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続・私の大切な『悪い子達』


すごい偶然。ほんとだよ。

ふと、そんな記事を書いたなって、とある呟きのとある言葉の、ほんの一部に反応して、探したら、去年の今日だった。

ここ、note。

自由な電子の海。


だから、この記事も自由。
故に、夢かもしれない。
目を開けてみているつもりの
夢みたいなものかもしれないよ。


そう思って読むくらいがちょうど良い。


ちらほら、力の強い人がいる。
本人が自覚してようが、いまいが、いる。


大きい力が背後にいる。
べつに権力ってのじゃないよ。
そんな俗なものつけて歩いてる人は、私と『仲良くならない』もん。


清い流れ。
深みのある清い流れの人達。


たまに感じる距離感は『…あんなの近づいたら消えちゃうわよ』という私の周りの子達のざわめきである。

そうよね。

去年は割と力を使ったから、今なんてスッカスカに疲れてるから黙りさんだもん。

数年前もあった。
あの時も、黙りというか、散り散りで。

流れだなぁ。


私の周りの『悪い』子達は弱いから。

普通なら掃除されちゃうの。
でも、私はしない。
一緒にいるの。

薄汚れてていいの。
人間の綺麗は『過ぎる』んだもの。


勝手に綺麗になっていることはあるんだけれどね。

そんで、勝手にまた溜まる。


私達はあそぶのよ。
あそぶの。

それごと抱きしめて
遊ぶのよ。

要らないと捨てられる事
要らないと忘れられる事
要らないと払われる事


私達はそれも一緒に絡まって、私達となる。


それも、そうでなきゃなんて言わないで
ただ、好きな時に、そうなる時に、そのままで。


noteの人たち。
いろいろ。

流れそのもの。

楽しいことも、苦しいことも。


いい言葉の向こう側に、こびり着いたモノがみえる人がチラホラいるね。
こびりついてると、それは、窮屈だから、それこそ、はらう必要があるよ。
前向きなのに、なんだか、なんだか。


自由にしてる『悪い子達』は好きだけれど、縛られているのをみるのはいやだな。


私、個人的にはだけど。


大きな力は気にするくせに、小さい子達の囁きは聴かないなんてもったいない。

あなたが不必要だと投げ捨てた、その子達がつくる小さな流れは
いつか濁流になる。


全ては流れの中にある。


清い人、流れの人、その辺は、変わらずそのまま。
たまに泥水みたいな私が、遊びに行って場を荒らすかもしれないけれど、きっとそれも流れて綺麗に戻ると知っててくれるから大丈夫かな。

と思っている。


どうか、緩と。

こんな、よくわからない生き物と。

それぞれ好きな距離感で。

よろしくお願いします。







サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。