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要約 『君主論』 マキャベリ

君主と国

新旧の領土が併せられた混成型の君主国においては、民衆がよりよい未来を希求して行動する傾向があるという点で統治の難しさがある。この国の民衆は、善意から進んで為政者を変えたがる。武器を持って

新旧の領土が同じ言語を持つ国であればすべきことは2つである。1つは領主の血統を絶やすこと。2つはそこに根付く法律や税制に手をつけないことである。

新旧の領土で言語が異なる国を併合するのは難しい。もっとも効果的なのは、君主が現地に移り住むことだろう。

またこの場合、有効な施策を行うにあたりいくつかの住民を傷つけることになるだろう。しかしそれは全領民から見ればほんの一握りでしかなく、傷ついた貧困は例外なく貧困に陥るので脅威にはならない。
覚えておきたいのは、民衆に対して取るべき行動は、頭を撫でるか、消してしまうかのどちらかしか無いということだ。後者を決断した場合、復讐の恐れが無いように徹底的にやらなければならない。

君主国は、君主と公僕からなる国と、君主と封建諸侯から成る国がある。前者は一致団結しているために征服しづらいが、制服してしまえばその後の統治は容易である。後者は常に反乱分子を抱えているために征服は容易であるが、その後の統治が難しい。

君主と統治

征服した国に既に法律が存在しており、自由な生活が送られていた場合、取るべき方策は3つある。1つは、その都市を滅ぼすこと。1つは、そこに君主が移り住むこと。1つは、彼らに元通りの生活を許すことである。

自由を許し、民衆の協力を得られるであればそれが最も望ましい。

しかしより良い自由を知っている民衆は、いくら新君主が恩恵を与えようとも、過去の栄光を忘れない。そうした民衆は、必ずいつか反乱を起こすものだ。

したがって一番安全な方法はその都市を抹殺することである。または、君主がそこに移り住むのも有効だろう。

君主と力

改革を目指す君主が、それを自力で行うか、第三者の力を当てにして行うかというのは重要な問題である。

援助を求めた場合、必ず災いが生まれ何も実現することはできない。逆に自らの力を用いた場合、滅多に窮地に陥ることは無い。
武装した預言者は皆勝利を収め、備えのない預言者は滅びたのだ。

民衆に何かを説得するのは簡単だが、説得のままの状態に民衆を繋ぎ止めて置くのが難しい。人々が言葉を聞かなくなったら、力でもって信じさせるように、策を立てられるようにしなければならない。

君主と民衆

貴族の支援を受けて君主の地位についた者と、民衆の支持を得て君主になった者とを比べてみると、前者の方が君位を維持する困難がはるかに大きい。貴族はいずれも君主と対等くらいに自らを認識しているから君主は彼らに気ままに命令できない。また民衆は抑圧されないことを願うだけだからそれを叶えてやることは簡単だが、貴族が願うのは抑圧することだから、叶えるのが難しい。

君主に起こりうる最悪の自体は、民衆から見放されることである。貴族から見放されても、それは恐るに及ばない。

賢明な君主は、どのような時勢になっても、その政権と君主とが市民にぜひとも必要だと感じさせるような方策を立てなければならない。

君主と武力

全ての国の重要な基盤となるのは、良い法律としっかりした武力である。武力のないところには法律は生まれず、武力があって初めて、良い法律があり得る。

武力には自国軍、傭兵軍、外国支援軍、混成軍とがある。そしてこれらのうち、自国軍以外は全て危険である

傭兵軍は無統制で野心的で、無規律で不忠実である。金銭を貪るのにも関わらず、有事にはその臆病さを発揮して逃走する。したがって、君主は平時にあっては彼らに丸裸にされ、戦時にあっては敵軍に丸裸にされる。

外国支援軍は武力としては悪く無いが、大方招いた側に災いをもたらす。この支援軍が負ければあなたの国は滅びるわけだが、勝てば勝ったで、あなたの国はこの支援軍を派遣した国の虜になってしまうからだ。その意味では、傭兵軍よりたちが悪い。

自国軍をもち不足を傭兵で補うという形の混成軍は、純粋な傭兵軍や外国支援軍を持つよりはずっといい。それでも国力が傭兵の存在に依存するという問題を孕む以上、最善ではない。

したがって結論は、自国軍を持つべきだということだ。自らの武力をもっていなければ、どんな君主国であっても安泰ではない。自らの国を自ら守る力をもっていなければ、何事につけ運命任せになる

君主と人格

良い気質だけを一身に備えた君主が望ましいのは私も認めるところである。しかし人間が人間である限り、それはできないことだ。したがって君主たるものは、地位を奪われかねない悪徳の汚名だけを避けるべきである。

けちだという世評は意に介すべきではない。むしろ金銭に関して鷹揚だと思われることは悪徳とも言える。

恐れられるのと愛されることについても、両方を兼ね備えるのが望ましくはあるが、どちらか一つを捨てるとしたら、愛されるよりも恐れられる方が、はるかに安全である。民衆に愛されるというのは、民衆が勝手にそうするのであるが、恐れられるというのは、君主がわざとそうさせるのである。賢明な君主は自分の意思に基づくべきであって、他人の思惑に依存してはならない。

君主は前述の良い気質を現実に備えている必要はない。備えていると、そう思わせることが重要である。総じて人間は、目で見たことだけで判断を行う。それゆえ君主は戦いに勝ち、国を維持するだけで良い。そうすれば君主の行為は立派と評価され、大多数の人から好意をもたれる。

君主と人心

自分が支援を受けて君主となった場合、支援者がどのような動機から自分の味方についたかをよくよく考えてみることだ

元の国に不満があったから力を貸した、という人々を味方にしておくことは危険である。何故ならば、あなたは彼らの願いに恐らく応えられないからだ。むしろ、旧政権で満足しており敵対関係にあった者を味方に引き入れることの方が有益でさえある。

君主と宰相

人間の頭には3つの種類がある。第一は自分が独力で考えを巡らせる者第二は他人に考えさせて自ら良し悪しを判断する者第三は自分で考えず他人にも考えさせない者である。もちろん第一が優れ、第二がそれに準じ、第三は役に立たない。

君主は必ずしも第一の頭脳を持っていなくても良い。第二の頭脳を持ち、宰相の行動を褒め、時に是正する力があれば良いからだ。

宰相を任じる人は、私益を考えてはならず、常に君主や国の利益を思わなければならない。そうするためには、君主が宰相に名誉と褒賞と豊かさを与えてやらねばならない。そうであれば、君主と宰相は互いに信頼しあうことができる。

君主と運命

もともとこの世は運命と神の支配に任されている。人間がこの世の進路を直すことはできない。

しかしながら運命が人間活動の半分を思いのままにするとしても、少なくとも後の半分は、運命が我々の支配に任せてくれている領域である。

全面的に運命に依存して仕舞えば、運命が変わるとともに滅びる。

したがって私はこう考える。
人は、慎重であるよりは果断であるべきだ。運命は女神であるから、彼女を征服しようとするならば、時として打ちのめし、突き飛ばす必要がある。運命は、冷静な生き方をする人よりも、こんな人の言いなりになってくれるであろう。



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