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継父以上の人はいません!の闇

先日ヤフコメを見ていたらタイトルの言葉があった。どの流れでこの言葉が出てきたか要約する。

うちの母は死別後再婚したが相手の男性は、若いのに自分の子供を望まず私と妹を大学まで出してくれた。そんな継父は偉大だとおもう。母と私と妹を本当に全力で愛してくれた。母には二人の時間を邪魔するなと言われるが。貴女が継父を愛し感謝してるのと同じくらい私と妹も継父を敬愛してるし感謝してる。
継父以上の男性はいない。

要約という名のほとんどコピペなんだけどもいいねの数も多く返信コメントも大絶賛だったが私は血の気が引いた。

私はステージⅢの乳がんなので夫に見送られる身になる可能性が極めて高い。
夫と息子2人になり息子にとっては新しい母親が来たとして(息子は18歳なので現実的には一緒に住むことにはならないと思うが)
もしこの言葉を息子が言ったなら私が今生きている意味は何?とね。

「父は母と死別後再婚しました。継母は看護師をしながら家事もこなす立派な人です。継母は僕と父を心から愛してくれました。
継母以上の女性はいない」

例えばこんなふうに書かれるってことだよ。これ以上の悲しみってないよ。

私はフォントを最大にしたいくらい「全くいい母親じゃない」自覚がある。
パニック障害だ乳がんだとまだ幼い息子にたくさんの我慢をさせてしまった。息子の我慢があったからこの家庭は回ってこれたと思っている。だから私より条件のいい母親なんて履いて捨てるほどいることもわかる。

でも、でもね。
私は息子をお腹に宿した時から自分の全てを賭けて育ててきた。ポンコツだったけど世界中の誰よりも息子を思い続け、息子のためになるなら我慢を我慢なんて思わない自信があった。
パニック障害の時も今の乳がんの闘病の100倍辛かったけど息子のために命賭けるなら本望だと思った。
なかなかまとめて寝なかった息子、絶対私に絡みつかないと寝ないマンだった息子。体力の限りを奪われたけれど今となれば愛おしい記憶。

それをいいだけ大きくなってからやってきた母親()とやらに幼い頃の大変さはすっ飛ばしていいところ取りだけされて最後に言われる言葉が

「継母以上の女性はいません」

さすがに、さすがにその頃にはこの世にいないことを差し引いてもあまりに悲しすぎるって。

もしかしたらこの文章を書いた方のお父様は子どもが生まれてからすぐ捨てたのかもしれない。子どもの顔なんて見たこともないのかもしれない。それならそう言われてもまあ仕方ないのかもしれない。
と思った時に「死別で妹いるんだからそんなわけないわな、ある程度お母様と育児した時期あるわな」とすぐわかったけどもね。

私は育児中は夫を何百回山に埋めようとしたかしれない。長年いる夫婦みんなと同じように離婚を考える時もあった。
けれどもその時でさえももしも夫と死別したとして息子がこの言葉を言ったら厳しく嗜めるくらいの良識は持っている。

夫もまた出産の時はトラックがぶっ壊れる勢いで駆けつけ息子が幼いときは疲れている時も寝たい時も必ずお風呂に入れてせがまれるままに遊んであげた。息子の具合の悪い時は一緒に看病し徹夜のまま仕事に行った。
繁忙期は数ヶ月で10キロくらい痩せるような激務も「家族を思うから頑張れるよね」と言う。

どんなに憎んでも「息子の父親」である。唯一無二の。

そう思うからどんなに憎んでも腹が立っても決定的なことがない限りは夫婦でいなくてはと思った。

だから私も「継父以上の男性はいません」などとは言わせない。

この言葉がこのコメントを見た時から頭の中でグルグルしている。
息子がこの言葉を嬉々として掲示板に書いている姿を想像したらもう言葉では言い尽くせないショックがある。

息子に感謝されるために育児してきたわけではない。義務を果たしただけだから。
ただ私が亡き後でも息子に楽しいことがあった時、つらいことがあったとき、何か話を聞いてほしい時、私に話かけたいときは天国からでも話を聞きたいと思っている。亡くなっても息子の母親は私ただ一人。亡くなるその日まで、そして姿が無くなってもそのプライドだけは持っていたいのだ。

子育て半ばで亡くなった友人を思った時、その無念さを思った時
「継父、継母以上の人はいません」
それは決して聞きたくない言葉なのだ。

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