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美弱あつめ004 「理解しきれない同じ話」

び ・ じゃく【美弱】
1 その人やものがもつ美しい弱さ。
2 弱さを受け入れ、慈しむことで、より自分らしく生きている状態。

先月、四十歳の誕生日に新潟をひとり旅した。昨秋に初めて訪れた「カーブドッチ トラヴィーニュ」というワイナリー併設のホテルがとても素晴らしい場所だったので、節目の日に必ず再訪しようと思っていたのだ。

前回のひとり旅と同様、まずは新潟の神社で一番有名であろう彌彦神社にお参りし、周辺を散策してからタクシーでホテルに向かうことにした。
彌彦神社がある弥彦地区は山の麓で、駅前にタクシーが待機していないし、流しのタクシーももちろん走っていない。前回は電話で配車を頼んで十五分ほど待った。
でも今回はなぜか「弥彦駅に行けばタクシーがいる」という直感があった。直感というか「そうなると嬉しいので心から信じた」が正しいかしら。すると、本当に一台のタクシーが停まっていたのだ。平日の午後で人気のない駅前に。

「お客さんタイミングいいですねぇ。ここらへん、いつもはタクシーいないんですよ」

六十代後半くらいの男性の運転手さんは乗客が来ると思わなかったのか、少し驚いたようだった。私は「うふふ、ラッキーでした」と答え「カーブドッチまでお願いします」と伝えた。

「カーブドッチね。今日お泊まりですか?」

私は「そうなんです」と返した後、少しだけ後ろめたくなり「実は私、今日誕生日なんです。四十歳の節目なので、奮発しちゃいました」と早口で続けた。カーブドッチは一泊五万円近くして、決して安くない。「女性一人でなんて贅沢な!」と思われないように、泊まる理由を伝えておきたくなったのだ。誕生日なら許してもらえる気がした。

「そうか、お誕生日ですか。僕も去年の誕生日に娘にカーブドッチでランチをご馳走してもらってね。そのときは日帰りだったのだけど。今年の誕生日はスノーピークの宿に連れて行ってくれたのよ」

運転手さんは優しく穏やかな声で話してくれる。女性の一人旅をやっかむ雰囲気は全くなくて私はホッとした。勝手に感じていた後ろめたさが、タクシーの窓からひゅんと飛び出て、初夏の風に溶けていった。「してはいけない」や「せねばならない」は、自分が自分にかける呪いなんだな。それにしても、良い娘さんだなぁ……って、え?!

「あの、娘さん、デザイナーさんですよね……?」
「ん、そうよ?なんでわかったの?」

やっぱり!!前回、弥彦からカーブドッチまで向かう際に配車したタクシーの運転手さんと同じ方だったのだ。タクシーの台数が少なそうな地域だけれど、それにしたってなんたる奇跡!!

「私、去年の秋もカーブドッチまで乗せてもらいました!そのときも娘さんのお話を伺って、とても素敵だなぁと印象に残ってたんです」
「えっ、そうだった?ありゃ、乗せたっけねぇ?そうかぁ」

私は再会できた喜びで思わず声が弾んだけれど、運転手さんのほうは私のことを覚えていないようだった。「これに日付と行き先を全部メモしてるから、後で見てみる」と言って、水色のメモ帳を左手で掲げた。

「スノーピークの宿には見晴らしの良いサウナがあってね。最高だったよ。娘は毎年僕の誕生日にどっか連れて行ってくれるんだよねぇ。前までプレゼントはモノだったんだけどね」

私のことを覚えていなかったことは全く気にしていない様子で、運転手さんは上機嫌で話を続ける。

「モノより、娘さんと一緒に過ごす思い出のほうが嬉しいですよね!娘さん、本当に親孝行ですねぇ。私も親孝行したいなと思いました」
「うん、どっか連れて行ってくれる上に、行った先でモノまでプレゼントしてくれるのよ。だから結局両方もらってるの」
「ええ、すごい!」
「娘は子どもの頃からずーっと絵を描くのが好きでねぇ。今は売れっ子のデザイナーやってて、おっきい賞をもらったこともあるの。娘の好きにやらせてきたから、その恩返しもあるのかもしれないねぇ」

私は「娘さんすごい!」と相槌を打ちながら、このお話、前回も聞かせてもらったなと心の中でこっそり呟く。私を乗せたことを忘れていたんだし、同じ話になってもおかしくないか。でも、同じ話でも不思議と苦にならないし、むしろ心地良く感じる。運転手さんが本当に幸せそうに話してくれるから、こちらにも幸せが伝染するのかもしれない。

弥彦駅からカーブドッチまではタクシーで三十分ほどかかる。田んぼの合間や住宅街を走り抜けながら、運転手さんはずっと娘さんの話をしてくれた。

賞、独立、ドイツ、パッケージ、一軒家、子どもの頃に描いた三十の瞳……。

のんびりとした優しい声で、前回と同じ言葉たちが私の耳に届く。「うん、やっぱり同じ話をしてくれているんだろうな」と、私は思う。なぜ「してくれているんだろうな」と曖昧な表現なのかというと、運転手さんの話を百パーセント理解できていないから。前回も今回も、運転手さんは愛する娘さんの活躍について話しているにつれて心がひらいてくるのか、方言が強くなっていった。申し訳ないことに私は新潟の方言がわからないから、単語を断片的に聞き取ることしかできなかったのだ。
私は運転手さんの声にじっと耳を傾け、断片を繋ぎ合わせて話の内容を想像しながら、「そうなんですね」とニコニコ笑い続けた。全て幸せな話だということは、運転手さんの柔らかい声でよくわかったから。

普通なら、内容を理解しきれていないのに相槌を打つのは良くないことかもしれない。ちゃんと聞き返さないのは不誠実だと怒る人もいるかもしれない。でも、あの日のドライブでは、お互いの情報を一から十まで理解し合うことではなく、ただただ幸せな感覚を共有し合い、二人で喜びに満たされることが大切だったのだと思う。わからないままで良いのだ。よく晴れた日の午後、運転手さんと、きっと娘さんと同年代であろう私の、とてものどかで豊かな時間だった。

カーブドッチに到着し、タクシーを降りるとき、運転手さんは水色のメモ帳をめくりながら「お客さんをいつ乗せたのか、後で見返してみよう」と言ってくれた。でも、私のことを思い出せても思い出せなくても、どちらでも大丈夫なのです。すっかり忘れてしまっても構いません。またお会いできたときには、やっぱり娘さんの同じ話をして笑い合えたら幸せです。

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