true tearsとサナトリウム
アニメで人間関係を学ぼうシリーズ
乃絵派だが、最高のラストだった。
あれでいい。
恋愛だとか心の機微だとかにはあまり注目できず(しなさい)、飛ぼう/生きようとする意志の話として見ていた。
生まれ変わり
おぎゃあ、おぎゃあ
8話、比呂美は「雪の降っていない街」(=ここではないどこか)へ向けアテもなくバイクを走らせるが、案の定事故を起こしマシンは炎上。不自然なほどに平気な顔をしていた彼女であったが、駆けつけた眞一郎を前に涙する。
アメリカン・ニューシネマを思い出す。何もかも思い通りにならない生を否定し、無法のスピードの先に希望を見出し、惨めに死ぬ。秩序の世界で死を迎えるのは、自由な世界に生まれ変わるためだとでも言いたげに。
一方で比呂美は死なず、ただ美しい涙を流す。現実を肯定するために、バイク事故によって擬似的な死を迎えたともいえる。
一度、擬似的に死ぬことで、しがらみから解放される。別れて友達からやり直す、絵本を処分して拾い集める、折れた片足で歩き出す。
祖母、雷轟丸、初恋の相手、信頼できる兄、天使の翼。全ての幻想から解き放たれた乃絵の後ろ姿には意志の力、あるいはより原始的な、生へと向かう強烈な欲望が見出せる。
絵本
生まれ変わるのに死ぬ必要はあるのだろうか。あるとすれば、それは幻想を失う(=生まれ変わる)苦しみは耐えがたいものであるからだ。
しかし、死なずとも、人は苦しみに立ち向かう術を持っている。本作において、乃絵を生まれ変わせたのは自殺未遂(あえてこう表現させていただく)ではなく、絵本を通じた眞一郎とのやり取りであった。
けれども…こうして光の中におりますと、今までありましたすべての事柄が、夢まぼろしのようでございます。
創作に昇華することで、現実を赦してもよい。メジャーどころだと『風立ちぬ』であったり、絵本を用いたものだと『君が望む永遠』であったり。
涙を流す、歳を重ねて曖昧になる。これらもまた、人間に備わった忘却機能であり、悲しみや死を受け入れるための救いである。ラストシーン、乃絵もまた、美しい涙と共に幻想に別れを告げる。
昇華、それは対象から距離を置くことである。お盆休みにアニメの感想を書いて、退屈な暮らしに帰ること。あるいは死者の思い出を大いに語らい、目の前の他者と共に生きること。
余談 追悼 愛機
自分が遭遇した事故のこと。トラックに轢かれかけたが無傷、代わりにマシンはぶっ壊れた。バイクとライダーは殆ど一体となって走っているので、二人まとめてお陀仏になっていても文句は言えなかっただろう。
あの時、彼女はおれの代わりに死んでくれたのだろうか。そう思ったが、不意に一筋の涙が頬を流れた、というようなことはなかった。慰謝料でまたいいやつ買うわ
余談2 ゼーガペイン
夏なのでゼーガペインも見た おもしろい
生の根拠を痛み/身体感覚/肉体に求め
ラストは生まれ変わり/出産で終わる
祖母が死んでから夢うつつだった乃絵てゃんが
生の痛みを知って生まれ変わる
←ゼーガペインすぎる
鶏とかいう絶妙にキショいモチーフがいい
身体感覚として想像しやすいし
あの足跡がザクザクついていく感じ『君どう』にもあった気がする 足跡のアニメたち
余談3 トゥルーティアーズってこれだ
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