりと抉られて減ってしまったような気がする透明なかなしみは、なかったことにはならないんだな、とよく思う。

ときどき、友達と結婚の話になると「自分のアイデンティティを失いたくないから、名前を変えたくない」と聞くことがある。
私はその度に、あの透明なかなしみのことを思い出す。これからも完璧に消えることはないそれと、あのフェアな上司が結婚したとき、仕事では名前を変えないと言っていたのに名刺を作り直していたから不思議に思っていると、「仕事で旧姓を使い続けるのは離婚率が高いらしいと説得されて」と言われたときの、わかるようなわからないような気持ちとか。そういったものを、もやもやと、糸くずを転がしてまとめるみたいにして思い出す。

そうして、何だか絞り出すようにして、だいたいこんなことを言う。

もし何とも思っていないならいいけど、私は自分の名前が変わって、自分が予想していた以上につらかったよ。私がそうだったように、あのつらさはなかなか自分のものとして想像しにくいものだと思うから、後になって気づく人もいると思う。だから、できるだけそのかなしみがたくさんの人に降りかからないといいなと思ってる。と、なんだか世界平和を目指しているようなことを言ってしまう。もちろん、世界は平和であってほしいけれど。

そんな会話をするたびに、結婚するときには自分で名前を選べる世の中になったらいいのにな、と思うのだった。ひとつのものとか家とか先祖代々とかそういったことではなしに、シンプルに。それこそ、「私はこうする。あなたはどう?」というくらいの気軽さで、在りたい自分につける名前を好きに選べるといいな、と。名前を変えたい人も、変えてよかったと思う人も、変えたくない人も、変えたくなかった人もいるのだから。

私の改姓は結婚が理由じゃなかったからこんなにかなしいのかな、と考えてみたこともある。でも、たぶん理由が結婚であっても受け入れ難かったんだろうなと気づいた。私が私でなくなることの痛みがこんなにあるなんて、知らなかったな。いまはもうすっかり慣れ親しんだ痛みを撫でてやるようなときなどは、しみじみそう思ってしまう。たった数文字の違いなのに、その違いがずっと尾を引いている。

これから私が結婚することがあったら、まず名前を変えたくないという話をするだろう。あのかなしみは、もう二度と欲しくない。でも法律が変わっていなかったら、今度は私が、同じかなしみを誰かに与えるのかもしれない。名前について考えると、いつもそこで思考が止まって、憂鬱になる。

私は数年かかって、ようやく、ほんとうにようやくのことで、今の名前を少しだけ受け入れてあげてもいいかな、と思えるようになってきた。十年以上使い続けているハンドルネームがあることも、気持ちを援けてくれたのだと思う。それでも、いまだに病院や郵便局であたらしい名前で呼ばれると、一瞬、誰のことなのかわからない。説明するのがいやで、相変わらず旧姓で通しているお店もある。とりたてて必要がなければ言わないままだから、私の改姓を知らない友達はたくさんいる。

ただ、つい数時間前、仕事で知り合った人に「名前が変わっているのでこういう名字で手紙を送りますけど、気にせず前の名前で呼んでくださいね」とメールしたとき、痛みはそれほど感じなかった。そのメールを書くまでに、多少時間は要したけれど。そのことが少しさみしくて、でも、同じくらい安堵してもいる自分がいた。

メールを打ったあと、その勢いで手紙を書いてしまうことにした。
手に入れたばかりの素敵な万年筆で、一筆箋に手紙を書いた。封筒に宛名を書いて、最後に、自分の住所とあたらしい名前を書いた。その漢字の並びは、相変わらず自分のものだという気はしない。でも、かなしくなりすぎるほどではない。ほんの少し、痛みの名残のようなものがあるだけで。

ようやくこれだという使いどきが訪れた切手を貼った封筒を、書類を立てているアンティークのナプキンスタンドにさしたとき。ぼんやりと、いつになったら慣れるのかな、と思った。

あたらしい名前がかんぺきな「私の名前」になることは、たぶん、この先もずっとない。少しずつ、慣れてはいくのだろうけれど。でも、やっぱり。何にも疑問に思うことなく私が私でいられたときの穏やかさについて考えると、自分のために、いまくらいの痛みは持ち続けていたいなと思っている。


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