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私と息子の泥んこ日記。巨大な法務局を動かすには?!

写真は、大人になった息子と私。:旅先で撮影

息子の学校問題で考えに考えた末、法務局へ出向くことに決めた私。写真のように今は大人になりましたが、法務局へ出向くほど当時は暗黒の中学時代を過ごした息子。今日は「息子と私の泥んこ日記」の続きを書きます。

泥んこ日記PART1はコチラです↓


まず、法務局へ相談する前にしたことは、学校通信から校長を始め対象となる先生の写真を切り抜いて、誰が見てもわかる人物相関図を作った。家系図の超簡単版みたいなの。だって、いくら法務局が相談できますよ〜と、うたっていても相手は公的機関。全ては物証主義。感情論だけでは相手にしてもらえない。

そして、私は学校との話し合いの度に、学校側の許可をもらい内容を録音していた。学校側が許可を出したのは少しばかりのプライドと、まさか私が本当に法務局に行くとは思ってなかったからだと思う。この録音会話も編集して提出。そして、私は息子から毎日学校での出来事を聞きいて時系列に記録していたので、それも提出した。

この大変な時期に、私が何より大切にしたのは息子とのコミュニケーション。いつもより多く話した。これは余談になるけど、私は食事の時にTVは
付けない。仕事を持ってると一番ゆっくり話す時間が取れるのは食事の時。ご飯食べてる時って無防備になるのかな。食事の時の会話で子供のSOSをキャッチすることが多い。子供はいつも、言いたいけど言えない…みたいな気持ちを抱えてる。苦しんでる。言って自分が怒られのを怖がっている。

その大事なサインが、テレビの音にかき消され
一時的な娯楽で紛らわせることはしたくなかった。コレは私の実体験だけど、一度やってみる価値ありですよ!

話を戻すと、後はビリッと裂かれた息子のワイシャツも提出。そして、私の心に溜まったやり切れない想いをしっかりと胸に持って。ここで補足をしておくと、子供の一連の問題ではその当時のダンナ様もすごく協力してくれた。今は、離婚してますがね(-.-;)y-~~~

元々戦うことが好きな彼は頼りになった。感謝している。これら全部を引っ提げて出向いた甲斐があり、法務局側はこの問題を放っておくことは出来なかった。でも、その後のらりくらり…たらい回しにされ、その度に頭を悩ませ一喜一憂の日々。なんで公の機関の対応ってこんなに遅いんだろう。子供は今ここを生きているのに。そう、今年流行った「今でしょ!今!」と言いたかった(笑)

でもこういう時、諦めたらそこで終わり。息子だって、針のムシロである学校に毎日笑顔で通ってるんだ。息子のがんばる姿が私の支えとなっていた。最終的に、文科省の担当者(かなりお偉いさんだった)と電話で喋ったけど、とにかくマニュアル通りの対応って感じで気味が悪かった。本音が全く読み取れない能面顔の人と話してるようなあの感じ。心がこもっていない表面的な対応だと感じた。


息子の問題を通して、法務局や文科省など巨大な組織の裏側をたくさん見ることになった私は、失望や驚きの連続だった。でも、がんばった甲斐があって、区の教育委員会にも話が回り、最終的に学校側は法務局の指導を受けることとなった。
どのように指導するかは教えられないと法務局の人に言われたけど、とりあえず私はホッとしたことを覚えている。今はこんな風に話せるけど、当時は本当にしんどかった。辛い記憶。

この後、揉めに揉めた先生が息子の担任になる後日談や、息子が校長に犬扱いされたエピソード、不登校だった生徒が学校に来たら追い返したり、リアルな学校の実態などをまた別の章に書こう。

この大変な時期、毎日笑顔で学校に行った息子を私は褒めたい!!!

◆2013年12月9日の日記


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