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『漫画と出汁と父娘』本編


〇スーパーマーケット、総菜売り場(夕)
   5、6人の買い物客。
   カートを押しながら商品を選ぶ主婦。
   鈴木幸子(58)。
   2割引のシールが貼られたコロッケに手を伸ばす中年男性。
   吉田治(46)。
鈴木「あら、吉田さん」
治、手を止める。
治「……も」
   「どうも」という言葉の語尾しか聞こえない。
   治はコロッケを取らず、鈴木に軽く会釈してその場を去る。
   店員、治が取らなかった商品に2割引シールの上から半額シールを貼る。
   鈴木はそのコロッケをすかさず取る。

〇吉田家・リビング~台所(夜)
   食卓にはご飯、味噌汁、刺身、漬物、箸。
   台所のゴミ箱の中に半額シールの貼られた刺身のパック。
   テレビから笑い声が聞こえる。
   治、朱美(45)、瑞穂(16)、無言で食べる。
朱美「このお味噌汁、美味しい」
   治、箸を置き得意げな顔。
治「今日は出汁を取ったからね。顆粒じゃないぞ」
朱美「すごいじゃない。新作のネタになるんじゃない。出汁取りグルメ漫画!」
治「出汁が漫画にねぇ……」
   瑞穂、わざと大きな音を立て味噌汁のお椀をテーブルに置く。
朱美「ちょっと、瑞穂」
   治、朱美を見て首を横に振る。
   瑞穂、食べ終えた食器を持って立ち上がる。
朱美「『ごちそうさま』は?」
   瑞穂、何も言わないで食器をシンクに置く。
朱美「何でイライラしてんのよ」
   瑞穂、わざと足音を立てて戻ってくる。
瑞穂「何が『出汁取った』なの!?何が『出汁取りグルメ漫画』なの!?」
   朱美、小さく、「あ」と声にならない声を漏らす。
瑞穂「鈴木んとこのおばさんに言われちゃったじゃん」
朱美「何て?」
   瑞穂、悔し涙を堪える。
瑞穂「お父さんは仕事してるの、って」
朱美「瑞穂、それは――」
瑞穂「何て答えりゃいいのよ」
   瑞穂、地団駄を踏む。
   テーブルの上の醤油瓶が揺れる。
瑞穂「売れない漫画家って言えばいいの?」
   治、頭を掻く。
瑞穂「お父さんは、そうやっていっつも、なんも答えない」
朱美「瑞穂、お父さんは頑張ってきたのよ。昔――」
瑞穂「(かぶせ気味に)あー、はいはい。昔は300万部売った大人気漫画家だったんでしょ。でも、そんなの昔じゃん。今は?今はどうなの?」
   瑞穂、大きな音を立ててドアを閉める。
   階段を上がる足音。
   治、醤油瓶を取り、白米にかけようとする。
朱美「ほどほどにね」
   治、ドバドバとかける。
   朱美、小さくため息をつく。

〇高校、教室
   チャイムが鳴る。
   お弁当を持って移動し始める生徒たち。
   瑞穂と机を向かい合わせにする生徒。
   立原優香(16)。
   瑞穂、お弁当の出汁巻き卵を口に運ぶ。
優香「瑞穂ん家のお弁当っていつも手が込んでるねぇ」
瑞穂「そう?」
優香「そうだよ」
瑞穂「父親がずっと家に(言いかけ、やめる)あ、テスト終わったら、シェイク飲みに行かない?」
   瑞穂、シェイクの写真を検索し、スマートフォン画面を優香に見せる。
優香「行く、行く」

〇同、漫画研究部部室(夕)
   瑞穂、部室のドアを開ける。
   笑顔で瑞穂を待ち構えている女子。
   加藤真理(18)。
真理「やぁっと来たね」
瑞穂「え?今日って何かありましたっけ?」
   真理の後ろで微笑む部員たち。
   一人だけ真顔の女子。
   高倉花音(16)。
真理「ま、座って。これから発表するから」
   瑞穂、部員の輪に入って座る。
真理「実はぁ、我らが高倉 花音さんが、賞を取りましたぁ!」
   部員たちが盛大に拍手する。
   花音、身体を縮こませる。
   瑞穂は戸惑いながらも一応拍手する。
真理「さ、高倉さん、見せてよ」
   花音、鞄から漫画雑誌を取り出す。
   漫画雑誌と共に現金書留の封筒が出てしまう。
   花音は慌てて封筒をしまう。
花音「努力賞だから、まだデビューじゃないですけど……」
   部員たち、すごい、おめでとう、と声をかける。
   瑞穂は何も言わず、その様子を見ている。

〇吉田家・リビング~台所(夜)
瑞穂「ただいま」
   朱美、テレビを見ている。
朱美「あ、おかえり」
   誰も立っていない台所。
瑞穂「お父さんは?」
朱美「神保町。担当さんに会うって」
瑞穂「ふーん」
   朱美、テレビを消す。
朱美「ご飯にしよっか」
   朱美、レンジで冷凍シュウマイを温める。
   瑞穂、やかんでお湯を沸かす。
   食卓に食事が並ぶ。
   冷凍品のシュウマイとインスタント味噌汁、ご飯。
朱美「たまにはこういうのもね」
瑞穂「いただきます」
   瑞穂、お味噌汁を飲む。
瑞穂「美味しい」
朱美「え?」
瑞穂「お父さん、昨日、出汁を取ったとか自慢してたけど、インスタントだって普通に美味しいじゃん」
朱美「まあ、そうね」
   玄関の鍵が開く音。
治、リビングのドアを開ける。
治「ただいま」
朱美「おかえり。ご飯は?」
治「いや、いい。昼飯遅かったから」
   治はドリッパーにペーパーフィルターを敷き、コーヒー豆を入れる。
   瑞穂、テレビをつける。
朱美「コーヒー?今から仕事?」
   治、何も答えずお湯が注がれたコーヒー豆をみつめる。
   治はそのままコーヒーを持ってリビングから出る。
瑞穂「お味噌汁、お代わりしようかな。お母さんは?」
朱美「いらない。インスタントって飽きちゃ
うから」
   瑞穂、お椀にお湯を注ぐ。

〇高校、廊下
   花音、クラスメイトに雑誌を見せる。
   クラスメイト、驚きつつ祝福する。

〇同、漫画研究部部室
   真理、ドアを開ける。
   瑞穂がお弁当を食べている。
   瑞穂、真理に会釈する。
真理「昼休みに来るなんて珍しいじゃん」
瑞穂「今日、友だちが休みで……」
   真理、お弁当を広げて食べ始める。
   真理、食べ終えて、机に向かう。
瑞穂「何してるんですか?」
真理「決まってんじゃん。ま ん が」
瑞穂「漫画」
真理「漫画研究部だしさ」
   机の上のスクリーントーン。
   丸ペンを握る真理の手。
真理「あー、また間違えた!ホワイトは」
   真理、修正液を探す。
真理「吉田さんは?描かないの」
瑞穂「描いてますよ」
真理「イラストじゃないよ。漫画だよ」
瑞穂「漫画かぁ……」

〇吉田家・治の仕事部屋(夜)
   机に向かって漫画を描く治。
   机の上にはコーヒーが半分以上残ったままのカップ4つ。
   ノートに複数の作品名、日付、バツ印。

〇同・廊下(夜)
   治の仕事部屋から明かりが漏れる。

〇同・台所(夜)
   朱美、食器を洗う。
   瑞穂、黙って隣に立ち、食器を拭いて棚にしまう。
瑞穂「お父さんさ」
   蛇口から出る水。
瑞穂「お父さんさ」
朱美「え?」
瑞穂「お と う さ ん」
   朱美、水を止める。
朱美「ごめん。水の音で。何?」
瑞穂「お父さん、漫画、描いてんだね」
   朱美、スポンジに洗剤を垂らす。
朱美「当ったり前じゃない。漫画家なんだから」
瑞穂「いつから?」
朱美「そんなの瑞穂が生まれる前からずっと」
   瑞穂、ドリッパーを拭く。
瑞穂「私も描いてみようかな」
朱美「あら、描いたことなかったの?漫画研究部なのに?」
瑞穂「うるさいなぁ」
   瑞穂はドリッパーをしまい、食器棚の扉を静かに閉める。

〇高校、漫画研究部部室
   瑞穂、机に向かって漫画を描く。
   真理、瑞穂の隣で漫画を描く。
   キャラメルを開ける真理の手。
真理「吉田さんはさ」
   瑞穂、顔を上げる。
真理「どうして漫画家になりたいの?」
瑞穂「え?」
真理「なりたいんでしょ?描いてるってことは」
   真理、瑞穂にキャラメルを差し出す。
   瑞穂、会釈して受け取る。
瑞穂「私、親が漫画家なんです」
真理「は?嘘!誰?」
瑞穂「吉田治」
真理「マジで?スーパードラゴンアタックの?家に単行本あるよ」
   瑞穂、無言で頷く。
瑞穂「子どもの頃から、ずっとお父さんのこと、尊敬してて。同じように漫画家になりたいって思ってた。でも、お父さんの漫画が売れたのは過去の話で、最近は全然……。同人誌つくったり、企業のPR漫画描いたり。それって」
   瑞穂、丸ペンを強く握りしめる。
瑞穂「ださい、ってずっと(思ってた)……。それに、出汁とか取るんですよ。男なのに。どんだけ暇なの、って」
   真理、椅子にもたれる。
   ギィという椅子の音。
真理「やってみれば分かるかもね」
瑞穂「え?」
真理「漫画も出汁も。やってみたら分かるんじゃない」
   真理、部室から出る。
   瑞穂が夏の制服姿で漫画を描く。
   瑞穂が冬の制服姿で漫画を描く。
   
〇高校、教室
   冬服の生徒たち。
優香「お弁当食べよ」
   瑞穂、コンビ二弁当を出す。
優香「あれ、珍しいね。親と喧嘩した?」
瑞穂「ううん。最近、お父さん、忙しくて」
優香「え!?いつもお父さんがお弁当作ってるの?」
   瑞穂、表情が凍り付く。
優香「いいね!なんかカッコイイじゃん!」
   明るく笑う優香。
瑞穂「うん」

〇吉田家・リビング~台所(夜)
   テーブルの上にはご飯、味噌汁、生姜焼き、キャベツの千切り。
瑞穂「美味しい」
治「え?」
瑞穂「このお味噌汁、美味しい」
   台所には出汁を取った後の昆布と鰹節。
朱美「お父さんのお味噌汁だからね。決め手は何ですか?」
   朱美、おどけて治の口元にマイクを向けるふり。
治「そりゃあ、もちろん出汁でしょう」
瑞穂、吹き出す。
瑞穂「一つ報告が……。漫画を描きました」
治「おお!」
瑞穂「ごめんね。私、お父さんのこと、過去の栄光にしがみついて努力を怠っているってずっと思ってた」
朱美「瑞穂、そんな風に――」
   治は涙が出ないように下唇を噛む。
瑞穂「漫画を描いてみて初めて分かった。描くのは孤独で苦しい。しかも」
治・瑞穂「面倒くさい」
   治と瑞穂、顔を見合わせて吹き出す。
瑞穂「アハハ。コマ割り考えたり、色んな角度から描いたりね。本当、面倒くさい」
   瑞穂は茶封筒に入った漫画を治に渡す。
瑞穂「4か月もかかっちゃった。でも、一生懸命描きました。先輩、読んでください」
治「先輩……」
   茶色い封筒に涙が落ちる。
   治、漫画を読む。
瑞穂「どう?」
治「台詞が多いな。でも、」
瑞穂「でも?」
治「よく完成させた。完成させることが難しいんだから」
瑞穂「お父さん」
朱美「漫画も出汁も手間がかかるのね」
   朱美、味噌汁のお椀をしげしげと見る。
治「そうだ!出し殻でふりかけを作ろうか」
瑞穂「いいね。明日のお弁当、ご飯の上にかけてね」
治「じゃあ一緒に作るか」
瑞穂「うん」
治と瑞穂が並んで台所に立つ。

(終わり)


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