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2024年4月28日の不妊治療の怒り

今わたしは「パレスチナ あたたかい家」という展示会に向けて爆走している最中だが、それと同時並行で不妊治療も受けている。
今日の診察で思うところがあり、夫にこの文章を書くことの了承を得たので、わたしの怒りのエネルギーをキーボードに向かって打ち込むことにする。

そもそも、不妊治療をしていること(または妊活をしていること)を、なんとなく「隠す方が無難」という空気感にわたしは納得がいっていない。(自ら言わないでおくことを選択することは否定していない。それも一つです)
なぜなら、むしろ協力を得たい時期であるし、治療の結果、授かったとしても、授からず他の道を選んだとしても、どの道も悲しい出来事ではないはずだからだ。全ての選択に堂々としていたい。そしてそれは、人からどうこう言われるべきものではない。(言うな)

我々夫婦は、現時点では子どもを授かることを望んでいます。
わたし自身は新たな命をこの世界に生み落とすことについて100%肯定しきれない部分があるなか、何がモチベーションになっているかというと、夫の「あなたとの子どもだから授かりたいと思う」という一言である。
そして、それに対してはわたしも全力で同意できるから、不妊治療を始めた。想像するだけで愛しい命だ。
といっても、一応タイミング療法の段階で、同時並行でいろんな検査を受けているという状況。なので、何年も不妊治療を続けている方々には本当に尊敬と全身全霊の応援の気持ちしかない。前置きはこのくらいで良いかと思う。

さて、何をこんなに怒っているかというと、
今日、通水検査というのをした。卵管の通りを調べるものである。
それが、驚くほど痛かった。先日、子宮内膜培養検査というのもして、それも痛かったが、それより痛かった。

今日の担当は男性医師。(通っている病院には男女一人ずつの医師がいる)
前回の診察時に、「次回は通水検査をしましょう」と言われていたし、「痛かったらやめる」と聞いていた。
そして、始まった途端にものすごい痛かったので、「痛いです!痛いです!」と、人前では人生で一番ぐらいの大きな声を出した。

すると、
医師「えっ、もう痛いの?」
わたし「痛いです!痛いです!」
医師「まだ何もしてないよ?」
わたし「痛いです!」
医師「ここで痛いのか…おかしいな。」
わたし「痛いです!(やめてくれないのか!?)」
医師「まだ(生理食塩水)入れてないよ?痛いの?気持ちの問題かなあ…」
わたし「痛いです!」
看護師「もうちょっと、もうちょっとだからね、深く息してね」
わたし「フーーーーーーッ、フーーーーーーッ」
医師「おかしいなあ…まだ痛い?(ブツブツ)」
 ー多分なんか山を越えた
わたし「…………さっきよりはマシになってきました(でも痛い)」
医師「……」
看護師「はい、終わりです。ゆっくりでいいからね、大変だったね」

こんな感じでした。
痛すぎて涙が出たし、本当にやめて欲しかったし、怖かった。
「痛かったらやめる」と言ってはいたが、それはわたしが感じた箇所での痛みを指しておらず、検査が続行された。あとどれぐらいで終わるのか、今どの段階なのか、痛いけど検査がしたいから耐えて欲しいのか、何も言ってもらえなかった。
ただただ痛くて怖い時間だった。

看護師さんは全員女性で、みんな優しい。
だけど、自分が持たない異性の臓器の専門医が、不妊治療を受ける女性にしかわからない痛みも気持ちもわかるはずもない男性が、「ここで痛いはずがない」などと本人に言うことに心から腹が立った。
あなたが言う「ここで痛いはずがない」は、勉強で得た知識だろうけれども、自分では実際に体験し得ない治療を、頭だけで理解した気にならないで欲しいと思った。
「ここで痛いはずがない」のであれば、自分のやり方がマズいという可能性を考えないのか。
最初から、「ここで痛がるわたしがおかしい」とでも言いたいかのような口ぶりに、怒りでどうにかなりそうだった。

この出来事を病院の口コミとしてグーグルに投稿することもできる。
けれど、わたしはこの男性医師にだけ怒っているのではないから、この怒りはそれでは解消されない。

男性医師の多くがこんな感じだろう。(と思ってしまっている)
婦人科医の6割が男性という現状、本当にどうかしていると思う。
志望動機を一人一人に聞いてまわりたい。産科医に男性がいるのは理解ができる。生命の誕生の場に立ち会いたいと思うのは人間以前に生物として自然なことだから。
不妊治療の専門医に男性がいることも、まだわかる。男性にも関係があることだから。でもちょっとやっぱり納得度は低い。

ただ、不妊治療でもない婦人科医に男性がいるのは、「大切な人を女性特有の病気で失った」とか以外に理由がわからない。
興味本位だろうか、とすら思ってしまう。
そしてそうだとしたら、「興味」に「慣れ」が合体したとき、対象となる女性は本当に屈辱的な思いをする。

じゃあ病院を変えれば?と、思いましたよね。
それも一つの方法です。
ですが、不妊治療は体のタイミングに合わせなくてはならないので、「次回は○日後の水曜日で」とか普通に言われる。
「は?仕事だが?」となる。
なので遠方には通いづらい。そして、いい不妊治療の専門医がいることを中心に住む街を選ぶ人も少ないだろう。だから自ずと家から近い「不妊治療をしている婦人科」を選ぶしかない。

あれ、さっき男女一人ずつの医師がいるって言ってたから、いつも女性でお願いしたらいいじゃん。
はい、そう思います。だけど、選り好みしなくとも待ち時間が非常に長いのに、さらに「女性で」と条件をつけると半日無くなりそうです。(大体診察に、平均2〜3時間かかっています。)

こんな状況でもずっと耐えてきた女性たちに敬意と労いの気持ちを覚えずにはいられないが、同時に、そんな我慢を強いてきた社会と、愛するパートナーが「毎回異性に向かって大股開かなきゃならない病院に通っていること」になんで声をあげてくれなかったんだ!という怒りもある。

本当ならもうやめたい。
けど幸い今のところ大きな壁はなく、頑張ったらもしかするかもしれないという希望を無視するわけにもいかず、これからも通うと思う。プンプンプリプリしながら。

できるだけ女性医師に診てもらえるようにお願いもする。
ほんともう、やだ。

これでいて、政治はクソだし世界もひでえし、多分先に死ぬから、最期までは守りきれない命を本当にこの世に産んでいいの?という問いはたぶん一生抱える。

それぞれの選択を、しっかりと全うできる社会がいい。
それぞれの選択を、それ自体がいいか悪いかではなく、叶えるために何が必要かを真っ先に話す社会がいい。

なんかよくわからなくなってきましたが、ただ、2024年5月に文章にしておきたいとてつもない怒りがあったことをここに残しておきたいだけでした。

でもね、今日展示の設営から帰ってきたら、夫がご飯を作って待っていてくれて、犬がお迎えしてくれて、ご飯が美味しくて、お風呂も入れてくれて、久しぶりに湯船に浸かってあったまったのでした。しかも回しておいた洗濯物も干してくれて取り込みまでしてくれてたんです。
わたしは恵まれています。だからこそ、怒りをちゃんと外に出す。

それもこれも「あたたかい家」があるからできること。

みなさん、「パレスチナ あたたかい家」に来てください。そこで待っています。(すごい終わり方)


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