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「不完全である」こととどう向き合うか(2)


二度 長々と書いたが、また書き直す。

自分の育ちを振り返るのは難しい。
難しいで片付けてしまうが、逃げ出したくなるのかもしれない。

ぐるぐると振り返り、母と私 だけでなく
家族と私 私の育ちそのものだとも気づく。

自分の育ちを晒すなんて 怖い。
が、せっかくnoteをしているんだから、
文字にしてみたいと思う。

私はごく一般的な家庭で育ち環境的には恵まれて いて、幸せなことに親族の中にも悲しい出来事は
特になく温かく育ててもらった。
まだ学生の少し歳の離れた弟と妹がいる

私たち家族は転勤族で、何度も転校していた。
転校して環境が変わるのは辛く、仮病で早退したりしていたが慣れてしまえば問題なかった。

私が中学生の頃 拠点となる家を建て、
母と私たち兄弟は転居転校し、
父は単身赴任になった。

千人規模の学校から超小規模校へと転校した。
年頃の私は友達とうまく関係を築けなかった。
馴染めなかった。

学校に行きたくなかったが、
1日でも休めば本当にもう行けなくなる気がして
意地でも学校に行き、
耐えられない時は保健室にいた。
この時期は過呼吸で何度も倒れた。
ある先生からは「保健室に逃げるようなやつは受験にも落ちる」なんて心無い言葉を言われながらも
なんとか卒業した。ほっとしたのを覚えている。

そんな風に転校を繰り返してきた私たち家族にとって、家族というのがどこに行っても唯一変わらない存在であり、大切なコミュニティだった。

また別の話だが、
私は物心ついた時から怒られたくないという気持ちがすごく強い。
(大人になるまでみんな怒られたくないものだと思っていたが、夫は怒られても凹まないと言うので
心底驚いた、と同時に私は怒られたくない。と言うことを自覚をした)

長女として初孫として大人に囲まれて育った
私だが、赤ちゃんの頃からどこにでも連れて行ける子どもだったとよく母に言われる。

お利口ねぇ、いいお姉さんねぇ、いい子ねぇ、
と言われ育つうちに、
怒られることはものすごく悪いこと と認識したのかもしれない。


こうして 
大切で特別なコミュニティである家族に
怒られないよう生きる私 が完成したのだと思う。

父は私が小学生くらいの頃物凄く仕事が忙しそうで、年頃になってからは単身赴任だったので、怒られないようにの対象は必然的に母になったのだろう。

気づけば、
母はどう思うだろうか?
賛成してもらえるだろうか?
否定された日にはものすごく悲しくなった。

軸が母になってしまった。

大人になったはずの今でも、その感覚がなかなか抜けない。

私の兄弟はと言うとあまりそんな事もなく、
妹に至ってはどんなに反対されていても自分思い通りに突き進む。するまで聞かない(笑)

母との関係についてこのままでは快適だとは
思えないのでこうして振り返っている。

一方で、
扶養されている子どもがいつも身近にいる母に
「これ買ってほしいんだけど」
「今度友達とここに行きたいだよね」と
尋ねることは如何にも自然な事で、
それを繰り返すうちに顔色を伺ってしまう癖がつくと言うのも不思議なことでは無いかもしれない
と思う。

問題は私が成人しており、家庭があり、母になっていること。(要は年齢)

そう言う意味で考えると、
母と私の関係を見直すにはまだ遅くないはず。
(いつだって遅くはないけれど。)

そして
誰にだって、とは言い過ぎかも知れないが
母や家族との関わりに課題を持つ人は少なくない
特別なことではない。
ネガティブな点について考えるとき、
勝手にマイノリティや悲劇のヒロインだと
思い込まないよう意識することは大切だと思う。

母と私の関係だってまだまだ不完全。
きっと母は母で、その都度その不完全さとは向き合ってきたはず。

家族や自分の育ちについては
まだ消化しきれていないので、
文章として拙く、うまくまとまらなかった。

不完全であることを当たり前として、
自分の不完全さを自覚することが
まず今の私にできることだと思う。

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