ココとの関係

ココは、朝起きてから、夜寝るまで、よくしゃべる。
一人でもしゃべり、人がいれば話しかけ、
喋るのが終われば、うたってみたり、
家族でDVDをみているときまで、途中話しかけてくる。

この喋りが、面白いのかといわれると、

風船を、目につけて、
「ほら見て、目が飛び出してる」

「ナナほら、見ててよ」
と腕立て伏せからの、腹をどしんとつぶれてみせ
イテテテと、おおげさに言ってみる

ボールを胸にあてて
「ナナほら、見てみて、おっぱい」

ソファの背もたれの上にのぼって
おおげさに、「ほら見てみて、あわわわ」
と座面に落ちてみたり、

小学二年生ならではのどれも
たいして面白い話はないのが現状の中で、

いちいち、「ナナ、ほら見て」
と呼び止められ、何かをしている手をとめられ
それをみたときの、その話の内容の意味のなさぶりに
どっと疲れる毎日だ。

ほら、見てと言うなら、もっと面白い話をもってこい!!

いちいち、振り向かせられるそのどうでもいい話ばかりに、

自分が何かをやっているとき、
家事をしているとき、料理をしているとき、
瞑想しているとき、ピピやハナのオムツをかえているとき
下の子たちの世話をしているとき
お風呂はいっているとき、
いま、集中したいというようなとき、

このどうでもいい話で、話しかけられると、
普段でも低いと話題の沸点が、
いきなりマックスに達し、湯がわいてしまう。

「なに、それが何?ぜんぜん面白くないんだけど」

というと、
「えへへへ」

とはにかんで、次はもっと面白いことを言おうとでも
思っているような顔つきになったりする。

話しかけなくても、ずっとしゃべっているのを聞いていると
また、イライラして、

「ココ、うるさい」

とよく叱る。

とにかく、ずっと話しているか、話しかけてくるか、
こういうやつは、外にでて、咄家にでもなったらいいと
おもう。

夕方、一日の疲れがピークにたっしていて
話しかけられるのも、誰かと会話するのも、億劫になっているときに、
しゃべりまくるココがそばにいるだけで、
何度も逆鱗をとばしてしまう。

「もう、うるさい!!
話しかけるときは、相手が何をやってるかをみて話かけなさい!」

お調子もんで、人を笑わせるのが、好きで、
冗談大好き。

くだらないギャグばっかり考えついて、しゃべりまくるココも、
根は、繊細なので、
怒られるとシュンとして、ごめんなさいとしょげてしまう。

その姿をみていると、また腹のたつわたし。

もう!!いちいちそんなにしょ気んなよ!
しゃべりまくって、わざと視界にチラチラとはいってくるくせに、
そんな風にしょ気ちゃったら、こっちがすごい悪いことしてるみたいじゃん。

ココは、母大好き男なのを知っているので、
余計に悪いことしたなと、いう気にさせられてしまう。
だから、「ほら、見て」と話しかけてくるのだって、
妹、弟たちが生まれて、自分の居場所がなくなってしまうのが
怖いから、少しでもわたしの視界に入っておきたいから、
わざと、冗談や面白いことや、話しかけたりして、
わたしを自分へ引きとめようとしているのだってことくらい
わかっているけれどさ、


わたしだって、辛いんだよ!
ココだけをみていられないんだよ。


それをわかってほしくて、ココにも話すけれど
毎日の何か、タスクや誰かの世話や、やることに
気を取られて、
ココのしゃべってくるどうでもいい話を
うんうん、そうだね。面白いね。
などと、言っていられない、余裕のない自分を、
ココにわかってほしくて、わたしも、
もがいているのがわかる。

足をじたばたと、水面下で。
顔では、これくらい大丈夫よって、
ベテランそうな三人の母を演じているけれど、
自分の時間ももてなくて、
やりたいことをおもいっきりやれるわけではなくて
集中して取り組みたいことがあっても
それをする時間もなくて、
趣味に使いたいパワーだって、たくさんつかえなくて
本当は、おもいきり
絵を描いたり、本を書いたり、踊ったり、のんびりしたり
そういうことをするのが好きなのに、
いまは没頭する時間を、自分に与えたら生活に支障が出ちゃうなって、
家事や育児の合間に、ほそぼそと書いたりして
自分ご褒美なんて、なかなか持ててないのに。

そんなさ、あんたたちのことばっかりしてらんないのよ!こっちは。
あたしには、あたしの人生もあるのよ!
好きなこと、思い切りさせてよ。

ココが、しゃべって、うるさいのだって
好きなように自由にやってて、家事もしなくてよくて
誰かの世話をしなくてもよくて、
そんな自由な人の話なんて、あたし聞ける余裕がないんだよ!!

思い切り、言えたらいい。
ココは、きっとわかってくれる。
ココにばっかりイライラさせられるのだって、
ココに期待してるんだよな。
わかってくれるって。

ココとは、母と息子というよりも、
恋人のような関係だ。
ほとんど、彼氏のような感じで、
どこにいくのも、旦那をおいても、
二人で旅行にいったりと、何でも思っていることを話しあえる
蜜な関係をつくってきた。
わたしが思っていることを話すと、
ココも話をしてくれる。

どんなささいなことだとしても、
ココは、わたしと一緒に、そばにいて話をしてくれていた存在。
それはもう、はっきりいって、
デッテよりも濃い存在だった。
デッテは、ぼんやりしているところがあるけれど、
ココは、わたしと似ているところがあって、
気性も、性格も、だから
気があった。

そんな関係だったから、いろんなことがあったり
妹がうまれ、弟がうまれたのを、
一緒に乗り越えてきた間柄なのだった。
だから、子供らしいことをさせないできてしまったようなところがある。

ずっと二人だったけれど、
ココは、わたしの彼氏になろうと努めてくれていた。

デッテじゃ、補えない部分を、
ココは、わたしのパートナーになろうとしてくれ
そして、ココには何でも気を許して話したり、甘えたりする自分もいたのだった。

そんな関係だったからこそ、
メンバーが増えたり、お互いのその関係がだんだん変わってくるとき、
いやでも、心に摩擦が起こってしまうのだった。

こんなくらいわかってよ。
どうして、このくらいわかってくれないんだよ。
もう自分は必要ないのかなと、ココはそんなふうに思ってしまったようだった。

ピピには、甘えられなくても、
ココには甘えられる自分がいて、
デッテには、話してもわからないようなことも
ココには話せる自分がいて、

大人びたココの言葉にも、ずっと癒され助けられてきた
甘えん坊なわたしがいるのだった。

ココのことを大好きなのに、
うまく伝えられない。

イライラする自分が嫌になって、
毎日のこの時間を、
もうすこし、ゆっくりにしてください。
いろんなことができる時間をゆっくりにして、
ココのギャグを笑える時間、心の余裕をくださいと
祈ってしまう。

時間をまき戻せない自分の足りなかったいろんなこと。
もう、過ぎてしまったいろんなことの中にある
後悔や、感情には、そのとき味わうしかなかったことが
たくさんあって、それをしなければよかったとか、
ココに悪いことしたなとか、そういうことを思うために
それらの思い出があるんじゃないと思う。

ココとだから乗り越えられてきたこと。
どんな後悔や、思い出だって
わたしたちが生きていくのに、大切な時の歯車のひとつであり、
それがあったから、なかったから
いまのわたしたちがどうなるのかと
自責の念にかられて、
あのときああすれば、こうしておけばと
足し算引き算することではないのだとおもう。

いまも変わらずに、そして少し関係が変化しながらも
こうしていまも一緒にいることが、
なにより大きな宝なのだとおもう。


いまも、これからも、
いままでの通りの関係じゃないかもしれないけれど、
ココと寄り添っていく。

ココの母として、
ココの友人として、
そして、ココの味方として。

甘えたっていい、期待したっていい、
だって、そういうわたしたちだもの。
わたしとココは、そうして祈って、歩んできたわたしたちだもの。
そうじゃないと、わからないこと
わたしたちの関係であるから、こうして生まれてきたんだもの。

こんなに、べったりな関係だったから、
きっと、ハナが生まれ、ピピも生まれてきたんだと思う。

わたしが、ココにこれからも、甘えすぎないようにって、
ピピがやってきて、
この家族のバランスを取ろうとしているのだと思う。

イライラしたって、
むかついたって、
一緒にいて、愛していることが大切だな。

そして、
こういう母のところにやってきて一緒にいてくれ、
わたしの未熟な面をおおいにみせながら
足りないところをカバーしてもらいつつ
成長していってもらえたらいい。

母であろうとか、しなくてもいい。

そうやって、自分を枠にしばりつけてしまうよりも

ナナであり、母であり
どうしようもないところあるけれど
愛すべき面白い奴だし、一緒いようって、

そんな風に、思春期になって、青年期になったら
思ってもらえてたら
この上ない喜びかなと思う。


これからも、ココには、いろんな思いをさせると思う。
悔しいことも、
悲しいことも、
腹立たしいことも、
嬉しいことも、楽しいこともちろん。

それのどんなときも、
わたしは、無理に、母親にならないでおこう。

ナナは、ナナだからって、
ココは、ココだからって

一緒にいようと思う。





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