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40代で死と向き合うということ

乳がん日記のTwitterのタイムラインにとんでもないものが飛び込んできた。
ピンクリボンフェスティバル。乳がん検診を促すピンクリボン運動でのフェスティバルなのか?そもそも祭りとは?とも思うがとりあえず置いておき。
そこで最優秀賞をとった作品がガラポンを乳がんの当たり?ハズレ?に見立てたもの。

このポスターのみならず他の受賞作品も罹患者からするとまあ正直イライラさせてくれるのが並んでいる。私がブログ本を上梓させていただいた時些細な表現でも担当者さんに指摘され細かく直したものだがよりによって乳がんという重いものを扱うのに誰も校閲もしないのかと本当にびっくりした。

そりゃ元気な人にしてみたら他人事だろう。それを責める気は全くない。経験してないことはわからない。特段シンプルなこと。
いら立つのはいいことしたつもりになってがん患者本人の心を傷つけたこと。偽善は好きにやればいいじゃない。と思っていたけどやってはいけない偽善もあるんだな。

スーパーの一角で「終活のご案内」とともに社員さんが60〜70代あたりのご夫婦に声を掛けて説明しているのを時々見る。その度に内心思う。
「ああ、そちらのご夫婦より私の方が先にお世話になりますね」と。
そんな内心などもちろん知る由もなく誰も私たちには声をかけない。
一軒ずつ終活の案内用紙を配るお姉さん。私が出ると「親御さんはお元気でいらっしゃいますか?まだ先ですが親御さんのためにお話聞きませんか?」
誰もがまさか「私が」親年代より早く逝ってしまうだろうとは思いもしていない。

私はこのnoteで何回か「自分の運命を受け入れている」と書いた。ただ受け入れているのは自分の中の一部分だけ。
だって10センチを超えて30年再発しませんでした。という例を聞いたことがない。検索すれば「10センチの末期」と出てくる。そして私は内胸リンパにも微小転移しており「腋窩リンパと内胸リンパに転移している場合予後は著しく悪い」と乳がんガイドラインに書いてある。
近い将来の再発を受け入れておかなければ、そしてその先を受け入れてなければとてもじゃないが正気を保てないじゃないか。

元気な30代40代が死と向き合う。なんてしなくてもいいし私のためにしてほしいんだ。なんて微塵も思わない。
ただ死と向き合っている人間は家族でさえわからないほどにそして思っている以上に色々なことと向き合っている。

それを外野から「乳がん検診の啓発しといたよ、どう?」と軽々しく言われ私から見れば軽々しいポスターやらキャッチコピーを見せられたらそりゃ怒りたくもなりますよ。

ちなみに私のガンは小葉癌と言ってエコーやマンモには非常に写りにくい。私も術前のエコーやCTでは17ミリと言われていたが開けたら115ミリ。10センチ分写っていなかった。検診はもちろんした方がいいけれど毎年検診していたのに発見時ステージⅢ以上だったという場合もある。
だから「毎年検診しなかったから進行しちゃったんだね」と捉えられるような表現は絶対にしてほしくないなと最後にお願いしたい。


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