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ここじゃない どこか

2013/8/22に書いたものを線の下に載せる。
そういえば2013 年はお休み期間で
珍しくなんの動きもなかった。
1年がやたら長くて、そうだ、年明けと共に飽きた年だった。

そんな年の8/22の私がどんな思考かみてみよう。


ここ と そこ には距離がある。

そこ と ここ はね少し近いかな。



私は確かに ここ に 在る。

そして 確かに ここ にしか ない。


だから

私は確かに そこ に 居るようで

やはり そこ には居ないんだ。


そのせいでさ


怒らせたこととか

悲しませたこととか

傷つけたこととか

沢山あるよ。



けどね

そう

私は最初に説明してるはず



私は ここ にしか 存在していないと。

私は そこ には居ないんだと。





それが どんな世界を語る言葉なのか

考えなくちゃ解らないよ。


解らなくて当たり前なのも

そんな風にしていいわけが無いのも

解るようにしてあげれば簡単なことも

私は 知らなくないよ。


それでも そうしているのが何故だか

わかる?



私は 森だもの。




まだ 誰も …




でも いいの。




それで いまは まだ いいの。



という過去の私の言葉。

結局、誰も辿り着かなかったなぁ。
今も辿り着かないんだろうなぁって思う。

この頃は肉体を使えばなんとかなると思っていた。
なんともならなかった。
負荷にしかならなかった。

「酸素ボンベは永遠じゃないんだからいい加減陸にあがるか、エラ呼吸しろ」って友達に言われたの思い出す。

‥‥友達の言葉のチョイスよ。流石だわ。
そしてそれに対して私は

「そうだよね、電球と乾電池じゃ限界があるよね。お日様にあたらないと‥‥」

と言った記憶。

ま、酸素ボンベと電球卒業して、巣穴になったあたり成長、成長。

それに周りも生き物になったし、物だとしてもアンティークみたいな深みがあるし。

この頃から「私は森」とか‥いや、もっと前から言ってたな。

やはり私は「現象」(これもかなりしっくりしてる。素敵な表現をもらったとおもってる。とても気に入ったから、もう、私のもの)

気がついたら真夜中になってて、出したい蔵出しの中から選んだけど、こういうのが数年分積み重なってるのよね。


あー、今度あれか適当にコメント欄とかで日付行ってもらって引っ張り出して来るか。
普通の日記は無理だけど、数年のうちならどの年かは載せられるのあるでしょ。

というわけで、下まで読んでくれたあなたは何月何日の私と会いますか?
ま、誰も何も言わなくても勝手に蔵出しするんですけれどね。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。