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直木と悠依が過ごす、最後の夜。わたしはちょっとだけ悠依になりたかった。

「また、会える?」「……会えるんじゃね?」
最終回で昔の直木と悠依が会話をしていたシーンがあった。わたしは最終回となる「百万回」をどんな展開になるか目を離せずにいて。

生きてたら、毎日同じように溜まっていく何気ない光景かもしれない。でもそうじゃないから「今、この瞬間が奇跡なんだよ」って誰目線かわからないことを思う。

あぁ、直木…もう…笑 照れ屋さんなんだな、素直じゃないんだからと思いながら笑顔でテレビを観ていた。

思いを口にすることで相手に自分の気持ちが伝わるなら、嫌だと思う人はいないでしょ?

作ってくれた料理が美味しかったら「美味しい」、誰かといて楽しかったら「楽しい」って、ちゃんと言葉で伝えてくれるからこそわたしにも直木の考えてることわかるんだよ?


悠依は、最終回でこんなふうに直木に説明していた。
直木は幽霊の身から一度人間に復活した自分が消えるまで、悠依と普通のカップルとしての時間を楽しんでた。この時間が、“神さまが与えてくれた特別”とでも感じているように。

服を選んでいて不毛な悠依とのやり取り「どっちが似合う?」に始まり「わたし、直木と行きたいとこあるんだよね」と突然言い出す悠依に振り回される直木は、それすらも楽しんでいそうだった。呆れ半分、楽しさ半分、余りは「もうすぐ俺、消えるんだよな…」とどこか寂しげな空気が漂っていた。


今のこの状況が当たり前だと思うのは俺の勘違いで、いつ終わってもおかしくないのだと一度この世から消えた身としてわかっているから。疲れ果てるまで、ふたりの時間を楽しもう。台詞にはなかったけどわたしには直木や悠依、魚住さんの声にならない声が聞こえた。

最後の最後、海辺にふたりで散歩して
日の入りで一番眩しいときに直木が「あー、神さまが俺のことを呼んでるなぁ」なんて表情して。
帰りたいけど悠依のことが気がかりで前に進めない。
わたしにはそんなふうに見えたよ。

これはドラマだから
心残りがあったら「現実世界に帰ってやりたかったことリストを完成させ、成仏する」ということができたけど実際にはそうはいかない。スーパーマリオゲームのように何度亡くなっても命が生き返るわけじゃないし、ブラッシュアップライフのように、何周目の人生とかあるわけないし。

わたし達が生きている現実世界で、亡くなるまでの長期間なようで短期間にできること。

いかに人生を謳歌するか
に尽きると思う。

「わたしはちょっと前にある本との出会いがあって、一日一日を全力で生きよう」
って、確かに思えた時期があったはずなのに
「死ぬのはいつもわたしじゃないほかの誰か」って思い込んでる。なあなあに毎日を過ごして、ここにも自分ができていない「毎日をキラキラと輝くように」だなんて書いて、自分への決意表明をしている。

毎日が最後の日になるかもしれないって思いながら過ごすと、一生懸命に生きようとするエナジーがぼこぼこ沸騰するお湯のように湧いてくるのかもしれない。

わたし、しばらくはドラマロスになるかもしれない。
更新頻度減るかもだけど、逃げないし、また戻ってくるからね。

      *  *  *

「愛してる、愛してる、好きだった…っ」
消える直前まで、直木が悠依にかけ続けたこの言葉。
今までの分も含まれてたのかもしれないな。

日の入りと共に消えた直木は、空から口笛を吹いていた。 「♪〜 ♪〜 ♪〜」
「空から見守ってるなんてヤだよ、って言ったのに」
泣きながら笑う悠依が、前を向こうとがんばる姿に
わたしの心のスイッチもカチッ。
OFFからONに変わった瞬間だった。

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