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だめアニメ愛好会:人外ちゃんと恋しよう編

アニメと単純化

今年の夏は進級がヤバすぎたため、ろくにアニメを見られなかった(※)。今確認したらtrue tearsとリコリコとシドニアしか見なかったらしい。暇を持て余している時期さえ大した量を処理できないのに、デカめの心配事があったらそりゃこうなる。

※秋も進級がヤバいっぽい そんな

というわけで(?)『シドニアの騎士』について、個人的に異形が出てくるアニメが好きなので見た。(俺自身も異形のオタクだから……)印象自体は非常に良かったのだが、これを論じようとするとなかなか難しい。手放しで褒めたいところではあるのだが、どう考えてもストーリーに一貫性がないのだ。特に「最後の最後にヒロイン蘇っちゃダメじゃないか?」という点について考えたい。

ヒロインのつむぎちゃん

本作の一般的な評価として、音と映像は絶賛されているのだが、SFとラブコメのチグハグさ、一部ストーリーの唐突さなどが批判されている。(あとこれは個人的大問題なんだけど、ED合ってなさすぎない?)

出来のいいシーンを切り抜いて見る分には最高のアニメなのだが、確かに全体としてはゴチャついていて、前後のつながりがおかしいような気がしないでもない。再編集すればより効果的な映像になるだろうし、非常にMAD映えしそうな作品ではある。

個人的にアニメというメディアの利点は、「意味のない演出を削れる」=「全ての演出に意味がある」点にあると考えているが、その評価軸にしたがえば、本作はメディアの特性を活かせてはいない。どちらかといえばシドニアの風景をそのまま切り取ったような、物語的とは言い難い作風だ。しかし、あえて好意的に捉えれば、物事を単純化せずにありのままで捉えている、とも言える。

(でもアニメを曖昧なものを曖昧なまま明文化せずに、多義的に映像を用いて描くメディアとして定義すると、本作はアニメらしさに溢れてる気もする。アニメの特性ってなんなんだろうね、洗練して削っていくタイプと盛りまくるタイプがあるのかな)

結論の不在

さて、本作は一貫したテーマがなかなか見えづらい。多分「人と異形の対立や融和」みたいなのをやっているんだろうな、という感じではあるが、メインで取り扱われているような印象は抱けない。せいぜい架空戦記のオマケ程度だ。

人と異形はどうあるべきか、人と異形はどのように関係すべきか、などという問いに関しても解答が明示されることはない。描かれているのはつむぎと長道のありふれたロマンスと、つむぎと一般船員のぼんやりとした共存だけで、そこに明確な主張を見出すのは難しい。一応主人公とラスボスが対立してはくれるが、善悪の決着は回避され、単純な決闘の形式で誤魔化される。

丸投げエンドと言えなくもないが、私はこのラストに作者の真摯さを見出したい。本作は第一段階として、人と異形の対立において、遺伝子操作によってホモ・サピエンスから遠ざかる人類と、純粋な心を持つ異形(つむぎ)という転倒を経る。異形の中に人間性を見出し、シドニア存続のために非人道的技術に活路を見出す人類よりも美しいものとして描く、という構造だ。

本作はそれだけに留まらず、第二段階において、人間性に対する非人間性の優位を描いた。マッドサイエンティスト落合はヒロインの蘇生を提案するが、主人公は苦悩しつつも誘惑を否定し彼を撃墜する。しかし、つむぎは落合の遺した技術によってかなりアッサリと復活し、二人は幸せな余生を過ごす。禁忌の技術は立場上の問題(出版物が守らねばならない常識的な倫理)によって一応否定こそされてはいるが、人類を救い恵みをもたらすものとして、明らかに肯定的に描かれている。

人と異形に差異はなく、そもそも人間性の有無は本質的ではないのかもしれない、幸せだったらそれでいいのかもしれない…… 人という存在に根底から向き合った結果として到達してしまった微妙なラインの価値観、これを描くために終盤の展開は唐突かつ曖昧にぼやかされてしまったのかもしれない。

移ろいゆくもの

前項では「本作のテーマ」という表現を用いたが、これは不適切な表現なのかもしれない。本作はある意味で未完成であり、作者自身さえもが作中世界を覗きながら人と異形のあり方について考えているような、連載が進んでいく中で結論や問題さえもが移り変わっていくような作品であるからだ。

言及すべきは変わることのない大前提としての作中世界、これがどのようなものとして設定されているかだ。人と異形(人間と非・人間)の境界が失われつつある世界、これこそが本作の要といえる。

本作は人と異形の対立について、異形の側への転倒を経て、人類を人と異形の間、人間性と非人間性の間を移ろいゆく不定形として描いた。最終話、播種船シドニアは安寧の地たる惑星セブンに留まることなく再び宇宙へと旅立つが、ここにも移ろいゆく人類という認識が色濃く現れている。

余談 身体の有限さについて

コックピットの狭さ
身体の大きさ、惑星の小ささ
パイプに詰まるつむぎちゃん

・ヒロインのつむぎは自らの異形(形態、大きさ、子供を産めないこと、非人間性)に思い悩む。種族差という不可分かつ不可能な問題ではなく、身体の有限性に思い悩み、対処するという観点は非常に現代的だ。

・旧式ロボのガタガタ感、旧式人類の生臭さ(食事シーン)も面白い。かといって「不便さこそが人間の味だよね」みたいな印象もあまりなかった。俺も飯めんどくさいから光合成してぇよ

・本作は一応「つむぎを人間にする」ラストを描いたが、劇中ではむしろ「人間が異形になる」(=ロボットに搭乗する)(ユリ熊嵐?)シーンがメインで描かれている。「科学の力で不便な身体克服しちゃおうぜ!」って思想滲み出ちゃってるよねこれ 神様のかの字も出てこないし

・音と映像の強さでつむぎちゃんに恋させるアニメなんすよねこれ 「異形とか関係ねぇよな」っていうたった一つのマジで大切すぎることしか言ってない 美しければそれでいいっすよ

・劇場版で急にめっちゃ明るくなる(物理的に)なるのクソおもろいから本編24話も飛ばさずに見てくれ 爆アゲの劇場版だけじゃなくてあの謎の時間すぎる本編含めてシドニアや

・朦朧としてる状態だったら宇宙一面白いアニメでしょ だめアニメかもだけどダメなアニメではないっすこれ 書いてて思った

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