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人気アニメは現実世界の投影

◉はじめに

今も人気のアニメ「鬼滅の刃」は、歴代のアニメ映画の中で断トツ一位の興行収入を記録し、世界の人たちに感動を与えてきました。

この鬼滅の刃のストーリーとも共通する、私にとって今でも心に残っているアニメのエピソードがあります。

それが、ドラゴンクエスト「ダイの大冒険」の中に出てくる悪役の「魔王ハドラー」の生涯です。

ハドラーが主人公であるダイとの戦いを通じて改心していきますが、

●何をきっかけに悪から抜け出していくのか? 

●なぜ現実世界を投影していると感じるのか?

これから解説していきたいと思います。


◉目次

1. 「3つ」の象徴と「2つ」の世界
2. 「エゴと欲望」の世界観
3. 「死」のない世界観
4. 「背水の陣」から見えてきた世界
5.「力」は膳でも悪でもない
6. 「純粋な想い」は愛に等しい
7. 「現実世界」でも同じことが起きている


 ◇3つの象徴と2つの世界◇

このアニメは、

  「人間」「魔族」「竜族」

の3種類が存在する世界を描いています。

そして、それぞれの象徴が、

  「愛」「エゴイズム」「力」

と言い換えることができます。


この物語では、地上魔界の2つの世界があり、

  人間が「地上」に

  魔族と竜族が「魔界」に

それぞれ住んでいました。


◇エゴと欲望の世界観◇

魔界では4千年もの間、魔族である大魔王バーンによって支配され、平和だった地上にその支配が及んできます。
この地上制圧を任されていたのが、バーンの部下である魔王ハドラーという魔族です。

ハドラーは物語の最初では、魔族の象徴であるエゴイズムの塊のような性質を持ち、

  地上を手中に収めるという「権力」

への渇望と、

  大魔王バーンから認められたいという「自己顕示欲」

の塊のようなキャラクターでした。


◇「死」のない世界観◇

また、ハドラーは大魔王バーンの暗黒闘気により、永遠の命までを与えられていました。

そのことがハドラーの悪しき欲求を無限に引き出すという、大魔王バーンの恐ろしい目論見だったのです。

しかしハドラーは、主人公である勇者ダイとその仲間たちの必死の攻防で負けてしまいます。

それでも大魔王バーンの暗黒闘気で何度でも甦れるハドラーに「死」はありません。

ハドラーにとって最も恐ろしいのは死ではなく、

  自分自身の地位・名誉が他者に奪われることなのです。

今のところ地上では魔王と恐れられ、地上制圧の統括責任者を任せられているものの、実際には彼の力を上回る部下がいることも理解していました。

そう、ハドラーは敵のダイたちだけではなく、味方にも恐れをなしていたのです。

それでも自分の欲望と権力を維持するために、宿敵であるダイたちに再び戦いを挑みますが、ダイたちの見事な連携により無様な敗北をしてしまいました。


◇「背水の陣」から見えてきた世界◇

2度も負けてしまったハドラーにはもう後がありません。

そこでハドラーは初めて自分自身を内観しました。

  「今までの自分に足りないものは何だったのか?」

宿敵ダイに2度も敗戦したことによって、彼は純粋に自分自身と向き合うことができたのです。

  「地位や名誉ではなくオレはダイたちに勝ちたいんだ!」

これがハドラーの本心だったのです。
そこには以前のようなエゴがありません。

その純粋な想いを果たすために、部下に自分の身体を「超魔生物」に改良することを頼みます。
超魔生物になることで、魔力や力が段違いにパワーアップしますが、その代償として暗黒闘気による復活ができなくなります。

  次に負ければ「死」があることを自ら選んだのです。

ここでハドラーは初めて死生観を持てるようになるのです。


◇「力」は膳でも悪でもない◇

最初に話が戻りますが、この世界には3つの象徴が存在すると説明しました。

  「愛」、「エゴイズム」、「力」

です。

エゴイズムは相反するものですが、は「愛」のために使うか、「エゴ」のために使うか、どちらにも利用できるものです。

ハドラーは少なくとも、この時点で「力」を「エゴ」のために使うことを捨てています。

ダイたちと戦うためだけに生まれ変わったハドラーの力は凄まじく、ダイを上回る強さで今度はダイを崖っぷちまで追い込みます。

しかし追い込まれたダイは、ギリギリのところで新しい技を閃き、かろうじてハドラーに勝利しました。

このシーンを考察すると、もともと純粋な「愛」を持ち大魔王バーンに挑むダイが、

エゴを捨て去ったハドラーによって更なる力を与えられた場面とも捉えられます。


◇純粋な想いは愛に等しい◇

戦いに破れたバドラーは徐々に体が灰となって崩れはじめます。

そこに突然、大魔王バーンの側近が現れ、既に疲弊しているダイたちに卑劣に襲いかかるのです。

ですが、その攻撃をハドラーが崩れかけている自分の身体を挺して防ぎます。

そこには、

  「純粋に戦い抜いた相手に無様な死に方はさせたくない」

そんなハドラーの「愛」が伝わってくるシーンでした。

最後は愛をもって死を迎えたハドラーに、悔いなどまったく無かったことは想像に固くありません。

逆に、エゴや欲望を持ったまま死を迎えた場合、そこには必ず後悔や未練が残るのだと思います。

「愛」ってとても抽象的な言葉ですけど、その本質はそれぞれの人が持つ純粋な想い=真我なのだと感じます。


◇現実世界でも同じことが起きている◇

私たちの世界でもコロナ騒動やワクチン接種のことで世界中がパニックになっていますが、


  この混沌とした世界を創作してきたのは誰なのか?

  本当に戦うべき相手が誰なのか?


例えば、鬼滅の刃もダイの大冒険にとてもストーリー構成が似ていますが、流行ったアニメや映画には、現実世界を投影する役割があると思えてなりません。

ドラゴンボールのフリーザーも「永遠の命」が願いでしたが(笑)、悪や鬼の共通点は死生観がないことに他ならないと感じます。

現実世界では永遠の命はありませんが、一部の権力者によってエゴが受け継がれていることは間違いありません。

なぜ現代社会はこんなにも生きづらく、一部のエリートだけが裕福になる階級社会なのか?

こんな社会であり続けることが当たり前なのでしょうか? 仕方のないことなのでしょうか?

私はそうは思いません。

ひとりひとりが本当の歴史を知り、本当の自分たちの立ち位置を知ることでしか、今の理不尽な社会構造を崩すことは不可能だと思います。

前回のブログでも書きましたが、歴史は勝者によって改ざんされてきています。

まずは、本当の歴史を知ることが自分の真我に目覚める第一歩だと思います。

そのあとに新しい夜明けの世界がやってくるのだと確信しています。


最後までお読み頂きありがとうございました。


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