見出し画像

40歳過ぎて旧司法試験に挑戦〜そこから得たものは?!

息子の学校問題を経験し、学校を含む公の教育機関の現状を知ることになり、その支配下で苦しむ子供達の力になりたいと思って、40歳過ぎた私が司法試験に挑戦した話を書きます。
そこに至る迄の記事はこちら↓
※関連記事は一番下にリンク貼りました。


私が挑戦したのは、2011年 旧司法試験が行われた最後の年。現在は、新司法試験へと移行し全く試験の形態も変わっていて、合格率も旧司法試験よりも上がっている。でも、その代わり大学院へ行って受験資格を得るため一発挑戦が出来なくなっている。私が受験を思い立った時は、旧と新の試験が並行して行われていた時期だったが、私は迷わず一発挑戦の旧司法試験に挑戦することを決めた。

でも、挑戦してすぐに挫折を味わうことになった。分厚いテキスト、聞いたこともないような文言…不安と恐怖が襲ってきて胸が苦しくなった。「あ〜ぁ、こんなことに挑戦しようなんて思わなきゃ良かった、やめようかなぁ、受かる訳ないし…」ってネガティブ思考のオンパレード…

そんなネガティブ思考を乗り越えて、専門の予備校に通ったり、一日のスケジュールを立て朝から晩まで勉強した。一日10時間は勉強してたと思う。たまに、もうこれ以上何も入らないというくらい頭がパンパンになって、近くの公園に行きブランコに乗って風を切り、頭の中をスッキリさせたりしていた。我が人生の中で最も勉強したと思うし、鼻血が出るほど勉強したという言葉がピッタリだった。

でも、結果は不合格!!!


国家資格の中でも最高峰と言われている司法試験、落ちて当たり前じゃないか!と言われればそれまでだし、私自身も、その時は同じように思っていた。馬鹿げた挑戦だった、無駄なことしたかな、なんて落ち込んだりもした。

でも、時間が経つにつれて色々なことに気付いていった。

私だけじゃなく、世の中の多くの人が、何かに挑戦したり夢を描いたりした時、そこに必ず結果を求め、その結果を得られないとダメだと思ってしまう。

そして、結果を出せない自分に「ダメな奴」だとレッテルを貼って自分を責めてしまう。しかし、

これって本当にダメなんだろうか?

私は、自分の挑戦に失敗したことから、この問いに対して自分なりの答えを見つけた。挑戦するのは、結果を出すためだけじゃない。夢を持つのは、叶えるためだけじゃない。挑戦したり夢を持って「日々、努力する。」この努力する日々から得るものが結果より大事なんだと思う。


「不合格」
という三文字を見ると「失敗」ってことになるんだろうけど、もっと大局的に見ると、私の、この一見馬鹿げた挑戦は「成功」だったと胸を張って言える。

結果が怖くて挑戦することを止めなかった自分。途中で投げ出さなかった自分。
周りの人に笑われても怯まなかった自分。
色んなことを我慢して鼻血が出るくらい勉強した自分。

挑戦の後には、挑戦する前には居なかった自分がいた。ひとまわり成長した自分がいた。

「弁護士」という肩書きや地位は得られなかったけどそれ以上にかけがえのない大切なものを得たと思えた。

だから、何かに挑戦して失敗した人は自分を責めることも恥じることもないんだ。結果を恐れず挑戦した自分を褒めて欲しい。夢を描いて努力している自分を誇りに思って欲しい。

一度きりの人生、どうせ持つならでっかい夢を持った方がいいじゃない。その方が自分の人生は輝くし、そこに向かって頑張れるから。叶いそうもない夢は願わないなんて言うのはやめようよ♪

私の「弁護士になりたい」という夢は叶わなかったけど、夢に向かって挑戦したことで得たものは大きくて、これから叶えたい夢に向かって一歩近づけたと自信を持っていえる自分がいる。

老若男女、
諦めたり恐がらず大志を抱け!!!

◆2021年11月11日の日記

関連記事はこちら↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?