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六車奈々、会心の一撃!

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タレント・女優の六車奈々によるエッセイ集。子育てをしながら働く、ハプニングと全力投球な日常をエッセイでお伝えします。
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#仕事

働くお母さん

「お待たせ致しました」 真っ先に注文したスパークリングが運ばれてきた。『こぼれスパークリング』と書かれていたそれは、日本酒でいう『もっきり』さながら、升の中にシャンパングラスが立っている。 今日は、一人きりの外食だ。 娘が生まれてからの4年間、思い返しても一人でゆっくり夕食を満喫した記憶など一度もない。 私は思わず笑みが溢れた。 「それでは失礼します」 店員さんが、グラスにスパークリングを注ぎはじめる。 「ゆっくりね、ゆっくりね!」 スパークリングが泡立ち過ぎないよう心の

武士の心得

今、戦うべきか、否か。 実は、この選択。 自分が思っている以上に、重要である。 世の中には、理不尽が多い。 どの仕事をしていても同じだと思うが、あまりの理不尽に刀を抜きたくなる瞬間もあるだろう。 しかしだ。 世の中は、自分中心に周っているわけではない。自分が怒れる度に正義の刀を振りかざしていては、側からみると安売りになってしまう。つまり周りの評価は、『いつも怒っている人』ということなってしまうのだ。 感情に任せて刀を抜くと、目の前の『怒り』という感情はスッキリするかも

みにくいアヒルの子

私には何もない。 いつもそう思ってきた。 いや、無いわけではないのだ。 たとえばモデルの仕事は、15年ほどさせて頂いた。服を着てポーズを取るのも、顔の表情をあれこれ変えるのも朝メシ前だ。 ラジオだって15年以上になる。アシスタントはもちろん、メインパーソナリティとしても一人喋りもさせて頂いたし、テレビ番組だって、司会からゲスト、リポーターまで幅広くさせて頂いている。 しかし、そういうことではない。 私には何もないのだ。 たとえば関西テレビ『サタうま!』にレギュラー出演し

はらぺこ花嫁

仕事の現場で、一度だけキレたことがある。 最初に言っておくが、私は現場で難しいタイプではない。気分屋ではないし、きちんと笑顔でご挨拶もするし、楽しい雰囲気になるように心掛けるし、NG事項だって何ひとつない。多少の腹立つことがあっても、いちいち目くじら立てて怒ったりすることもない。極めて扱い易いタレントのはずだ。 しかしだ。20代前半だったと思う。たった一度だけ、ブチ切れたことがある。16歳から約30年この業界にいて、後にも先にもこの一度だけだ。 その日は、モデルの仕事でブ

45歳、新たな夢へ

45歳にして、国家試験を受験をした。 受験なんて大学受験以来。かれこれ四半世紀ぶりである。 昨年の12月。私は突如、保育士の資格を取りたいと思った。自分の子育てに役立つことは勿論だが、美人塾の活動をもっと広げていきたかったからだ。 そのためには、取りたい国家資格が二つある。まず一つ目が、保育士の資格だった。 とはいえ、私の毎日は忙しい。昼ドラの主演をやっていた時より忙しいと思う。家事、育児、自分の仕事に加え、主人の仕事まで手伝っている私は、朝から晩までスケジュールがパンパ

賢い女

「え?ハジメさん、毎晩ご飯作ってるんですか?というか、朝も作ってません?」 私は思わず聞き返した。 すかさず、ヨメが答える。 「だってぇ。。。私が作るより、ハジメさんが作った方が美味しいんだものぉ〜。ね?ハジメさん。」 「いやいや、まぁゴハン作るのは好きだしね。」 褒められたハジメは、照れ臭そうにしながらも嬉しそうだ。 このヨメは、自称『天然ボケ』である。 そして自称『ドジ』である。 しかし、本当は違う。 相手を油断させるのがうまいし、人に尽くさせるのがうまい。現

起死回生

二十九歳の私は、結婚の夢も仕事の夢も失い、絶望の淵にいた。 ここまでの話は『六車奈々、会心の一撃!』の、 『変身 https://note.mu/nana_rokusha/n/n1ab6605ba071』 『仕事か結婚か、それが問題だhttps://note.mu/nana_rokusha/n/n589237c50768』 で記している。 もし心の傷が目に見えたとしたら、それはズタズタに切り裂かれ、手の施しようがないほど無残な状態だったろう。後にも先にも、これほどまでに辛い

仕事か結婚か、それが問題だ

24歳の私は、売れっ子モデルとして絶好調!大忙しの毎日を送っていた。 そこまでの話は『六車奈々、会心の一撃!~変身~https://note.mu/nana_rokusha/n/n1ab6605ba071』 で記している。 さぁ、いよいよ東京進出だ! 順風満帆な私は、上京を視野に入れ始めた。 そんな矢先、東京でオーディションが入った。やっぱり東京が私を呼んでるのかしらん。 せっかく東京へ行くなら、テレビ局に連れてもらわなきゃ!私は本社の芸能担当マネージャーに連絡をし、ドラ

変身

大学四回生の時、モデルで食べていくと決めた。16歳から始めたモデル業だったが、学生時代は学業と部活中心だったため、実際には月に1〜2本ほどしか仕事をしていなかった。 その間にも、事務所には新人モデルがどんどん入ってくる。新人たちは、最初は先輩の私に低姿勢に接するものの、私に仕事が無いのがわかると、明らかに態度が変わった。 『売れないモデル』。 それが、学生時代の私のポジションだった。 私は悔しかった。 本気でモデルの仕事をしたら、どこまでいけるのか?自分を試してみたかっ