感謝は伝えなくともわかるだろう、という怖さ。
毎日を追われるように生きる人達に、手紙を書く感覚で書いてみた。
大切なことを一日の内に、一週間の内に、大切な人と共有したり伝えたり、と詰め込みたいのにできてない…なんて自己嫌悪に陥っていませんか? って。
わたし自身がそうなったわけじゃないけど、身近な人にいた。
「感謝を伝えないと伝わらないのはわかっても、照れ臭くて言えないんだよ」
直接その言葉を聞いたんじゃない。
でも、言葉とは裏腹な、偉そうに見えるその態度が物語ってた、って表現したらいいのかな。
その人はもうこの世界にはいないけど、わたしの中には少なくともいる。
見えない形になっただけで、わたしの中ではいつでも、いつまでも生きてる。
そう思うことにした。
当たり前のように毎日起きて会社や学校に行って、
当たり前のようにまた次の日を迎える。
それって、感覚が麻痺してるだけで「ふつう」なのかな? なんて記事を前にも書いた気がするけど。
感謝は、相手に必ず伝えなきゃいけないなんて誰が決めたんだろう?
形なきものに「ありがとう」と言ったって
咎められるわけじゃない。
たとえば、毎日を安心して過ごせる場所があることに「ありがとう」、帰ったら自分で作らなくとも晩御飯を使ってくれている人がいて、その背景には野菜やお肉を育ててくれている人がいる。
そのことに「ありがとう」、とかね。
毎日同じことをして過ごしていたら、「感謝されることでもないんです」とか、「わたしが好きでやってるんです」とか言う人が一人や二人はいるんだろう。
謙遜の意味もそこに込められてるんだろうけど、それはあまりいらないかな、なんてわたしなんかは思ってしまうのもまた事実。
もっと自分のやってることについて「ありがとう」を貰おう。自分を「ありがとう」のシャワーで満たしてあげよう。
「ありがとう」は伝えなくてもわかるなんて、そんなに怖いことはないんだから。
あ、ちなみに。
人が亡くなる間際に後悔すること10選の中に
「感謝を口に出して言わなかったこと」が
含まれているらしいよ。
それも上位のうちに。
お節介かもしれないけど、わたしからあなたへの長い長い手紙でした。
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