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わたしは強い人間ではなかった。

わたしは強い人間だと思う。思っていた。
基本的に人前では絶対に泣かないし、寂しい、悲しい、辛いなど嘆かない。…嘆かないようにしている。それはもう、本質的に強いかどうかの問題ではなく、心がけの問題だと思う。強くいたいというより、弱いと思われたくないのだ。
おかしな家庭環境でおかしな目に遭い(いつ書くかもしれないけど、変な家庭だった。ただし愛されていたので心も体も健やかではある)しまいには両親早死にしているののでわたしそこそこかわいそうだなと思う。でも、心を病んだりもしたことがないので、繊細さにはかけているかもしれない。

わたしは、強く勇敢な自分が好きなので、力に屈するのが嫌だ。だから「嫌なことは嫌」と、誰にでもはっきり言う。それは傷つくことを受け入れられないからだ。わたしを傷つける人を、わたしは嫌っている。先手を打って嫌いになって関わらないし、回避する。

人生は短いのだから、わたしを嫌う人と過ごす理由はない。そういうところからも学校生活や会社員というのは向いていないだろうなと思う。回避にも限界があるでしょう。だからそのものを回避した。フリーランスである。

でも「わたしを傷つける人とは関わらない」が不可能という状況にはじめて直面した。

育児だ。

2歳の娘は、さすがに私のことを嫌ってはいないと思うけれど、あるいは瞬間的には嫌いと思うこともあるだろうし、ともかくようしゃなく傷つけてくるのだ。

頑固でわがままで癇癪の強い子である。彼女の暴君っぷりについては前回も書いたが、もうめちゃくちゃである。彼女の名誉のために先に褒めておくが、ものすごくかわいいし、優しいし、頭が良い。愛おしくてたまらない娘だし、大好きだし、虐待なんて当然したことないし、これからもしない。

それを前提で。


https://note.com/nanaicozue/n/n2888899e3151


私は彼女のとの生活に恐怖を感じることがたびたびある。わがままに手を焼くという次元ではない。

彼女のプライドは、自分でさえ手の届かない高みにある。当然私にだって手は届かない。

ドローンではるか上空に飛んだプライドに彼女はいつも必死に手を伸ばし、つかむことができないから泣いて怒っている。

冗談抜きで彼女は自分のことを大人だと思っているので、

○ベビーカーには乗らない。
○抱っこ紐にも入らない。
○子供用の椅子には絶対に座らない。
○お食事エプロンをつけない。
○お箸で食事をする。
○自分で着替える。
○自分で靴を履く。
○自分で自転車に乗る。
○お財布は私のもの。
○スマホも私のもの。
○階段自分で登る。
○扉を自分で開ける。
○鍵を自分で開ける。
○だっこしないで。
○寝かしつけないで。

こんなもんは序の口で、これらのことをすべて自分でやろうとする。少しでも手を貸そうとすると怒って泣いて叫んで大癇癪である。
朝だけですでに数個のトラップがある。

説得して済むレベルではないので、おおよそのことを私はあきらめた。たとえば子供用の椅子や、お食事エプロンはもう無理だ。大人の椅子に座らせて、エプロンせずに、使えもしない箸で食事を与えている。つらい。
うまくできないから癇癪を起こすし、いつまで経っても食べ終わらない。彼女の服も床もたべこぼしでぐちゃぐちゃになる。ちなみに汚れた服を着替えさせるにも「じぶんで!!!」の一悶着があるから苦しい。

せめて子供用の椅子に座ってくれれば。お食事エプロンをつけてくれたら。フォークで食べてくれたら。

よその2歳児は当たり前にやっているこれらのことを、生まれてこのかた、絶対にしてくれない。いつわたしは許されるのだろう。試練だ。罰を受けているような気にさえなる。

ちなみに能力としてはできることはわかっていて、保育園では全て実行しているのだ。もう、わけがわからない。保育園では集団生活のために諦めているようだ。保育園でできるならうちでもやれよと、保育園でやってくれていて本当によかったという気持ちが母としては毎秒入り乱れる。

それに加えて、イヤイヤ期である。イヤイヤ期じゃない状態の彼女を見たことがないから突入もへったくれもないが、いわゆるイヤイヤ期も正式に迎えている。

「ああ、つらい」

と、しみじみ思うことが増えた。相手に傷つけている自覚があるかないかは大した問題ではない。ただ、わたしはあまりにもわがままな娘のやりように、傷ついている。

いつものわたしの生き様だったら逃亡するだけなのだけど、そうもいかない。

わたしは、「逃げられない」という状況に初めて直面している。

ちなみに、軽い逃避は毎日している。毎日仕事をしているし、お酒を飲んでいる。その二つがわたしの構成要素の8割なので、それを死守している以上、我を失うことはない。

ただ、そう。本質的にわたしは、向き合い続けるしかないのだ。

「逃げてはいけない」という状況に。

でもね、娘が普通の2歳児ようにしてくれないという苦しみは、普通の39歳は向き合ってきたことに避けまくってきたツケなのだ。

娘の気持ちを代弁すると「普通の2歳児はできるっていうけど、普通の39歳はできることができないくせにおまえがいうな」である。

結局、因果応報みたいなオチになった。

これはもう、もはやお互い切磋琢磨していくしかない。

お互いの健闘を祈りながら、明日の平和を祈る。娘が強い子で、なんというか、たのもしい。


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