「koedaはさ、ちょっと怖いんだよ」


友達になった人に言われることがある。

「koedaには見透かされそうなんだよ。それでいて内心どう思われてるかわからない。だから、たまに怖いんだよ」

というような内容だ。

そんな凄ワザはもってない。

でも

他人より言葉の向こう側を見やすいらしいって

気がついている。


それから
私の心は縛られたとしても、他人のそれよりずっと自由にみえるらしく

「あなたの考え方は好き。言葉も好き。けれど、それが出来ないから苦しい。あなたを見ていると苦しくなる」

と言われた事も何度かある。


特に電子の海で泳ぐ私はそういう傾向がある。




他人の言葉に揺れても、一時染まっても、元の場所に、元の形に、私は私に、帰結する。 

そうなんだろうと

気がついている。



自分が多数向けじゃないことは解る。
狭く小さな世界がここにある。



人間の人間らしい世界に触れると削れる。
沢山のことを考える。思う。


たまに一人で泣く。
過呼吸になるほど泣く。


赤ちゃんや子供は
まだ持ってる壺が小さいからすぐに心がこぼれちゃうんだなって思う。

すぐにおもいの壺がいっぱいになるから、あんなに泣くのだと思う。


大人は広げたり深くしたり、いくつも持ったり大変だね。

大切な感情を捨てたりして。
溢れない様に管理している。


私だって色々持っているけれど
それを超えてこぼれていく。


壺が未熟なのか
想いが大量なのか


自分では解らない。


こぼれるものはこぼれるから
こぼすしかない。


削れた時は、離脱できる事を心の支えにしたりする。
それを人がタブーとする事に冷や汗が出る。


どうして?


でも知っている。

なんでかだって考えがつく。


そういう違和感と

多面的な答えの渦の中で

ただ泣くのである。


なんの…話だっけ?

最初はとにかく「こわい」って言われることあるなぁってのが書きたくて、それで、昨日の真夜中に過呼吸気味に泣いて、なんか薔薇とか豪奢な花と高山植物の事とか考えてて……



人間は好きで嫌い。


因みに怖いって言われても「そっかー」って思うし、なんか色々言われることもあるんだけど、それはその人から見た私で間違いないから、それについてあんまり本気で否定しない。

言葉の向こう側でそんな感じ。

好きか嫌いかはある。

でも、それはそのものを
肯定したり否定したりするものじゃないと思う。

相手がどう思うかは…
わかる時はわかるし
わからない時はわからない。

けど、それだけだよ。


眠。
何書いてるんだろう。
ま、いっか。 だって、これが私なんだもん。


そういう世界も持ってるってだけ。  
正義ってなに。






サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。