あいつの出世(後編)

無敵だと思っていた男子高校生が大学受験の失敗により、劣等感を抱き、その劣等感が溶けてなくなるまでの話。
後編です。
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 俺は地元の私大に入学した。
「どこ高なの?」
こう質問してくる奴に出身校を言うと、皆、口を揃えてこう言う。
「え……。どうしてここの大学に来たの……」
どいつもこいつも同じ質問ばっか。俺の勉強が足りなくて国立落ちたからに決まってンだろ。
 でも、こんな大学の学生でも腐ってはいけない。就職活動という次なる選抜が待っている。もう同じ轍は踏まない。俺は「企業」に狙いを定め、入学と同時に真っ直ぐ進むのだ。そのためにサークルだって、ボランティアだって、バイトだって何でもやる。エントリーシートに書けそうなことは片っ端からやっていく。
 時々、金沢からメールが届く。しかし、適当に返信するだけで、あいつが望む答えを返すことはしない。もう俺と金沢は、次なる「就職」というゴールに向かうライバルなのだから。
 金沢からメールがこなくなってもう随分経った。しかし、毎年正月になると年賀状だけは届く。別に返事は書かない。もし次、俺から金沢にメールなり年賀状なりを出すことがあるとすれば、それは俺自身の就職が決まった時だ。できればその時は、金沢よりも良い会社から内定を貰っていたい。
 エントリーシートの記入、筆記試験、面接に次ぐ面接を繰り返し、ようやく内定を獲得できた。俺が就職活動をしていたのはリーマンショックの前年で、「売り手市場」といわれている年だったが、就職活動はイージーモードではなく、かなりハードモードだった。
 結局俺は、地元の中堅企業に就職することを決めた。名前を聞けば、誰もが尊敬するであろう大企業の、大企業の……子会社、いや、グループ会社だ。冠に大企業の名がつく効果は大きく、国立大学に落ちたことで俺を見下しやがった田舎の親戚たちはこぞって俺のことを称賛してくれた。親戚の輪の中にいる母も嬉しそうだ。やっと、やっと母を安心させることができたのだ。
 就職が決まってから俺はようやく金沢にメールを送った。
「元気か?そろそろ会うか?」
金沢がどんな就職先に決まったのか知りたいし、俺も自分の就職先を知らせたかったのだ。
 通っていた高校の近くに最近できたというハワイアンパンケーキの店で会うことになった。男二人でパンケーキはないだろうと思ったものの、金沢は甘党なのだ。俺はコーヒーが飲めさえすればそれでいい。
 久しぶりに会った金沢は全く変わっていない。おどおどして、こちらの機嫌をうかがうように話し始めた。この様子じゃ、就職も決まっていないかもしれないな。そう思った俺は、内定が出たことを意気揚々と伝えた。
「おめでとう!」
そう祝福してくれた金沢。暗いけど、いい奴なんだよな。でも、少しでもそんなことを思った俺が馬鹿だった。金沢は上場企業から内定を貰っていたのだ。そこは地元では誰もが憧れる銀行だ。
 結局、いつも、いつだって金沢はこうして俺を見下すのだ。賞賛するフリをして――。俺の後をくっつき回っていると思ったら、いつの間にか追い越しているのだ。そう思ったら悔しくて、味の分からないパンケーキを口に詰め込み、コーヒーで流し込んだ。
 
 その後、五年が経ち、金沢と再会した。俺の結婚式で、よりによって俺の晴れ舞台で、俺は金沢が主任に昇進したと聞かされたのだ。
二次会で皆の酔いが回ったところに、俺と金沢の同級生・児玉が絡んできた。
「金沢ぁ。今、何してンだよォ」
「児玉くん、久しぶり。僕は……ひまわり銀行にいるよ」
「ひまわり銀行!? 名刺くれよ。住宅ローンを組むかもしれねぇかンな」
 金沢は名刺を出し、児玉はそれを受け取った。
「お。主任とはなぁ。ローン金利、おまけしてくださいよ、主任殿。そうだ、お前も結婚したし、これから夢のマイホームを建てるンだろ。金沢に世話になれよ」
 上機嫌の児玉がそう言いながら、俺のわき腹を肘でつつく。やめてくれ。この場の主役は俺なのに……。口に出せない言葉を飲み込み、ひきつった笑いを浮かべるだけで精一杯だった。
 
 結婚式以来、金沢とは連絡を取っていない。向こうからも連絡がないし、主任殿は忙しいのだろう。もしかして、もう課長とか支店長になったのかもしれない。こうやって金沢への劣等感は時折俺の心をチクリと小さく痛める。それはまるでなかなか抜けない棘のようだ。我慢できない訳ではないが、気になり始めるとチクチク痛む。
 俺の会社は、上がつっかえているため、なかなか昇進のチャンスが回ってこない。でも、いいのだ。今の俺には喜び、幸せがある。もうすぐ子どもが生まれるのだ。産科医によると、どうやら双子らしい。お揃いの服を着せ、家族で横一列になって歩くのだ。今から愛おしくて堪らない。
 
 出産の日――。
 帝王切開で出産した妻は、生まれたばかりの子ども二人を残して、旅立ってしまった。医療事故だった。
 妻が、我が子を抱くことは叶わなかった。
 
 その日から嵐のような日々が幕を開けた。
 病院とは裁判で争うつもりだし、双子の育児もある。仕事をしている俺の母親も、あまり助けには来られないらしい。会社へは育児休暇を申請した。
 双子というのは、同じタイミングでお腹が空き、排便をするらしい。こっちが泣けば、あっちも泣く。もう何がなんだか分からない。育児に比べれば、関数の方がよほど易しいものなのだろう。ふと高校時代を思い出し、乾いた笑いが出た。
 追い立てられる日々の中で金沢から久しぶりにメールが届いた。
「久しぶり。元気ですか?」
 その後に会わないかという誘いの文面が続いている。双子と生協の宅配スタッフ以外の人と久しく話していない俺は、無性に金沢と会いたくなり、急いでメールの返信をするとともに、一時預かりをやっている保育施設に電話をかけた。
 
 久しぶりに会った金沢は、やはり全く変わっていない。その変わっていない姿こそが、俺に泣き叫びたい程の懐かしさを味わわせてくれた。
「金沢、金沢」
 周りの誰しもが俺を憐れんで見る。会社の人間も親戚も、自分の母親でさえも。あいつらの前での俺は哀れなシングルファザーでしかない。でも、ここには何も知らない金沢がいる。高校時代と変わらず俺を憧れる眼差しを向けてくる金沢が。雛鳥のように俺を信じ、後ろからくっついてくる金沢が。
 
 ずっと俺は俺自身が嫌いだったのかもしれない。無敵だと思っていた自分が現実を知れば知るほど、大して価値のない人間だと思い知らされてきた。それでも現実から目を背けたくて、自分よりよほど優秀な金沢を見下すことで、どうにか自分を保ってきた。
 そもそも金沢は、俺のことを見下したり蔑んだりはしていなかったのだ。俺を見下していたのは、俺自身だ。
 
 金沢は来月からしばらくロンドンに駐在するらしい。俺が思うよりずっと出世街道まっしぐらなようだ。俺は……しばらくは育児もあるし出世は望めそうにない。でも、もうずっと刺さっていた劣等感という名の棘が抜けていることに気づいた。俺を必要としてくれる我が子が二人もいるし、ここに親友だっている。それで十分じゃないか。
「金沢、ロンドンから紅茶を送ってくれよ」
 そう言って俺は金沢と別れた。
 
 今日は久々に快晴だ。子どもたちを迎えに行ったら、ベビーカーで公園を散歩してみようか。そう思い、車のエンジンをかけた。車が大通りを真っすぐに進んでゆく。

(完)

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