なぜ、ぼくはぼくなのか。
「なぜ、ぼくはぼくであって、ぜんぜんべつのだれでもないの?」
子どものムーミンパパは、ヘムレンさんに尋ねます。
ヘムレンさんはこう答えます。
「わたしたちふたりにとって、運がわるかっただけのことさ。」
『ムーミンパパの思い出』第一章のやりとりです。
私が私である理由。
私が私であることなんて当たり前のようだけど、
全然当たり前じゃないのかもしれない。
どうして他の誰でもなく私なのだろう。
私も不思議に思うことがある。
普段は忘れていることだけれど。
この疑問を書き留めていた作家に思い当たる。
中島敦(1909-1942)。
彼は「疾狼記」で、
南洋土人の生活の実写がうつされたスクリインを見て、久しく忘れていた或る奇妙な不安を感じる。
「ぜんぜんべつのだれか」になっていたかもしれない不安。
その不安とともに、耐え難いいらだたしさも感じている。
偶然、私は私であった。
運わるく、私は私であった。
ああ、なんて私は不確かな存在なのだろう。
ムーミンシリーズを読んでいて、
目に飛び込んできた問いかけ。
中島敦の不安といらだたしさ。
ぜんぜんべつのだれかではなく、
ぼくがぼくであることを、
私は「それで良かった」と思えるように、
生きていきたい。
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