夢に珍しく実家が出てきて
ゆめも混じりの駄文かな。
なかなかキツめなのかな。
私としてはこれは私の一部というか、風化しつつあるものと思う。
私と父母とか妹弟の関係って、冷めている。
でもそれは、凍ってるってほどではない。
何時亡くなったかも覚えていない(確か忙しい12月に亡くなった気がしなくもない)、父方の祖母が珍しく夢に出た。妹と一緒に。
家の店の前で祖母は片付けながら、それまで不思議な路地裏を旅してきた私と話していた。
現実と同じように、私が実家に行ったのはかなり久々のようだ。(因みに現実は結婚してからは、一度も行ってない)
妹も側にいて(何故か高校生くらい)、二人で仕事が無いやつは駄目だとか、仕事は大事だとか、とにかくお金を稼がなくてはならないみたいな事をいうのである。
私はそうは思わない。頑張れば、いい職につけるよ。って人は確かに何度もそういう事を言うのだ。
でも、必死でもがいて命をつなぐだけでいっぱいで、誰の手も上手く掴めなくて、そもそも、その手すら見えないほどの中を、駆け抜ける苦しさを私は知っている。
例え、結果が全てで、その間の話など努力不足の怠け者だと罵られるしかなくても、それでも、命が削られるような、永遠痛むような思いで今を生きてもいいのか悩みながら生きることの辛さを、私は知っている。
だから、言い争いになったのだ。
妹に「〇〇は卑怯なんだよ」って言われたが、そうだという自覚はあるし、しかし、それを上回る色々な感情もある。
「いじめられたことのないアナタになにがわかる。当時、家族さえ私のことを解ろうとはしなかった。私が何度訴えたか。アナタはかわいい顔で生まれてきて良かったわね。卒業してからも、何度か期待した。無駄に終わると知っていて。やっぱり無駄だった。来るんじゃなかった。二度とこない事にするよ。」
実際の姉妹仲は悪くない。
妹が顔が可愛いのは本当。
でも、私はそれで妹を恨んだりしなかったし、彼女は彼女で『なんでかわからないけど、学校に行きたくない』という子供で集団生活に苦労したほうなので、それを知っている現実では絶対に言わないセリフ。
あれは……どうせ、夢でも姿を出しもしない母親に言いたかったことだろう。夢の中の妹には八つ当たりしたのだ。
妹はたまに学校を休むことを許される。妹は洋服の素材に敏感だから好きなものを買ってもらえる。
母が選ぶことや、母の選択を拒絶することは、メソメソとする母が可哀想で『まぁこれくらいは』というものに関しては私は受け取ってきた。
その、小さなモヤモヤが夢になったのだろう。なにか現実的な疲れなどが引き起こす脳内の閉じた引き出しの開きである。
妹と言い争う最中、祖母は黙ったままだった。
この人なんでいるんだろ?と思った。
まぁ、実家は彼女の実家(祖父は婿養子)なので当たり前か。
私はここに来なくていいや。
気を使って来ていたけど、来る必要もない。
だって現実だって、行くのをやめてしまったのだから。
というところで、夢だと気がついた。
現実の私は『どうしたの?いまごろ』と私に問いかける。
しかし、引き出しはもう閉めたのか返事はなく無音であった。
他にもなにか冷凍品をもらったり、謎のスーパーにいったり、路地裏にあるお絵かき帳をみたり、そうだ素敵な絵も見て、なんか資格のとれるスーパーなんだよ、従業員が。
あと夫が寒いのに窓開けて、閉めといてとか言ってきたりして。
昨日、一昨日の夢とはちがう。
これは私の脳内の整理だな。
だいぶ薄く少なくなったもの。
コンプレックスのない人間は少ないんじゃないかな。
妹は私にコンプレックスを抱いているのを知っている。
お互いに、母の態度に対して思うことがあるのだ。
だから、大人になってお互いにソレを笑いながら話したし、子供の頃の意地悪は謝った。
ベタベタはしないけど、何かあったら心配し合う、そんな関係になった。
そういえば、妹は真のツンデレで有難うさえなかなかいわなかったのだが、大人になって柔くなったのか「有難う」とか「ごめんね」とか言う。
それを見て「素直な妹もめっちゃかわいい!!」と私は喜んでいる。それと同時に「大人になったんだなぁ」と親みたいな目線でみてしまう。
夢の最後の方に弟が小学校1年生くらいの姿で来たので、頭を撫でた。家にいて関わっていた当時は、無邪気な彼をどこか気持ち悪いと思っていたのに大人になって夢で会う小さな弟は可愛かった。
弟にも、大人になって謝ったことがある。年相応よりも厳しく接した自覚があった。
彼は突き抜けた優しさの人なので「でも、そのおかげで俺は出来るようになったこともあるし、いや、当時は怖かったけど、有難くもあるよ」と言った。
あんな環境だったけど、いい子に育ったなぁと、思った。
妹と弟が健やかである現在。
なによりである。
父母のことは知らない。
ここ数年会ってないから。
必要なければ連絡とり合わないし。
自分達で人生なんとかしたらいい。
多感な時期に十分色々あげたと思うから。
私から何かしてあげる気はもうない。疲れた。
ほんと……あのゴミ屋敷を何とかする準備だけしてくれればいいかな。
今思えば、いじめ(あれはいじめなのかな……)にあったのは家族の中で私だけである。
ま、わからなくはないかな。
多感な時期の子供の中に私みたいな異物がいるのは、排除の対象になるだろうさ。
でも、そういう経験はやはり歪むし、真っ直ぐでは居られない。
私の場合は、人生というものへの疑問が深まってしまい、イマイチ本気にはなれない。
元々の性質もあるけどね。
で、成功したり努力の結果なんとかなった人は「努力不足」とか「甘え」とか「怠け者」とかいうのだろう。そういう私のことを。
ま、それもそちらから見た真実だし、事実、社会的に弱者なわけだから、「せやな」としか言いようがない。
母の話を聞くに彼女もいじめられていた方だろうが、彼女の母(もう一人の祖母)は強かったから、学校に乗り込んで行っては先生と話し合いを重ねたし、彼女をいじめた子は、彼女の母の恐ろしい形相の前に揶揄うのをやめたという。
我が母は、母に助けられているのだ。母方の祖母は厳しい人なので甘やかしはしないが、必要な時はいてくれる親だったようだ。
大切に大切に箱にしまわれていたような娘が、私みたいな人間の相手が出来るわけなかったんだと今ならわかる。そもそも結婚に向かない。そう、祖母にも諭されていたのに、結婚しちゃって。あーあ。と、私は母に思ったりしている。
親だから、それが本能的なものみたいに、小さいうちはピーピー鳴いてついていかなきゃ生き延びられない。結構な年齢まで。人間の煩わしいところだと思っている。
仲のいい相性のいい親子ならそれも微笑ましく、何なら大きくなっても家族仲良くしていて欲しいと願うが
そうじゃなかった場合に、早くから離れられる環境があればなとも思う。
ま、飛べもしない雛が巣から飛び出して、誰に見つけてもらえるわけでもなく、複雑骨折をそのまま適当に治癒させて、とにかく歩き続け、なんとなく綺麗に飛ぶ鳥を眺めて暮らしているのが、この私なんだけどね?
昔はそれが悔しくて、許せなくて、でも誰かの人生は私と違うことくらい解っていて、私が選んだことだから私がその責任は背負わなきゃならないことだってわかっていて、それでも辛いとか、悲しいとか、そんなの我侭だよなとか、そういう葛藤で大荒れしていた。
今は、ま、ぼちぼち生き延びてるし、とりあえずギリギリまでこの星みていくかーみたいな。
本来の性質に戻ってきている。
私は自由にしてれば荒れない。
閉じ込めたり、型にはめたりしようとしなきゃ、広く広く愛を心に灯していられる。
やぁ、ほんと。
生きにくいですよ。
長くなっちゃった。
こんな文書は体や、心にに良くなかったでしょ?
それでも読んでくれて有難う。
夢の中の私がそう言ってると思う。
現実の私は『この手の事書くと、ヒートアップするからいやなんですが〜』とかなんとか思ってるくらいなので、そんなに揺れずに、そんなこともあったのねくらいでどうぞ宜しく。
サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。