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マッキンゼーとマキャベリからリーダーシップについて考える

こんにちは。七色メガネです。

今回は、「リーダーシップ」というテーマについての一考です。
現代の有名コンサルティング企業である「マッキンゼー・アンド・カンパニー」に見られるリーダーシップというものと、『君主論』で有名なマキャベリが提唱する所のリーダシップの2つを比較し、いくつかの観点からリーダーシップというものについて考えてみたいと思います。

なぜこの2者からリーダーシップ論を拝借するのかといえば、最近読んだ2冊が偶々いずれもリーダー論を述べていたからです。それ以上の理由はありません。

なおマキャベリの君主論において語られるのは君主像であり、必ずしもリーダーシップとイコールで結ばれる概念ではありませんが、ここではニアイコールなものと仮定して比較を行なっていきます。納得いかない人はここでお戻りください。

それぞれのリーダシップを抽出する際に底本にしたのは、次の書籍です。マッキンゼーのリーダーシップ観を一冊の本だけに依拠して抽出するのは問題あると思いますが、ご容赦。

リーダーと人格

マッキンゼー:人の和よりも成果を重んじる
マキャベリ:愛されるより恐れられなければならない

まずはリーダーに求められる人格という観点についてです。
この点、2者において通底するものがあります。それは、「和よりも成果を」という考え方です。

マッキンゼー側ですが、和を否定している訳ではありません。しかしリーダーにとって何よりも重要なことは目標を達成することであり、そのために必要なのは和ではなく、時として冷酷な決断も行うべきと述べています。

またマキャベリ側でも、最上のリーダーとは愛され、かつ恐れられる人物だと述べます。しかし現実問題それは実現が難しいので、その二者選択を迫られるのであれば愛よりも恐怖を取るべきだと謳います。


人間関係が良好である、というのは望ましい要素ではあります。しかしそれが自体が目標になってしまえば、本来目指すべきゴールを見失ってしまうでしょう。
リーダーには、常に目標を見据え続けた行動を取れるような人格が求められます。

リーダーと力

マッキンゼー:あらゆる協力を得て力を束ねる
マキャベリ:第三者の力を借りるべきではない

マッキンゼー側の考えは現代的です。社会において個人の影響を及ぼせる範囲は狭いのだから、様々な人の力を借りることで目標にコミットするべきだと考えています。

対してマキャベリ側は必ずしもそうではありません。マキャベリは戦時を例に上げ、自国以外の軍力に頼って戦争に打ち勝ったとしても、戦後、頼った相手が今度は自らに干渉する敵になるのだから極力自国の力だけで問題を解決するべきだと考えます。


今日の多様化した問題を個人の力だけで解決を図ることは無謀でしょう。しかしだからと言って他者の力に依存しすぎた場合、今度は自らの力が過縮小してしまい、昨日の友が明日の敵となることも十分考えられます。

「協力」があらゆる問題に対する絶対解ではないことを理解し、相手の意図を踏まえた上での最適な被援助要請の計画を練ることが重要なのでしょう。

リーダーとチームメンバー

マッキンゼー:目標あるいは成果を共有できるメンバーを集めるべき。
マキャベリ:常にリーダーのことを考えるメンバーを集めるべき。

マッキンゼー側では、メンバーの資質として目標あるいは成果を共有できる、という点を重要視しています。リーダは目標達成のためにあらゆる手段を投じますが、同じ熱量で目標達成を志向するメンバーでないとそのリーダーに対して不満を抱くことも生じます。言葉を変えればそう言ったメンバーにとって目標を達成することが第一のゴールではないのですから、そうではないメンバーが望ましいと述べます。

マキャベリ側は少々違った考えを持ちます。ここでのメンバーは君主の側近や宰相として捉えますが、彼らに望まれるのは、常にリーダーのことを考えるような忠誠心です。メンバーは自らのことなど考えず、常にリーダーの利益を考えるような状態が望ましいとマキャベリは考えます。しかしこれは無償の愛の要求ではありません。その対価として、リーダーはメンバーに対して身に余る栄誉や名誉を与えてやることを考えるのです。言葉を変えれば、信頼関係に基づき全力でリーダーを支援するような人物、それが求められるメンバー像として述べられます。


目標を共に目指せるメンバーが望ましい、というのはマッキンゼー側にもマキャベリ側にも通底する考えです。しかしそのために何をするべきかという点で、潤沢な報酬を用意するという現実的な方法を考えるマキャベリ側の施策の方がより優れているでしょう。マッキンゼー側もメンバーのモチベーションを上げる手段として、魅力的な目標を掲げることなどを上げています。ですがマキャベリ側に比べると見劣りします。

リーダーと決断

マッキンゼー:自分で考え、自分で決断するべき
マキャベリ:自分が決断するが、必ずしも自分で考える必要はない

決断という観点ですが、ここには面白い差異が見られます。
まずはマッキンゼー側ですが、リーダーの重要な素質として「自ら決断できること」を上げています。それは、仮に情報が不足していたとしてもリスクを背負う覚悟で決断できる、という素質です。この決断に当たっては、自ら考えるということが重要です。危機的な状況や頼れる人のいない場所においてもリーダとしての役割を果たすことができるためです。

対してマキャベリ側は、決断することの重要性は認めつつも、自ら考える必要はあまり無いとしています。氏曰く、人間には3種類の頭、「自ら考える自ら判断できる頭」「自ら考えないが他人に考えさせ判断できる頭」「何も考えられない頭」があると述べます。そしてリーダーに必要なのは必ずしも第一の頭ではなく、第二の頭、即ち、他人の考えを聴き判断できる頭さえあれば良いと語ります。


さて二者は「自ら考えるべきか」という点で意見が分かれましたが、果たしてどちらが優れた考え方なのでしょうか。マキャベリ論を極端に言ってしまえば自分で全く考えなくても良いことになってしまいますから、流石にそれはリーダーとして望ましく無いと思われます。かと言ってマッキンゼー論も極端化すれば、自らの考えを至高とする独善的リーダーになってしまいます。

逃げの結論ではありますが、自ら考え、他者の意見も聴き、そして自ら判断する、というほどほどの折衷を取るのが良さそうですね。

リーダーと言葉

マッキンゼー:意思の疎通においてとても重要。
マキャベリ:重要だがそれだけでは不足であり、次の手としての武力が必要。

言葉の力を信じるマッキンゼーと、言葉の力を過信しないマキャベリとでも区分けできるでしょうか。

マッキンゼー側では、リーダーにとっての言葉の重要性を強く訴えます。もちろん言葉はチーム内のコミュニケーションの基礎になりますし、自らが決定した判断に対する説明責任を果たす道具にもなります。また、プロジェクトが時間も余裕も無いような極限状態に陥った時、リーダーが使用できる最後の武器としての側面をも言葉は持ちます。そう言った効能を理解した上で言葉を使いこなすのがリーダーに求められることです。

マキャベリ側でも言葉の重要性は認めます。しかし氏は、言葉で説得することは簡単だがその状態につなぎ止めて置くことが難しいと問題を指摘します。つまり言葉だけでは、相手の状態を操作するには不足だと考えるのです。ではどうするかというと、武力を用意するべきだと訴えます。言葉が通用しなくなったら力で状況を操作できるようにしておく、その心構えが必要だとします。


言葉の力は重要であるけれども、それで解決できる問題もあれば解決出来ない問題もあるということは常に考えるべきですね。その時に取るべき手段が武力であるべきなのかは考える余地がありますが、何れにせよ二の矢三の矢は用意しておくことに越したことはありません。

リーダーと必要な能力

マッキンゼー:目標を掲げる力、先頭を走る力、言葉で伝える力、決断する力
マキャベリ:力量と運命

最後にリーダーにはどんな能力が必要かという観点から。
マッキンゼー側は極めて明確にポイントをあげます。リーダーは達成すべきゴールを明確にし、あらゆる不利な条件を引き受け自ら先頭を走ることができて、言葉でのコミュニケーションを大切にし、そして自ら決断することができること、などが求められると述べます。

対してマキャベリ側の主張は抽象的です。リーダーに必要なのは、あらゆる現実的なものを支配するための力量と、非現実的なものをも支配する運命だとします。優れたリーダーになるためには力量が必要ですが、優れたリーダーが輝かしい業績を積み上げるためには運命が必要であることをマキャベリは認めるのです。


リーダー像の総括として相応しいのはマッキンゼー側の主張でしょう。
しかしそれがあれば必ず成功するとは保証しないマキャベリの言葉も金言です。
リーダーといえど他のいずれのポジションの仕事と相違なく、人事を尽くして天命を待つべしというところでしょうか。

まとめ

マッキンゼー

 リーダーとは、目標を掲げ、自ら先頭を行き、言葉で仲間を鼓舞し、あらゆる決断をできる人である。特に自ら考えることは重要だ。あらゆる決断において必要な情報が出揃うということは非常に稀であるのだから、手元の限られた材料を用いて塾考し決断するということが、リーダーに求められる資質である。
 目標の達成こそがリーダーの責務であり、そのためには時として和を捨てることも辞さない姿勢が必要である。
 また目標の達成には、あらゆる人の協力を仰ぐことが肝要だ。協力関係を適切に構築するために、リーダーは優れた言葉を紡ぐ必要があるし、また良い成果にコミットできる優れたメンバーと共に仕事を行うことが重要である。

マキャベリ

 リーダーとは、大きな目標に向かいひたすらに行動をし続ける人である。しかしその資質を言葉で表すならば半分は「力量」でもう半分は「運命」である。リーダーが輝くためには、自らの力の及ばない運命の力が必要となる。
 必ずしも人格的に優れている必要はなく、成果のためならば時として非情な手段を取ることも辞してはならない。
 困難に立ち向かう必要が生まれたならば、なるべく自分(自国)の力をのみ用いて解決することを考えなくてはならない。他者の力を借りてそれに依存することからは、次の問題が生じるからだ。
 またリーダーが全能である必要もない。自ら考えられないならば他人に考えさせ、その考えを用いて自ら決断を行うことができるならばそこに不足はない。
 

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